紙とペンと繋ぐ夢

なるゆら

紙とペンと繋ぐ夢

「返事がもらえるんだって」


 なんの話をしているのかと思えば、手紙のことらしい。

 手紙を書けば、返事がもらえることもあると思う。


「書かなくても、もらえるんだって」


 書いていない手紙の返事がもらえる。それはおかしい。どういうことなのだろう。何に応えた手紙なんだろう。届いたとして、それは返事だといえるのだろうか。不思議なこともあるものだと、噂になっている理由がわかった。




 川を渡った向こう側。少し変わった人たちが住んでいる場所だと聞いている、反対側の町外れ。ミアナが暮らしている場所とくらべたら雰囲気は違っていたけれど、変わっている感じはしない。立ち並ぶ建物が古く、通りには生活感が感じられない。歩く人に出会うことがなかったのが変だといえば変なのだろうか。住む人がいなくなった街だと説明されていれば、確かに信じていたかもしれない。


 夢見鳥の左眼という屋号らしい。二階建てになっている建物の一階は商店のようだ。大樹の太い枝の部分だけを切り取って巨大な炭の塊にしたようなオブジェがショーケースに横たわっている。どんな意味があるのか、そもそも本当に木でできているのかも見ただけではわからない。売り物だとしてもどんな使い道があるのだろう。などと考えながら扉を開けると、コロコロと聞き慣れない不思議な音がした。


 店内は薄暗かった。真ん中の狭い通路の脇には、赤黒い木材でできた腰ほどの高さの台がいくつか並んでいる。散乱しているものはあっても陳列されていると感じるものはなく、本当にお店なのかと疑う。ただ、清々しさを感じるタイムのような香りが室内には漂っていた。料理を出す店かもしれない。それでもこれは……などと考えたとき、声がした。


「客か? もう、『返事の手紙』はやってないよ」


 奥の方に誰かいる。薄汚れた水色の幕が何本かカーテンのように垂れていて、その向こう側に人がいた。机の上には本や書類が乱雑に積み上げられている。座って何かを眺めている青年。重なった本の中に埋まっているようだった。


「きみも、それを聞いてやってきたんだろう」

「……『返事の手紙』って?」


 青年がこちらを向いた。目にかかるくらいの銀白色の髪。丸く開いた襟から見えている肌の色はミアナよりも白く、首や肩は細く痩せていた。目を閉じているためか青年の感情は読み取れないが、引き締まった表情に、ミアナは自分が責められているような気持ちになる。


「知らないのか? じゃあどうしてこんなところに? せっかく来てもらったのに悪いんだけど、ご覧の通り売れるものはなにもないんだ」

「……いえ」


 ミアナは、追い出されそうになるのを踏みとどまって続けた。


「出していない手紙に返事が届くと聞いたのですが、どんなことをされていたんですか?」


 青年はため息をついた。


「返事を書くだけだよ、が」


 そんな。依頼した人たちはどうやって納得したのか。会えない友人からの返事だと信じたのか。遠くに暮らしている親からの手紙だと信じられたのか。


「断っておくけれど、僕が代わりに書いていることは依頼した人たちも知っていることだ。目の前で書いていたんだから」


 目の前で書く? 違う人物が書いていることがわかっていて、依頼者たちはそれで良かったのだろうか。ミアナはまだ何も言っていない。けれど、これは青年にとって繰り返されたやり取りなのだろう。声に苛立ちがこもっているのがわかった。


「きみは、僕がしていたことを『不正』だと、わざわざこんなところまで非難しにきたのか? 違うだろう」


 閉じられたままの目をじっと見る。神経質になっている青年。こころなしか声が震えている。用がないのならミアナはそろそろ立ち去るべき頃合いだろう。けれど、確かに彼の不正を暴くために来たわけではなかった。


 返答せずにいると、青年はひとつ息を吐いて、頭を下げた。


「――すまない。きみは悪くない。僕がどうかしている」

「……いえ、あなたの言った通りです。聞いていただけますか?」


 方法はわからないけれど、ミアナにも出せなかった手紙、欲しかった返事があったのだ。


「……しかし、きみは懐かしい香りがするね。そう、焦げたバターのような、とても、おいしそうな匂いだ」


 一瞬、意味がわからず困惑する。しかし、ミアナは職場の匂いが染みついているのだと思い至る。指摘されることはあまりないが、青年は鼻がいいのだろう。


「今度くることがあったら、お土産にひとつ持ってきてもらえるかな? それが条件でどうだろう?」

「わかりました。お約束します」


 ミアナが頷いて答えると、青年は苦笑いを浮かべた。住んでいる人たちが変わっているといわれるのはこういうことなのか。




 青年の名はアルトゥール。『夢見渡り』だと名乗った。それが何をする人なのかをミアナは知らない。返事の手紙に関係はあるのだろうか。ミアナはいくつか尋ねて、いくつか答えた。


