第30話 趙無眠氏著:『もし、日本が中国に勝っていたら』_論考(2)
【趙無眠氏著:『もし、日本が中国に勝っていたら』_論考(2)】
(著者 趙無眠 訳者 富坂聡 文春新書 2007/2/20)
【趙無眠氏は中国人の複雑な感情を書き記している】。
抗日戦争での中国側の損失は計り知れない。一般に用いられる統計によれば、数千万人の犠牲者があり、戦場で死んだ兵士は約百三十二万四千人とされる。日本軍の捕虜となった中国側の軍人も多く、南京政府軍に組み入れられた兵士数だけでも数十万人である。経済損失は、家を失った者だけで三千万人と言われる。
(ボーロンも思う。これでは恨みに思わない筈がない)。
趙無眠氏は言う。【中国人の感情は非常に複雑である】。
恨みのある日本であるが、広島・長崎の原爆の話を聞けば、突然目が覚めたかのように、日本を哀れみ、アメリカ軍の兵士に日本人の少女が強姦されたと聞かされると、隣村の少女が西洋人に酷い事をされたと聞いたときと同じような受け入れがたい感情を抱いたりする。日本の商品を絶賛し絶大な信頼を置きながら、製造者である日本人を“小日本”と蔑視する。
【第二次世界大戦には全く別の局面が予想できた】
晩年アメリカに逗留した国民党政府の李宗仁将軍は 回顧録で八年にわたる抗日戦争を振り返り中日双方の優劣について見解を書き残している。
「日本が中国を征服する気であったなら、ヨーロッパの混乱に乗じて一気に中国を飲み込むべきだった。 日本は平時、二十個師団の国防力であったが、動員をかければわずかな時間に四十個師団から、 五十個師団の規模まで動員できた。もし盧溝橋事件が起きる直前、日本全国に動員をかけ、まず三十個師団を派遣すると同時に、多方面から侵攻。電撃作戦で平漢(北京から、武漢にかけて)、 津浦(天津から南京にかけて)の両方面に分けて南下させ、一方で西北から出て戦略的に大きく迂回させ蘭州を占領。中ソの交通を遮断し、龍海線、すなわち中国を東西に走り西安に達する鉄道に沿って西進する部隊と呼応。峡西を挟み撃ちにして西安を占領し、甘粛から四川を望み、成都を睨むのである。また海のルートを利用し揚子江、珠江から西に侵攻し、南下する主力部隊と...」
*李宗仁は戦後は国民政府の副総統にも選ばれた抗日戦争の名将軍として知られる。
彼の日本の侵略戦争に対する分析は包括的で深く、また権威もそなえている。
抗日戦争の前後ではこうした仮説が中国人の頭から離れることはなかった。この最悪のシナリオこそが中国の軍民が奮起して立ち上がったモチベーションでもあった。
☆☆☆
中国にとって英米仏ソは代々の仇敵であり、ドイツとイタリアは最初に中国に大使を派遣した国であり、ドイツは長期にわたり軍事顧問団を派遣し武器を提供し兵士の訓練を行い最初の機械化師団の創設を手がけてきた。イタリアはドイツと共同で中国の空軍設立を助けた。日本の真珠湾攻撃の後になって【中国が連合国に加盟したのは僥倖に過ぎなかった】のである。
ボーロンは疑問を持つ。
【 日本の対英米の戦いは不可避だったのか? 】
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