第29話 追憶のその先へ
俺は再び、この舞台にやってきていた。第三回世界大会。俺は今までの実績から上位シードをもらい、戦う回数は他のプレイヤーに比べて少ない。だと言うのに、俺の手はずっと震えていた。今年こそは負けるのではないか。初戦で敗退するのではないか。俺は決して夢物語ではない。間違いなく衰え始めている俺にはあり得る話だ。
この一年、騙し騙しやって来た。それでも勝てた。何とか勝てた。全ての試合が命がけ。少しのミスも許されない。そんな環境でただ一人、戦い抜いて生きた。
「……」
じっとスフィアを見つめる。第三回世界大会も大詰め。俺は勝利に勝利を重ね、決勝の大舞台にやって来た。
世間では皆が言う。俺は天才であり、最強だと。でも俺の剣はとっくに錆びついている。ギリギリのところで踏みとどまっているが、それでももう先は見えていた。脳機能の問題はさらに悪化している。俺はそれを隠してここまでやって来た。BDSの世界では時々視界が霞むような現象に陥る。そんな状態に陥っても、俺はまだやることがあった。
世界大会三連覇。これだけは誰にも譲れない。例えこの先に何が待っていようとも、俺は……勝ち取ると誓ったのだ。
「……」
決勝戦。相手はアレックスだった。そして俺の視界はもうすでに失われていた。微かに残る聴覚と、第六感とも言うべき感覚が俺を支えている。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
アレックスがこれでトドメだと言わんばかりに突撃してくる。奴もすでに気がついているのだ。俺の視力は失われ、すでに満身創痍。死に体の剣士であると、わかっている。それでもこいつは手を抜かない。俺を一人の剣士として、最期まで見てくれている。それにはそれがよく分かった。
レイ:HP60
アレックスHP110
圧倒的不利。一見すれば、俺の勝ち目は薄いように思えるだろう。
だがそれでも諦めるわけにはいかなかった。だから俺は……自らの刀を納刀した。
「あああああああああああああああああああっと!!!? これは出るのか、レイの代名詞『紫電一閃』がああああああああああああああああ!!?」
もうそんな声は聞こえない。聴覚も失われた。視覚もない。あるのは触覚と第六感のみ。でも、スキルはもう使えない。スキルを使う力さえ、今の俺にはなかった。つまりは、紫電一閃をただ振るうしかない。今まではスキルなどによる補助を使っていた。それは少しでも精度を高めるためだ。
今は違う。今頼れるのは、己の技量のみ。何百、何千、何万回と振って来たその所作をなぞればいいと言うのに、俺の手は震えている。
俺の翼は灼け落ち、喉にはすでに死神の大鎌が微かに食い込み始めている。その体もまた、がんじがらめに縛られている。
もう俺は終わりなのだろう。史上最強の剣士、レイの旅はここで終わりだ。あとは失墜するのみ。翼を失った鳥の末路など、火を見るよりも明らかだ。
「第四秘剣、紫電一閃」
抜刀。それはもはや、ただの感。すでにアレックスがどこにいるのか分からないし、俺もまたどこにいるのか分からない。ただ分かるのは、紫電一閃を発動したと言うこと。それだけが、今の俺にわかる全てだった。
瞬間、青空が見えた。一匹の鳥がどこまで羽ばたいてゆく、そんな姿が見えた。そのイメージを捕らえたと同時に、耳に大きな歓声が入って来た。
「試合終了おおおおおッ!!! 勝者は、レイッ!! 前人未到の世界大会3連覇という偉業を成し遂げましたああああああああああああああああああああ!!」
そうか。俺は成し遂げたのか……やっと辿り着いたのか。でも、もう疲れたな……どこかでゆっくり休みたい。そんな気分だ。
この時を機に、俺の翼は全て灼け落ち、あの大鎌が俺の首を刎ねた。
天才剣士レイが、死んだ瞬間であった。
◇
「……」
手術は成功した。ここまで症状が悪化するまで放置するとは何事かと医者に怒られた。でも両親には何も言われなかった。ただ腫れ物を見るような目で、じっと見られただけだった。
ぼーっとした表情で窓越し空を見る。青い。どこまでも透き通るような青空だ。
でもそれを見ても、何も思わなかった。今はただ疲れたと言う感覚しかなかった。
「兄さん、入りますよ」
「有紗か」
有紗はあれから俺のことを『お兄ちゃん』ではなく、『兄さん』と呼ぶようになっていた。そんな変化は別にどうでも良かったが、やはりどこか距離があるようなそんな感じだった。
「これ、果物です。すでに私がカットしているので、爪楊枝で刺して食べてください」
「分かった」
「では、私はこれで」
そう言って去っていく有紗の後ろ姿を俺は見ることはなかった。
世界大会三連覇を成し遂げたレイ。だがその姿は一ヶ月経ってもBDSに現れることはない。俺は手術が終わったと同時くらいに、プラチナリーグを脱退しプロプレイヤーを引退した。文書など公開して欲しいと言われたが、それも億劫だったのでテキトーに考えて欲しいと頼んでそれきりだ。
しばらくはレイの引退で、BDSは騒然としていたらしい。
でももう関係ない。俺の世界は向こう側ではなかったのだ。
煌めくような、輝かしい剣戟の世界は俺の居場所ではなかった。世界大会三連覇を果たしても、俺の心は満たされることはなかった。ただここにあるのは、安堵感と虚無感だ。
もうあの世界に行かなくていいと言う、安堵感。
そして俺の全てを構成していたものが脱落したと言う虚無感。
それが今の俺だ。レイではない。月島朱音という人間だ。
「……勉強するか」
それから先はただ勉強する日々だった。今までのBDSの時間を全て勉強に当てた。すると学年でも最下位だった俺の学力は著しく伸び、都内でも有数の高校に進学できた。この高校でさらに勉強を重ねれば、いい大学に入れる。さらにいい大学に入れば、安定した職業に就くことができる。
安心、安定。それを目指した。
高校に入学してから、友達もできた。一緒に遊んだりして楽しかった。普通の高校生活も悪くない、そう思っていたが……やはり俺はBDSの世界から完全に離れることはできなかった。毎晩、毎晩、BDSのニュースに目を通してしまう。プロリーグも誰が残っていて、どのような成績を残しているのか、逐一チェックしていた。そんなことをしても、意味はないというのに……。
そして俺は高校二年生になった。それからは怒涛の日々だった。
シェリーと出会った。そしてかつての旧友と再び出会い、妹と和解した。
俺の大切だと思う人たちは皆、BDSの世界で輝いていた。それぞれが剣戟の世界で輝かしく生きていた。
今の俺はどうだ?
今の俺は、またあの世界に戻れるのか?
答えは、イエスだ。
それは実力どうこうの話ではない。俺の心はあの世界を求めていて、俺の理性はそれを良しとした。許容した。かつての想いを払拭したわけではないが、俺はそれでも戦いたかった。
シェリーと有紗の試合を見て俺は決めたのだ。
もう一度あの世界に立つのだと。そして自分のためだけではない。誰かのために戦うことができるのだと、俺は証明したかった。
「……よし」
年に一度だけ行われるTo Pro League Tournamentが間も無く開始される。そして昨日のうちにこの大会はこれが最期になるのだと通知された。つまりはこれが最後のチャンスなのだ。俺があいつらと共にプロとして歩んでいけるのは。遅れるわけには行かない。
俺もまた、剣士なのだから。
「さぁ……行こうか」
そうして俺はまっすぐ進んで行った。
もう、迷いなどなかった。
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