異世界古刹巡礼

砂塔ろうか

天空独立学園浮遊都市ジョグノック・ヘルグ

13月7日

 春眠暁を覚えずというやつで、このうららかな陽射しの中にあって私は常より遅れて起床した。御者ぎょしゃには

「飛竜籠に乗ってそんな呑気にしてられるとは大したもんだ」

 と、皮肉られてしまったが仕方ない。これが私。三千世界のどこであれ、揺らがぬ男、小宮はつのりなのだ。


 昼頃、御者に言われて籠の外を見てみると、雲海からひょっこり頭を覗かせる山嶺を確認した。ゴツゴツした鈍色の岩肌は若草色の草ぐさに彩られて、少しばかりの華やかさを醸し出す。なんとも幻想的だが、その程度では済まぬがこの世界のところ

 山嶺の頂、その平らになったところから一本の柱が伸びている。数多の魔法陣を伴ったその柱は驚くなかれ、一個の巨大な魔法陣を足場とする天空都市へと伸びている。これこそ、この飛竜籠の向かう先。天空独立学園浮遊都市ジョグノック・ヘルグである。


 飛竜港より降り立った私を出迎えたのは、この都市の事実上のおさたる学園長、ミ・ジェルヴォン氏であった。氏はいかにも異性受けの良さそうな切れ長の美男子であったがしかし、それを鼻にかけた様子はなく、誠実と真面目と美しきとを均等に混ぜあわせたかのような好人物である。街の民からもいたく慕われ、かく言う私も、街や学園を案内してもらっているうちにふと、この男の背に後光が差しているかのような錯覚を得た。


 ひとしきり案内が終わると氏は私に一人の女子生徒を紹介した。氏の娘らしい。この世界では珍しくもない、長耳が大きな特徴の、不老長寿種族の娘である。

「生徒長、ミ・ヴィルメプチェートです。どうぞ、ヴィートとお呼びください」

 物怖じした様子は一切見せず、ヴィートはそう名乗った。生徒長とはそのまま、生徒の長のことらしい。

 彼女の翡翠ひすいの瞳は宝石のように美しく、それでいて森羅万象すべてを見透かすかのごとく。不躾ぶしつけにこちらを見るその瞳に私はびくりとさせられて、言いようのない居心地の悪さを覚えることもしばしばであった。

 ヴィートには学園施設の案内をしてもらった。ジョグノック学園は都市の中央部に位置する。きれいな円形の敷地内には中央の都市管制塔を中心として円状に、建物が並んでいる。その造りはパノプティコンを想起させた。

 夜になり、来賓用宿舍の屋根へ上って一人、こうしてペンで今日の出来事を記述しつつ星を眺めていると、誰か来た。

 ヴィートだ。意外そうな顔で、彼女は問う。なぜここで星を見ているのかと。

 星が見たくなったから。そう答えると文字ばかり書いてないでこっちを見ろと怒ら れてしまった。

 

 星々の下にて二人宇宙そら眺む風は冷たく言葉少なし


 ヴィートはよく、独り屋根の上に上り星を眺めているらしい。彼女は多くは語らない。しかしその眼差しには、歳相応の不安定さがあった。


13月9日

 ようやく記述の時間がとれた。

 昨日は激動の一日であり、私は今の今までペンを持ち、この手帳に出来事を記すこともできずにいた。

 今も、時間はない。ゆえ、簡潔に記す。昨日、私はレジスタンスに誘拐された。レジスタンスの中心は、ここが都市となる前から住んでいた先住種族の者達。彼らの瞳はヴィートと同じ翡翠色であり、聞けば彼女はこの先住民族の血を引くという。

 私はこの都市が誕生した経緯、および学園外の者達に敷かれた恐るべき苛政、そしてヴィートを事実上の人質とする学園長の卑劣極まりないやり口を聴いた。私は所詮一介の旅人に過ぎず、過度な干渉はならぬ身の上であるが、私は協力を約束した。

 私のこれまでの紀行文を読んだ諸君は知っていようが、私はこの異世界の名刹・古刹……宗教的建築物に巡礼するするために旅を続けている。私がこの都市を訪れたのも、無論そのためである。しかし、昨日、まだ私が誘拐される前のことである。

 ジェルヴォンにそれとなく、ここの古刹ヘルガンヌピュート訪問の是非を尋ねたら、氏は何人たりとも立ち入りは許されないと答えた。氏はその理由を浮遊都市の浮力が乱れるためだと言っていたが、レジスタンスいわくそれは彼のウソだという。

 元々、この都市の下部には地面から距離を取る術が掛かっており、ここの浮遊に古刹は一切関与していないのだ。


 古刹の本来の機能。それは情報の集積と解析にある。

 古代の民が、生命力の強い、不老長寿の己らの中から出た罪人をとらえておくための牢獄として、かの学院の原形たる浮遊城は利用されていた。そこに住まうは罪人のみ。看守は不要。古刹がその役目を果たす。罪人に改心の兆候あらば、古刹は犯罪者を城より村へ帰還させる。また、凶悪の度合いが増していると判断されれば、その者は浮遊城からの放出を免れない。ただの落下ではない。文字通り、天の彼方へと罪人を放出――飛ばすのだ。その軌道計算もまた古刹によって行われ、「確実に村へ帰還できない場所に落下する」ようになっているらしい。

