紙とペンと温かいおにぎり

ちかえ

紙とペンと温かいおにぎり

 紙に静かにペンを走らせる。


 この国では使われない彼の世界の文字を、慣れ親しんだものとは少し違う紙に、故郷で馴染んでいた筆ではなくペンで書いているのだ。


 それを考えるだけで寂しくなってくる。故郷の思い出を引き剥がされている気がしてしまうのだ。




 あの時のことを、喜助は一生忘れることが出来ないだろう。突然、景色も生活習慣も違う場所に放り込まれたあの時を。


 あれは地獄だったと今でも言える。ただの職人だった自分が、悪者退治をする唯一の人間だといきなり断定されたこと。周りの人の多大な期待に押しつぶされそうになったこと。


 自分はその期待に答えようとしていた。だが、違った。


 喜助が聞かされていたのは暴君である隣国の化け物を倒すこと。確かにそう聞かされていたのだ。


 でも、そうではなかった。彼らは化け物ではなく人間の一種だったのだ。おまけにそのトップは決して暴君ではなく茶目っ気のあるただの中年男だった。

 それを知ったのは喜助が彼を殺した直後だった。


 怖くなって喜助は逃げた。仲間が気遣ってサポートをしてくれ、ようやく彼らの島から逃げることが出来た。


 ただ、その後で更なる地獄が彼を待っていた。喜助を不思議な力で呼んだ者達はそれ以上の、つまり喜助が殺してしまった王の子達を殺すように命じたのだ。

 この者達こそ人でなしだと思った。それで断ると彼らは言うことをきかない自分を殺そうとしてきた。


 だが、仲間の一人がその者を倒してくれたおかげで自分は生き延びることが出来た。そうして、今は別の国に行ってその皇族に保護されている。


 その皇族の中の実質一番権力のある女性——皇太后だという——が、どうやら彼が住んでいた江戸の未来の時代の出身者の生まれ変わりなのだそうで、喜助の悲劇を自分のことのように憤ってくれたのもこの優遇の理由だろう。


 今の彼は一代限りの『男爵』という名前の『貴族』という身分を与えられている。よく分からないが、いわゆる公家のような身分らしい。だとしたら彼には過ぎた身分だと思う。


 使用人も何人か王宮から回してくれた。みんな、喜助の事情を聞いて知っている者達だ。おまけに優しい人たちで、甲斐甲斐しく喜助の世話をしてくれている。


 嬉しい。でも、困る。ここまでしてもらっているのに、みんなに返すものがなかったのだ。


 まだこの国に慣れていないから大きな仕事は任せられないが、仕事はするつもりだ。でも、そういうことでは無い。喜助個人の問題なのだ。


「別に何もいりませんよ。返すなら未来に生きる者にしなさい」


 城に言って皇太后に相談するとあっさりとそう言われた。


 未来に生きる者。きっとそれは次に呼ばれる『すけいぷごおと』という名前の生贄のことだろう。


 だから、喜助は警告を書くことにした。今までにあった事を事細かに書いて次の生贄に危機を知らせるのだ。


 これは喜助が殺してしまった王の息子にも話してある。事情を話して謝ると信じられないくらいあっさりと許してくれた。そうして喜助を呼んだ国の端っこに彼らの国と繋げる空間を作ると約束してくれた。その準備はその島の新しい王がやってくれているのだろう。


 だからこそ、彼の期待に応えるためにも喜助は書き続けなくてはいけないのだ。


 ただ、辛い。自分はこんな国から来たのだ、というところを書いているとどうしても故郷が恋しくなるのだ。


 今座っている椅子ではなく畳に座りたい。この国で着ている『洋服』という服ではなく着物が着たい。重厚な扉ではなく、軽いふすまが恋しい。

 食事も懐かしいものは何も出てこない。専門の料理人が作るので、とても美味しいのだが、たまには故郷の味がたまに無性に食べたくなってしまうのだ。


 それを考え、喜助はまたため息をついた。


 ノックの音がしたのはその時だった。


「旦那様、お疲れでしょう。軽食を持ってまいりましたから少し休憩にいたしませんか?」


 いつもの使用人の声がする。喜助は素直にお礼を言い、扉を開けた。それだけで使用人は恐縮する。


 その手にあるものを見て喜助は目を見開いた。


 それは紛れもなくおにぎりだった。三角が上手く出来なかったようで、少しだけいびつな形だが、間違いなくそれはおにぎりだ。一つだけではない。三つもあるのだ。


「旦那様が郷愁の思いに苦しんでいるのではないかと王太后殿下が心配しておりまして……」


 そうして喜助の料理人に作るように命じてくれたらしい。それも、材料である米も提供してくれたという。


 それは間違いなく沢山の人の優しさの固まりだった。


「ありがとう」


 それだけしか言えなかった。そうしてテーブルでおにぎりを頬張る。ただの塩むすびだったが、彼の目からは静かな涙がこぼれ落ちていた。


 昔はよく弁当として食べていたものだ。当たり前のものだと思っていた。それがこんなに嬉しいものになるとは思いもしなかった。


 使用人は気を使ってそっと席を外してくれたようだ。そこまで気をつかわせてしまった事を申し訳なく思う。


 最後のおにぎりを食べ終わった時、彼の目に寂しさはもうなかった。




 そうしてまた彼は紙にペンを走らせた。

 これ以上、故郷から文化が全く違う世界に飛ばされる者がいなくなるように。

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紙とペンと温かいおにぎり ちかえ @ChikaeK

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