第11話 Artist_戦略と戦術と戦果

Artist_戦略と戦術と戦果


『戦略と戦術と戦果_その論理構造』を書いた事から図らずも、新進気鋭の作家である神谷将人先生に「アーティストとはなにか」と問われた。エッセイを書く契機となった。

「Artist(アーティスト)とは何か」

 あなたの「Artist(アーティスト)」と私の「Artist」は違う。私の「雲仙(うんぜん)」とあなたの「雲仙」は違う。私にとって「雲仙」は、青く透き通ってパノラマのように浮かぶ山脈です。想い出が溢れて、涙しそうになる、幻想的に美しい故郷です。あなたの「雲仙」は「雲仙……、日本酒なの?なにそれ美味おいしいの?」などという意味しか持たないのかもしれません。そうであるならば、私は一瞬の衝動に心揺るがされ、貴方を殴りたくなるような気もします。それ程、私にとって「雲仙」は、忘れ難く感傷的になる、大切な言葉なのです。この様に言葉の意味は曖昧なものであり、人間の頭脳の中で、その意味は無限に深く拡がっていきます。そうではあるのですが、このエッセイの中でそれではいけない、私が「定義の曖昧な言葉で次々に連想を重ねていく頭脳にありがちな混乱から漠然と一般論を唱える」だけの人になってしまいます。一部のネット小説家や読者感想欄の読者にも、頻繁に観られる現象ですよね。それはともかく、辞書はことばの意味を説明したものであってことばを定義するものではない。と私は言わざるを得ません。


 先ずは辞書でArtistアーティストの意味を調べてみます。「芸術家、画家

がか、彫刻家、名人、達人、芸能人、歌手、俳優、〔名うての〕詐欺師、いかさま師」とありました。ここで芸術家として、文学者・詩人・音楽家の三者を明記して置きます。異論は認めない。私の使う言葉は私が定義するものですから。さて、芸術家は人間であり、人間の行動には全て目的(理由)があります。(諸説あるのですが、このエッセイでは目的と理由は同じ意味であるとします)

 意思に基づく人間の行動は個人の価値観を反映したものですよね。

 それでは、一般論として、人間にとって最高の価値(動機)を産み出す、人間の根源的な感情は何なのでしょうか? 私はこう考えます。《人間の最も根源的で本質的な感情は【愛】そのものである。人間の本質は【愛】である。何故ならば、【愛】なくして地上に人類は一人も生まれる事もなく、存在も、し得ないのだから。》

 先を急ぎましょう。論理展開は省略します。ご自分で考えてみて下さいね。


 神谷将人先生の問いにお答えします。

『Artistアーティストとは芸術を愛し、自らの産み出した新しいNew芸術的存在Existenceによって、人々の心の傷を癒し或いは人々の心の傷を抉り、社会に貢献する人のことである』



 『戦略と戦術と戦果の判断基準で判断するのだから、Artistの存在理由(レゾンデートル)が即ち戦略目的となる』次に考えるべきは戦略目的を建てる

(知る)事。さて、その答えはもう出ていますね。Artistアーティスト

の定義を何度か音読して下さい。お判りですね。アーティストの目的は社会に貢献する事なのです。貢献せざるを得ないのです。何故なら、芸術を愛し新しい芸術を産み出したならば、それを世に問い、認知され称賛されない限り、アーティストの【愛】は完結しないからです。ただ己(おのれ)の精神世界に沈潜(ちんせん)し己の芸術を愛する事に終始するならば、その人をサイコパスと呼ぶきでしょう。行く先の末路は狂気の世界とその崩壊(ほうかい)です。The Deadly Disease ですね。愛は嫉妬(しっと)と憤怒(ふんぬ)の罪源(ざいげん)であり憎悪(ぞうお)の母でもあります。

 文明に於いては余剰(よじょう)は欠乏(けつぼう)の源泉であり欠乏が余剰の源泉となる。のだそうです。江戸時代の大飢饉だいききんの時も武士階級に餓死者(がししゃ)はいなかったそうです。島原の乱でキリシタンたちが原城で飢えていた時も、城外で食料は余っていたのです。嘗ての琉球(りゅうきゅう)王国であった時の沖縄も同様でしょう。第二次世界大戦で、ガダルカナルの日本兵が餓死した時も、バターンのアメリカ兵が飢えていた時も、世界に食料は有り余っていたのです。現代の日本でも餓死者がでています。

 そこに【愛】はあるのでしょうか?

 ”その人のために死ねるか。それはわたしたちにとって ひとつの踏絵であり つきつめれば それこそが愛の定義である。そう考えると私達は絶望的にもなるが 愛は同時にすべての人を包む力をもっている。それは生命そのものであり それだけに哀しく しかもまぶしく輝いている。( 曾野綾子『誰のために愛するか』)”、この【愛の定義】は真理だと、私は思います。

 曽野綾子さんと、思想的に対立しているらしい、大江健三郎さん。お二人とも高名な文学者です。

 お二人とも世界的に大きな功績がおありです。

 このお二人を、目的と手段と効果の判断基準で、みな様それぞれで、判断してみてください。

 私には限界があり、今は判断能力がなく、力及びません。無念ですが。


「目的と手段と効果の判断基準」を考える時に思い出されるのはマキャベリが言ったという次の命題。

【目的は手段を正当化する】この命題は真理なのでしょうか?

