第28話 そして、彼は誓う



「兄さん。私、勝ちましたよ」

「見ていたよ。すごかった」

「プロになります」

「おめでとう」

「ねぇ……私は兄さんになれていましたか?」

「……間違いなく、あれはレイだったよ」


 じっと俺を見つめてくる有紗。思えば、妹は本当によく成長したのだと改めて思う。幼い頃の印象は残っているものの、その姿はもう大人と遜色はない。


 だがその心はどうなのだろう。


 俺は有紗を縛り付けていただけじゃないのか? 苦しめていただけじゃないのか? そんな思いがよぎるも、今日からはしっかりと言葉にする必要がある。


「なぁ……有紗はどうしてBDSを始めたんだ?」

「……分からないんですか?」

「思い上がりかもしれないが、俺のためなのか?」

「……それ以外に何があるんですか」

「俺に対する当て付けと思っていたこともあった」

「……バカですね。ほんと、兄さんはバカです」


 有紗は俺のためにBDSを始めたのだという。なら、俺を模倣するのはきっと……。


「有紗は俺がBDSに戻れるように居場所を作ってくれたのか?」

「はい」

「俺がまたBDSに戻ってくると分かっていたのか?」

「はい」

「俺を模倣したのも、俺のためなのか?」

「はい」

「全部、俺のためなのか?」

「はい、そうですよ。私は兄さんのために戦ってきました。今までも、そしてこれからも」

「……そうだったのか」


 勘違いをしていた。有紗の危うさというものは、ただの性格的な気質から生じているものだと思っていた。いずれは俺と同じ道を辿る。俺と同じようにプロになって、そして孤高の存在として苦しんでいく。勝利は決して渇きを癒してはくれない。どこまでも羽ばたいて行ける翼は、いつの間にかイカロスの翼になっている。俺と同じだと、そう思っていた。