「なるほど、きみは生き別れた弟からの返事が欲しいんだね。だけど、その弟は自分の意思で出て行った。……手紙も寄越さないことを考えるといい返事にはならないかもしれないけれど、確認をする……でいいんだね?」

「あなたがそう言うと、そんな返事になりそうですが……」


 淡々と語る様子を見て、ミアナはアルトゥールのなにかがこじれているのがわかった。


「きみは誤解してる。のは僕だけれど、のは僕じゃない」


 どういうことなのか。ますますわからない。


 アルトゥールは困惑しているミアナを気にも止めずに準備を始める。辺りがタイムから、甘い香りに変わった。リンゴに似た、カモミール、マトリカリアのような。


 ミアナが見る限り、アルトゥールはずっと目を閉じたまま。かといって、話すときにはこちら側を向き、手に取るものを探ったりしない。閉じていても周囲が見えているようだった。どうしてなのかはミアナにはわからない。不思議だけれど、そうなのだ。


 考えてみれば、目を開けていればものが見える説明をすることだって難しい。返事の手紙というものも、こうなっているといわれれば、受け入れてしまいそうだ。


「じゃあ、そこに寝てくれるかい? 伝えたいことを思って、返事が欲しい人のことを考えて眠ってくれるといい」


 アルトゥールが指さしたのは、所々が裂けてボロボロになっているソファー。ごわついたブランケットはしわだらけだ。しかし、ミアナが反射的に抵抗を感じたのは、当然そんな理由ではない。


「大丈夫、きみが眠くなくても、眠らせることはできるから」


 むしろ心配が増した。しかし、アルトゥールの言葉が本当であれば、気にしたところでもはやどうしようもないことだろう。だからといって、気恥ずかしさや不安がなくなるわけではない。ミアナは少し考えて、遠回しな言い方では伝わらないだろうと、素直に確認してみることにする。


「これから何をするんですか?」


 抗議の気持ちも混ざってしまった。

 アルトゥールが反応して手をとめる。


「その説明は必要か……」

「はい。今後のあなたのためにもそういった説明はすべきだと思いますが」


 ミアナの言葉の真意は伝わっていないようにも見えたが、アルトゥールは渋々といった表情で頷くと、説明は続けた。


「これから、きみは思い描いた人の夢を見る。伝えたいことを伝えるといい。僕はその夢を見せてもらう。そしてここからが『返事の手紙』を書くために必要なこと。僕は、きみの夢に出てきた人に『夢を見せる』ことができる。見せた『夢へと渡る』ことができる」

「……見せる? 渡る?」


 アルトゥールは、直接知らない誰かにも夢を見せることができて、人が見る夢の間を行き来すると?


「そう。今回の場合きみの弟だね――に夢を見せて、僕はそこへ行ける。きみが伝えたいことを伝えられる。相手も答えるだろう。……僕が書くことができる返事の内容は、『夢の中での相手の答え』だ。夢を見ている人は目覚めると、夢の中での出来事のほとんどを忘れてしまうけれど、僕は人の夢の中にいながら、紙とペンとで『外に書き残す』ことができる。そうして書き残したものが『返事の手紙』になるんだ」


 夢を見せて、その夢を覗くことができる。可能ならすごいことだ。しかし、ミアナは違和感を感じた。おかしいのはすべてだけれど、そうではなく、それは、できないよりもできた方がいいことなのかどうか。


 人は、夢の中でも現実と同じように振る舞うとはいえない。思い通りにならないことに憤って行動に移すかもしれない。普段の関係では言えないようなことも、不思議と条件が整って言えるのかもしれない。現実よりも夢の中の方が幸せだとは言えないし、むしろ不条理なことは起こり得る。


 夢を覗けるということは、心を覗けるということではないし、当然、その人を思い通りになどできるはずもない。


「丁寧に説明したつもりだけれど……、これはお土産をおまけしてもらわないといけないね? そうだね……興味があるのなら、きみも『夢見渡り』になってみるかい?」


 ミアナが答えられずにいると、アルトゥールは痩せこけた顔で冗談だと笑った。




 アルトゥールから返事の手紙を受け取った。複雑な気持ちになりながらもミアナは、その手紙を見て弟らしいと思う。アルトゥールの言葉を信じれば、どんな内容の返答であっても、ミアナの弟はどこかで生きていて、暮らしているということだ。それだけでも依頼した意味は十分あったと感じる。


 夢見鳥の左目の扉を開けると、コロコロと不思議な音がする。やはり聞き慣れないけれど、調子の外れた音も悪くないと感じる。バゲットを一杯に詰め込んだカゴを抱えてミアナは扉をくぐった。


「こんにちは、お邪魔します」

「ああ、きみか。……うん、とても良いお土産を持ってきてくれた。懐かしい香りだね。焦げたバターのとても、おいしそうな匂いだ。……ところで」

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