 マキャベリズムで知られるマキャベリの言葉だそうですね。(君主論)

 人間は社会的な動物でありアーティストも社会的な生物ですよね。

 何が言いたいのか、論理展開していきます。


 Artist_戦略目的と戦術手段と戦果効果

 このタイトルはアーティストを上記の判断基準で判断するという意味であるとします。

 どんな社会 (コミュニティ)でも或いは大宇宙にもルールがあります。ルールが壊れれば社会も宇宙も崩壊します。そのルールを適用してアーティストも評価されるべきだと私は思うのです。


 ーーSF作家のアシモフ博士は化学の博士号を持つ、15才でコロンビア大学に入学した天才であった。

 彼は作品に登場するロボットが人間に危害を加えることなく人間に信頼され、ロボット工学が発展しロボットが人間社会を豊かで自由な社会の礎(いしずえ)となるように、ロボット工学3原則を考案した。後に高度に発達した陽電子脳の論理回路を持つロボットが、人間社会に溶け込み人間社会を運営する様になった。その時、3原則では論理が矛盾(むじゅん)し、ロボットは思考停止して、機能を停止する事態が多発する様になった。(なんて人間的な!)そして、作中でロボット自身により考案されたものとして、大零条が追加された。(大零条の人間を人間社会に、そして第一条の補則を私が書き換えた)ーー


 第零条

 ロボットは人間社会に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間社会に危害を及ぼしてはならない。

 第一条

 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。ただし、大零条に反する場合は、この限りでない。

 第二条

 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

 第三条

 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。


ーー上記の四原則は人間社会の原理そのものです。人類普遍の原理であり日本国憲法の理念だと私はおもいます。また、スペーサー国家ソラリア(惑星)では、肉体的な接近や接触が親子や夫婦の間でさえタブーとされて病的に忌み嫌われており、人間の繁殖も男女のセックスではなく、人工生殖とロボット保育に依存している。 グレディアという名のソラリア人の女性が人間の男性の機能を持つロボットを愛してしまった事は、人間とは何かという問いを、私たちに突きつける。ーー



 Artist_戦略(目的)と戦術(手段)と戦果(効果)

テーマに戻ります。答えはやはり既に出ているようなものです。

人間社会に寄与する最大級の良い効果が認定されるなら、全て許されて、アーティストは称賛されます。

アーティストが公然と猥褻(わいせつ)な性器露出しての男女の激しい性行為を伴うパフォーマンスを繰り返したり、公然猥褻の罪に問われる様な「芸術」を産み出したとしても、意味のない文化の束縛から人間を解き放ち、他者危害の原理に基づく真のリベラリズムの確立に寄与するならば、そのアーティストは全て許されて称賛されるでしょう。また、テロリストが英雄とされ、或いはテロリストが深く反省して更生し社会に有為な人となる機会を奪われて殺されてしまう事もあるでしょう。それらは歴史と世界に今ある事実が証明しています。


【目的は手段を正当化する】この命題は全く正しい。と私には思えます。怖くもあります。

だから、私は時々ではあるが、自分自身が思考停止して壊れたロボットであるかの様に感じるのです。

アシモフ博士が描いたギャラクシアこそが梵我一如(ぼんがいちにょ)の人類の理想の社会であるのだと私は思います。このネットコミュニティにその可能性を私は見いだしているのです。そこに可能性があるならば、人の気高い意思の力によって、いつかは可能となるのだと大いに楽しみにしているのです。

今はまだ一時的なものであるのだとしても、生産と消費の呪縛(じゅばく)から解放され、身分や職業や性別の制約からも、解き放たれた純粋な魂として、私たちは向き合い、繋がっています。楽しくなりませんか?


※神谷将人先生の「アーティストとはなにか」の問いからギャラクシアまで遠くまで来た。

マキャベリが正しいという結論も得た。本当に正しいのだろうか?

※グレディアという名のソラリア人の女性の愛に関しては私の幻想なのかもしれない。記憶も薄れてきた。私も遠くまで旅して来たのだから。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ボーロン [2019年 03月 04日 01時 39分]

以下に神谷将人先生に頂いた感想への返信を抜粋して転載。


膨大な知識も情報も通り過ぎて行っただけの様でも幾らかの残滓(印象深い事柄の)は残っていて、何かに関連付けられた時に甦るのですね。後はネットで調べると更に鮮明になるのです。知識や情報より重要なのは、例えて言うと,学生がLegal KnowledgeよりもLegal Mindと教わる様に知識より考え方ではないでしょうか。

知識を誇るような人間にはなりたくないと思ってきました。調べれば集まる情報よりも、考え方とその応用の訓練に時間を割いた方が有意義だと私は思います。


ボーロン [2019年 03月 03日 10時 18分]

感想ありがとうございます。

そして、おめでとうございます!

一般意味論の世界へようこそ!

私もまだ入り口あたりにいますけど。貴方の「升」と私の「升」は違うと書けばお判りでしょう。同じ言語を使っていてもまるで異国の人と話しているかのように感じる瞬間はあるものです。要は自分の言葉は自分で定義すると言う事ですよね。他人は他人。相手が混乱している様なら聞いてみる事です。特に、親しい女性や男性の場合は要注意ですよ。齟齬を放置していると離別に至る事もある様です。


そして、貴方は私の定義に該当します。書きたいから書いているのでしょう?その行動の意味は?もし、愛に、こだわりがあるのなら、書く事が好きだから書いているのでしょう?閉じこもる事なく、発表してるでしょ?夢見るでしょ?そこに貴方の気高い意思が現れています。

だから、貴方はArtistであり、新進気鋭の作家なのです。

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