 そんな村に、侵略者が現れた。その名こそ、ジョグノック。ちなみに街の名の最後の部分、ヘルグは、彼に村の存在を教えた情報提供者の名である。

 三百年前、村に襲来したジョグノックは村人どもを捕まえ、なぶり、一部を奴隷として世界の各地に売り払ったという。その非道の数々に私は新大陸発見時の出来事を想起したが、ジョグノックは、あるいは、我々の世界の誰よりも非道かも知れぬ。


 村を制圧したジョグノックは罪人管理用施設ヘルガンヌピュートを手中に収め、それを己に都合の良く作り変えたのだ。また、地上の畑には塩をまき、不毛の地として、浮遊城へ住まうことを人々に強制。浮遊城と村とを行き来するための昇降機を乗っ取り、その上に建つ観測塔を都市管制塔となし、己が牙城にした。彼らの話によれば、管制塔の地下には今もなお数名が奴隷として閉じ込められており、ジョグノックの慰み物にされているそうである。

 そう、今も。ジョグノックは生きているのだ。名を変え、村人の身体を研究し自らの身体を不老長寿のそれにして。彼は今、ミ・ジェルヴォンと名乗っている。


 翡翠の目憤怒ふんぬに燃えてかく語り我にも伝染うつ赫怒かくどの炎


 今日に至るまで、彼らは古刹奪還用の術式を構築し、そして、作戦実行に必要な人員を着々と集めていたのだ。彼らの首長は占いを能くする。首長の占いによれば、どういうわけか最後の一人、必要な人員は私であるという。

 奇妙な話だが、私は了解した。理由については先述の通りだが、一番の動機は古刹を訪れられぬ理由が嘘であったという、ただそれだけの話である。

 決行は、明日。


 ◇


 すべてが終わって数日経った日の夜。風が髪を揺らす中で、ヴィートは言った。

「ありがとう、小宮さん。私を一緒に連れて行ってくれて」

 小宮とヴィートは山の中腹にいた。山、とは浮遊都市の下にあった標高4000メートルは下らない霊峰のことである。

「気にしなくていい」

 小宮はぶっきらぼうに言い放った。文章からは饒舌な印象を与える彼だが、実際のところ、口数は少ない。

「どーして喋るとなると、こんな無愛想になるのかねぇ」

 ヴィートがにやつきながら言うと、小宮はむっとした。

「あっごめんごめん! だから日記に『存外性格が悪い』とか書かないで!」

 小宮は手帳にペンを走らせるのをやめた。

「……にしても、なんで小宮さん、わざわざ紙とペンで日記なんて書いてるの?」

「はじめに言っておくが……これは日記ではない。紀行文だ。いずれ俺の友人に本として出版してもらう」

「……あー、だからあんな説明的なんだ……。で、なんで? 小宮さん、身体に電子デバイスも内蔵されてるでしょ? わざわざインクを消費しなくても紀行文は書けると思うけれど」

「……インクを使ったほうが、紙を使ったほうが、私は落ち着く。それだけだ」

「ふぅん?」

「それより、」

 小宮は後ろを振り返って言った。視線は山の頂上、浮遊都市の方へと向いている。

「良かったのか、あそこに残らなくて」

 ヴィートは空を見て答える。

「うん。彼らが私をおもんばかってくれていたのは知ってる。でも、あの人に虐げられていた皆が私を同族だと認めてくれるとは思えない」

 ヴィートは己の体を抱いた。

「その体のせいで、か?」

「直接、なにかされたわけじゃない……けど、この体にはあの人が自分を改造した残滓がある。現に私は、小宮さんの体液を取り込んで、身体を再生させて、同時に記憶や知識を吸収したわけだし。しかもそのせいで小宮さんの右腕、ダメになっちゃったじゃん」

「気にするな。そのうち修復される。それに、」

 小宮は左手でペンを掲げてみせた。

「私に利き腕はない。こうして紀行文を書くのにも支障をきたしてはいない」

「ありがと。……ていうか、小宮さんこそ良かったの? あの、ヘルガンヌなんたら壊しちゃって」

「あれは……古刹とは呼べん」

「?」

 小宮はそれについて記した文を見せた。

「あー、なるほど……」

 ヴィートは納得して、そして星を見る。

 小宮も、釣られて星を見た。二人が初めて会った日と変わらず、空に光る星々を。


 ◇


13月10日


 げに愚か言ふ甲斐なしかの施設古刹ならずして下品極まる


 そういうわけで古刹は機能面のみならず外観においても、ジョグノック色に塗り替えられていた。あんなもののためにインクを費やすのは勿体無いので多くは語るまい。あれはもはや、あの男の腐った性根を満足させるだけの娯楽施設である。無論破壊した。可能な限り破壊した。あれを彼らに見せるのは気がひけた。

 ちなみに革命は成功。あの男は死んだ。


(略)


13月13日

 今日も山を下る。ヴィートは解放された反動からか、妙に小うるさい。存外、性格が悪 くはないがやかましい。何が喧しいといえば、私の擬似血液を吸ったために、彼女が日本語を解するようになったことである。これの中身も筒抜けだ。


 星々の下にて二人宇宙そら眺む風穏やかに我らを包む


 明日には麓に出られよう。


 注:もしも読者諸氏が街なかで翡翠の瞳をした耳長の美しい娘を見かけたならば、その時は彼女が我々の世界にまで付いて来てしまったのだと、了解していただきたい。

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異世界古刹巡礼 砂塔ろうか @musmusbi

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