紙の重さ
阿尾鈴悟
紙の重さ
ワザとやった訳ではありません。決して、決してです。幼さ故の過ち──いえ、それ以前の問題でしょう。何が善く、何が悪いか。当時の私には検討も付いていなかったのです。
私は記憶が残っている以前から絵を描いていました。あまり覚えてはいませんが、絵との親和性が高かったのでしょう。幼稚園のころなど、渡された折り紙に、隠し持った小さな鉛筆で、思いつくままのスケッチをしていたそうです。
中でも私が頻繁に描いていたのは、駄菓子でした。特に欲しいものがあったわけではありませんでしたが、当時の私はお小遣いの類を貰っていませんでしたので、近所の駄菓子屋で友人が買い物をする様子を眺めては、自分だけなにも買えないという虚しさに打ちひしがれていたのです。
そうした折、私は絵に価値が生まれることを知りました。それはなにも高名な画家の先生が描いた、世界にたった一枚だけの巨大な作品などではありません。
紙幣。
絵を描いただけの長方形の紙──それも、身近で世間にありふれているものによって、何か物が買えてしまう。当時の私には、それが不思議で奇妙なことに思えたのです。
私は長方形に切った折り紙の裏に鉛筆で一万円札を描きました。福澤諭吉先生が描かれる片面だけではありますが、良くできていたと思います。それを駄菓子屋へ持って行き、レジの前で座っているおばあさんに品物のとともに渡すと、彼女は目を丸くした後で、にっこりとほほえみを浮かべました。
「良く出来てるねえ。だけど、これは一万円札には成れないんだよ。だから、これくらい」
おばあさんは不完全な紙幣の絵の代わりに、小さなガムをくれました。
家に帰った私は、それを噛みながら、本物の紙幣とは何が違うのかを考え、翌日、私は白紙の折り紙に一万円札の両面を写して、再びおばあさんの元へ持って行きました。
「おや。また、良くできているねえ。だけど、これも一万円札には成れないね。だから、昨日と同じ」
おばあさんは昨日よりも楽しそうに笑ってガムをくれました。次の日には一万円札の大きさを測り、全く同じように切り出した紙で作りました。さらに次の日には、鉛筆からボールペンに持ち替えてお札を描きました。しかし、やはり、模写した紙は紙のままで、おばあさんは同じようにガムをくれるばかりです。当然といえば当然なのですが、私は納得が出来ていませんでした。
「これはお金と何が違うの」
むっとした顔で私が尋ねると、おばあさんはやはり笑顔を浮かべて手招きをしました。促されるままにレジカウンターへと入った私は、おばあさんの隣の椅子へ座りました。そうして、おばあさんはレジから本物の一万円札を取り出し、カウンターに置いたままとなっていた一万円札未満の紙と共に私へ手渡しました。
「何が違うか、見てごらん」
おばあさんの好意に甘え、私は左右の手にそれぞれの紙を持って見比べました。皺、折れ、汚れ、傷。一瞥するだけで多くの違いが見て取れました。けれど、新品と中古品のような違いで価値が変わるのなら、流通する紙幣の価値も変わってしまいます。絵柄には違いのない紙。それなのに価値が大きく違う。首を傾げながら、一部分ずつ、違いを探しました。すると、その一万円札には右端にボールペンと思しきもので小さな星印が描かれていました。
私は鬼の首を取ったかのように、おばあさんへ星印を見せました。顔から遠ざけたおばあさんは、目を細めて私が指し示した部分を良く見ているようでした。
「あら、本当だ。でも、それがあるから一万円は一万円というわけではないのよ。とはいえ、それが違うところでもあるの」
以来、私はお札を描くこともなくなり、駄菓子屋へ行くこともなくなりました。私の描いた一万円札は紙に過ぎず、一万円札は紙でありながら一万円の価値がある。この事実に、より分からなくなってしまったのです。
実のところ、今でも良く分かってはおりません。きっと死んだとしても理解できないことでしょう。ですが、紙幣は紙幣、紙は紙。そして、紙幣を描いた紙は、罪の紙です。私が描いたお札は、今も何処かにあるのでしょうか。
紙の重さ 阿尾鈴悟 @hideephemera
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます