試し書きの恋

勇今砂英

水色のペン

「じゃあ、あずさちゃん、そろそろしまいますか。」

そういうと店長はシャッターを落としにかかる。

私は店を見回してから、店内の片付け作業に入る。

といってももう8時ごろからほとんど客入りは無いので大半はすましているのだけれど。


シャッターを閉めた店長は鼻歌を歌いながらレジ閉め作業をする。今夜は米津玄師らしい。「あの日の悲しみさえ」のしみーのところが外れてて調子が抜ける。

それはそうと私は閉店時にちょっとした楽しみがある。


それは試し書きの紙の回収。

長さ5m程のペンコーナー。色とりどりのインクペンやボールペンが並ぶこの一角は小学生からお年寄りまで多種多様なお客さんが入れ替わり立ち替わりやってきてはその使い心地を見る所。手にとったお客さんのうち、実際買ってくれるのは1割もいいところ。中には毎日色々なペンを物色するのに何も買わずに帰っていく人もいる。

そんな人たちが試し書きをするために、10センチ×5m程の白い紙がガラスケースのへりに敷いてある。私はこれに書いてある落書きを見るのが好きだ。


ほとんどは意味のない、書き味を確かめるためだけのニョロニョロした線やギザギザした線。でもそれに混じって色々な言葉や簡単なイラストが描かれたりしていて見てて楽しい。

「パンケーキ食べたい」とか

「そろりそろり」みたいなギャグとか

「薔薇」や「檸檬」といった難しい漢字系。

それから

「月末やばい」とか

「旦那のバカヤロー」みたいな愚痴系。

中でもお気に入りは、

「○○先輩大好き」みたいな誰にも届かない告白系。私はこれを発見するとキュンとする。恋に胸焦がしながら誰にも言えない想いをこんな場末の文房具店の試し書きの端切れにしたためる女子学生を想像して悶える。


今夜もそういったのは無いかなと色々物色する。

「うどん」と書いた横になぜかカレーのイラストを描いたものや

誰かが描いたうんちのイラストをソフトクリームに改変したような痕跡のあるものの中に紛れて、一節の文章が目に止まった。


「☆店員さん、好きな動物は何ですか?」


丁寧で読みやすいその質問は水色のペンで書かれていた。

え、これって私に宛てて?それとも店長かな?

でも店長はおじさんだし、きっと私だよね?きっとそうだよね?夕方まで働いてたカナちゃんの可能性もあるけど。これが書かれたのが5時以降なら。


質問の隣には同じ色のペンで

「←答えは緑色のハートで囲んでください!」

と書かれていた。


そうか。私に返事を求めているのか。そりゃそうだ。

ウチの店では朝一に来たお客さんが真っ白な紙に試し書きするのを躊躇しないように、閉店業務のアルバイトが新しい紙を貼ったあとに適当に落書きを一つ、書いておくことになっている。だいたいはニョロニョロを赤いペンで、それから1mぐらい隣に青いペンでお花を描いておしまいなのだけど、今日はどうしようかな。答えてあげるべきかしら。


「あずさちゃん、終わった?」

店長の声がした。

「はあい。もう終わります!」

私はあわてて剥がした紙を丸めて、持っていたレシートの紙みたいなロール紙をガラスケースにセロテープで貼り付けてから、

「ネコ」と緑色のペンで描いてハートで囲んだ。


自転車で家路につく間、私はあの質問を書いた謎の人物に思いを巡らせていた。

あの字は男性かな、それとも女性?年齢は?止め跳ね払いはそれほどしっかりしてなかったけれど形の良い読みやすい字だった。やはり学生かな。あんな戯れをするならきっと若い人だろう。男の子だといいな。毎日文房具屋で見かける綺麗なお姉さんに一目惚れした中学生ぐらいの男の子(イケメン)が、その悶々とした想いを紙にぶつけて・・・ムッフフ。


アホで都合のいい妄想に思わずニヤけてしまった。誰かに見られてやしないかとキョロキョロ辺りを見回してから、私は勢いよく自転車を漕いで逃げるように帰った。


翌日のバイトはもうあの落書きのことばかり考えていた。

ペンのコーナーに行く人を一人一人ジロジロ見てしまう。

あのおじさん?いやいや。あのおばさん?いやいやいや。あの男の子?いやーちょっと小さすぎるかなぁ。

そもそもなんでハートで緑?ああそうか、赤やピンクだと他に描く人が多そうだもんね、緑のハートって確かにあんまり見ない。

なんて思っているうちに、なぜだかその木曜日は年に一度あるか無いかぐらいの忙しさになってきた。

いつも学校帰りの学生や会社帰りのOLやサラリーマンが来る時間帯は一日のうちで一番忙しいのだけど、それがずいぶんと長引いた。カナちゃんにも店長が無理言って帰る時間を延ばしてもらい、気がつくと閉店間際になっていた。

「ごめんね。カナちゃん。残業つけるからね。」

店長がカナちゃんを帰すと、やっと閉店の準備に入る。


私はペンコーナーへ行く。

お客さんの多かった今日はいつにも増して試し書きでびっしりと埋め尽くされていた。

左から右へと剥がした紙を送っては目的のあのきれいな文字を探す。

「南無阿弥陀仏」とか

「エロイムエッサイム」とか書かれてて今日のは独特。

うさぎの絵や多分嘘のQRコードが描かれたところを通り越して

フリーザとサーバルちゃんを過ぎた辺りで

「あった!」

思わず声に出してしまった。

「んー?どうしたの?」

残念なピースサインを口ずさんでいた店長が声を掛ける。

「いえ、なんでもありませーん!」

顔が熱くなるのを感じながらその水色の文字を見る。


「☆僕は犬派です。」

「好きな食べ物は何ですか?」


ニヤニヤしてしまう。

このーお見合いかよ。このー。ウブな奴め。イケメン中学生男子(想像)。

私が忙しい間を見計らいやがったなシャイボーイ。

私は緑のペンで


「肉」と書きかけてから、ちょっとそれは無いなと思って

「ケーキ」と描いて書きかけの肉の字をいちごショートに改変して緑のハートで囲んだ。


それはともかく私と名前も姿もわからない謎の人物との文通とも言えないほどのささやかなコミュニケーションは続いた。


彼は犬派でそばが好きでキュウリが嫌いでクイーンが最近のお気に入り。テレビはほとんど見なくてラジオや音楽や小説や映画を好む。背は高い方で声は低い方。

でもあえて私は性別や年齢が分かるような問いかけはしなかった。会うつもりもないし、想像のままにしておいた方が楽しかったから。


そんな小さな文通がある日突然途絶えた。理由はわからない。

最後に私からした質問も取るに足らないものだったはずだ。

ちょうどその頃から私は就職活動を始めた。彼氏もいないし結婚はまだするつもりもないし、今の生活は文房具店のアルバイトだけでは正直苦しいところがあったから。

前の会社では随分と人間関係で苦しんだけれど、この普段は暇なお店でゆるい人間関係の中で働くことで随分充電できたと思う。そろそろ次に進もうと思った。


文通が途絶えて3ヶ月ぐらい経ったある日のこと。

私は運送会社の事務職に中途採用が決まり、この春からそこで働くにあたり、文房具店は3月いっぱいで辞めることになっていた。

いつものように店番をしているとサングラスをかけた背の高い女性が「これください。」と水色のペンを店頭に持ってきた。


「今年の花粉はすごいですね。」と彼女が女性にしては低い声で話しかけてきた。

よく見ると目元は真っ赤に腫れていた。それを隠すためにサングラスをしているのか。

「ほんと、今年はすっごいですねー。」と愛想笑いをしてみる。

すると彼女は一瞬何かを言いそうになったように見えたけれど、小さな紙袋に入れた水色のペンを受け取ると、少し笑ってから

「弟がここの試し書きで店員さんにお世話になったって言ってたわ。ありがとうって伝えといてって。」と言った。私は

「あ。あれ、あなたの弟さんだったんですね。私もすごく楽しかったです。ぜひ弟さんにも伝えてください。」とだけ言うので精一杯だった。彼女は少し後ずさり始めていたから。

彼女はニッコリと笑い直して。

「必ず。」とだけ言うとくるりと振り返り颯爽と店から去っていった。

きれいな人だった。私はなんだか少し胸があったかくなった。


☆♡


わたしが自分の夫を愛せないと打ち明けてから離婚までは本当に早かった。

家族を喜ばせるためとは言え、結果的に全ての人の期待を裏切ってしまったわたしはあの日、失意のまま離婚届を役所にもらいに行き、その帰りに文房具店に立ち寄った。


黒いボールペンなら何でもよかったのだけれど、すぐには家に帰りたくなくてペンを並べたコーナーで別段興味の無いカラーペンを次々に選んでは、意味を持たない線を試し書きの紙につらつらと書くという事を繰り返していた。


すると、私の脇を通りがかった店員の若い女性が私に話しかけてきた。

「あのぅ、何かお探しですか?」

「あぁ、いえ、なんというか、ボールペンを買おうと思って。」

そう言うと彼女は

「これなんかどうです?このボールペン、油性なんですけど、新色の水色が出たんですよ!」

と屈託のない笑顔で白い歯を見せて私に薦めてきた。

わたしはその笑顔に胸を撃ち抜かれてしまった。

結局わたしはその日その水色のボールペンだけを買って帰った。

それからわたしは文房具店に通うのが日課になった。彼女と素性を知られぬまま関わることはできないかと考えた結果、試し書きで文通できないかと思い立ったのだ。

子供染みた発想で恥ずかしい気持ちもあったが、答えが帰って来た日は胸が踊った。

その後夫との離婚協定が進み、私は実家に帰る事になった。


最後にもう一度、彼女に会って行こう。

行く前から私の目からは拭ってもぬぐいきれないほどの涙で溢れていた。


彼女には弟が文通をやっていた事にしよう。もともと架空の男の子のつもりでやっていた戯れの文通だ。

レジで再び彼女の笑顔を見た時、思わず本当のことを言いそうになったけれど、今の私にはこれ以上傷つく勇気は無かった。


文房具店を後にしたわたしは胸を二回叩いてから、また歩き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

試し書きの恋 勇今砂英 @Imperi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