 でも有紗は俺ではない。プレイスタイルは酷似していても、有紗は俺という人間ではない。有紗は俺とは違う、別の道を歩んでいるのだ。


 負けたくないと思っていたのは、ただの嫉妬だ。妹に嫉妬をして、見方が穿ったものになってしまっていた。


 それに、有紗が孤高に、孤独になりなんてことはない。


 なぜなら、俺もまたあの頂点に辿り着こうとするものだからだ。


 俺と有紗はライバルになれる。そう、俺は思った。


「有紗、今までありがとう」

「私は……ちゃんとできていましたか?」

「あぁ」

「兄さんのために頑張ってきたんですよ?」

「あぁ」

「一人でずっと、ずっと、ずっと、頑張ってきました。兄さんと同じです」

「あぁ」

「もう、一人じゃないんですよね? 兄さんの隣にいても、いいんですよね?」

「俺には有紗がいるし、有紗には俺がいる。もうお互いに、一人じゃないさ」

「……う、あああ、ああ、うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

「……」


 有紗は俺の胸に飛び込んできて、泣いた。


 泣く姿を見るのは、二年ぶりだ。そして俺も有紗の頭を撫でながら、静かに泣いた。


 こうして俺たち兄妹は、二年ぶりに本当の兄妹に戻ったのだった。



 ◇


「おはよー」

「おいおいおい!? 見たか、昨日の試合!!?」

「すごかったな」

「凄いなんてもんじゃねーよ! 二人ともやばすぎだろ!!?」

「確かにプロ顔負けの試合だったな」

「一説じゃ、シェリーが逃げ出したのもあのスキルを解放する時間稼ぎとも言われているらしいぞ」

「あのスキル?」

「あれだよ。体に炎を纏うやつ。隠しスキルだと思うけど、あれはすごかったな……あの百花繚乱をほぼ全て防ぐなんて、本当にやばくねぇか!!?」

「はいはい。やばい、やばい」

「何だよー、お前は感心しないのかよー」

「……シェリーは来ていないのか?」


 唐突に話を変える。シェリーにはあれから連絡がついていない。学校で話そうと思っているも、姿が見えないのだ。


「……いつもなら来ている時間だが、いないな。休みじゃねぇの?」

「そうか」


 涼介の言葉通り、シェリーは休み。それも無断欠席。


 俺はそのことを受けて、放課後にシェリーの家に向かうのだった。





「……シェリー、俺だ」

「……」

「話がある。開けてほしい」

「……」


 返事はない。だが、マンションのオートロックがガチャリと開く音がした。


 完全に拒絶はされていないらしいな。


「……シェリー、俺だ」


 ピンポーンとインターホンを鳴らす。だが何度鳴らしてもドアは開かない。そして30分ぐらい待った頃だろうか、ガチャリとゆっくりとドアが開いた。


「朱音……まだいたの?」

「シェリーと話がしたいから、待ってたよ」

「入って……」


 ボサボサの髪に目の下にある大きなクマ。おそらく、ろくに寝ていないのだろう。俺は室内に入ると、リビングのテーブルで対面に座りシェリーと話し始める。


「まずはプロリーグ入り、おめでとう」

「えぇ。プロにはなれたわ。でも、情けない結果ね……本当に、本当にね」

「……なぜ逃げたんだ? あの試合、まだできることはあっただろう」

「アリーシャがどうしてもレイに見えて仕方がなかった。勝てるイメージが浮かばなかった。だから負けたくない想いから、逃げ出してしまったの。私はやっぱり変われない。変わることができない。シェリー・エイミスという人間の本質は、何も変わりはしないの」

「……最後のアレは何だったんだ? 隠しスキルか?」

「……言えない。今のあなたには言えない」

「今の俺には?」

「ねぇ、朱音。あなたもプロになって。そうしたら、私はあなたに全て話すわ。私がどうしてここに来て、あなたと出会って、そしてなぜ私がBDSをしているのか」

「菖蒲から聞いた話は本当なのか?」

「……そうね。私は偶然あなたと出会ったわけじゃない。必然よ。全て用意周到に準備して、あなたに接触を図ったの。前向きで明るい私なんて、虚像よ。私は……ただの負け犬。それは変わらない」

「……なるほど。で、プロリーグには行くのか? 今の調子だと辞退しそうだが……」

「レイが裏口で優勝して、あなたもプロになるなら入る。ダメなら私も辞退するわ」

「どうしてそんなに俺のプロリーグ入りにこだわる?」

「私はあなたがいないとダメなの。あなたの姿がずっと私を縛り付けている。あなたは憧れであり、呪い。それをどうにかするには、プレイヤーとしてレイに向き合う必要がある……って、勝手だけどそう思うの」

「シェリーの翼は、どうなんだ?」

「翼?」

「あぁ。翼だ。少し、昔の話をしようか。あるところに少年がいた。少年は自由の翼を手に入れたんだ。どこまでも飛んで行ける、大きな翼を。でも少年は気がついた。その翼でどこまで飛んでも満たされることはない。そして、その翼が蝋で固められたイカロスの翼だと気がついた頃には手遅れだった。少年は失墜した。地面に落ちた。もう、飛ぶことはできない。でも、少年は思ったんだ。飛ぶことに意義を感じるんじゃない。たどり着くことに意味があるんじゃないのかと」

「……」

「シェリー、君は何のために戦うんだ?」

「……」

「俺はみんなのために戦うことに決めたよ。友人のため、妹のため、そして……シェリーのために俺は戦う。もちろん、純粋にあの頂点に立ちたいという気持ちはある。だけど、俺の戦いが誰かにとって何かを与えることができるのなら……それもまた、俺の意味だ」

「朱音……」

「シェリー、見ていてくれ。俺はきっと戻ってくる。あの輝かしい剣戟の世界の頂点に」



 シェリーは俯いて泣いていた。彼女の過去に何がったのか知らない。でも俺は、俺のやるべきことを成すだけだ。


 そして、史上最高であり、史上最強の剣士レイは……BDSに戻ることを誓った。もう迷いはない、憂いはない。


 さぁ、羽ばたこう。どこまで自由な大空へ。

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