第4話

 日曜日。

 ピンポーン――トリナはインターホンを鳴らす。

 間もなくして,「はぁい!」と,無駄にでかい声がインターホン越しに響く。

 「あ,尻井しりいです」

 「おぉ。今行くー!」と,さっきより1オクターブ高い,無駄にでかい声になった。

 ガチャ――右手でドアノブを掴んで姿を見せたゴンタは,左手にゲームボーイを持っている。そして,トリナのズボンのポケットに,ゲームボーイが入っているであろう膨らみをさっと確認すると,「よし,入れ!」と中へ誘う。

 「最初に何選んだ? フシギダネ?」ゴンタは,自分の部屋へ案内しながらトリナに問う。つまり,博士から最初にもらえる3匹のポケモンの中から,どれを選んだか,という問い。

 「ううん,ヒトカゲだよ」

 「そっか,オレと同じなんだな」ゴンタは,やや意外そうな反応をした。

 立て続けに彼の質問が飛ぶ。

 「……で,ヒトカゲはしたの?」

 「うん,リザードンになった」

 「お,凄いなぁ,お前,相当やってるなぁ!」ゴンタは,短い期間ながらも想像以上にトリナが攻略していることを知り,驚きを隠せない表情で感嘆した。

 ポケモンには,育成を続けたりすると,別の種類に姿を変えるものが存在する。これを,ポケモンの「進化」という。

 「何匹捕まえた?」ゴンタは,さらに攻略状況を探る。

 「50匹くらいかな?」すぐに,これまで手に入れたポケモンの数のことを聞いていると察したトリナは即答する。

 「おぁ。もう,そんな集めたんだな。てゆーか,昨日買ったんじゃないの?」

 「ううん,月曜日。親戚からもらった」

 「よかったじゃん。オレはこの前買ったよ」

 「へぇ,いつ?」

 「だから,この前。」

 「この前?」

 「うん」

 「……」

 若干不思議なやり取りを挟みつつ,ゴンタが自分の部屋に案内すると,この前話していた「通信ケーブル」なるコードを棚から取り出した。

 「あ,これが通信ケーブルなんだ」と,今初めてそれを目にしたトリナは言葉を発する。

 「そうだよ。でさ,こうやるとゲームボーイにささる」と,ゴンタは自分のゲームボーイに,通信ケーブルに接続する。

 「で,こっち側にお前のゲームボーイをさせば,ポケモン交換できる」

 「そうなんだ」

 トリナは,今までゲームボーイのその穴に何も挿したことがなかったので,興味を持ちながらも,これで本当にあっちのソフトと交換できるのかなぁ,と疑問にも思っていた。


 ――通信ケーブルを使ったポケモンの交換。これこそ,1996年2月27日に発売された,ポケモンの最初シリーズであるゲームボーイ用ソフト『ポケットモンスター 赤』および『ポケットモンスター 緑』における,原初にして最大の特徴である。

 そもそも,『赤』・『緑』と同時発売された2つのバージョンでは,基本的なゲームシステムやストーリーは同じだ。だから,基本的にはどちらか1つのバージョンのソフトを買えば良い。では,両者の違いは何か? 簡単に言えば,入手可能なポケモンの種類だ。同じ場所でも,そこに出現するポケモンの種類が異なったりする。つまり,「すべてのポケモンを集めて図鑑を完成させる」という偉大なミッションを達成するのに,1つのソフトだけの攻略では原則不可能。そこで必要なのが,ポケモン交換というわけだ。

 ポケモンのカセットが挿し込まれた2台のゲームボーイを別売の通信ケーブルで接続し,ゲーム内のシステムを利用すれば,めでたくお互いのソフトで所有しているポケモンを交換できるのである。ポケモンの集め具合は人それぞれだろうから,1人に限らず,できるだけ沢山の人と交換していけば,図鑑完成がぐんと近づくはずだ。

 この仕組みは画期的だったはず。当時,ゲームボーイにしろスーファミにしろ,一般的にゲーム攻略に必要な要素はほぼ「努力」のみであると言ってよかった。例えば『マリオ』などのアクションゲームであれば,時間をかけ,何度も繰り返し挑戦する努力を怠らなければ,いつかはエンディングを迎えられる――はず。もちろん,「努力」とは言わずに,気合い,情熱,passionパッション等と言い換えても良い。注ぎ続けたpassionがintegrate1つに合わされたとき,そこにエンディングが姿を表すのである。

 だが,ポケモンは違う。確かにゲーム内では遭遇しにくいポケモンや,遭遇しても捕まえづらいポケモンもいる。だから,飽くまで努力は必要だ。それでも,1人の努力だけでは図鑑は埋められない。オーキド博士を満足させられない。

 「友情」――これが必要ということになる。ポケモンとは,少なくとも努力と友情が必要なゲームなのだ。

 一応,友情がなくても――1人でも――ゲームボーイ2台とポケモンのソフト2つと通信ケーブル1本を手に入れれば事足りることもまた事実である。ただ,全部合わせると税別25300円なので,子供が親に25300円を要求しても,普通はゲンコツかビンタしかもらえないと思われるため,やや一般的ではない。

 まとめると,ポケモン図鑑の完成に必要な要素は,努力・友情・お金,ということになる。つまり,人間が現代社会を生き抜くための要素とだいたい同じである。ポケモン集めは,人生の縮図である。

 そして,この縮図において,周りにポケモンを遊んでいる友達や家族がいなくて,欲しいポケモンが手に入らない状態というのは,いわゆる「負け組」を意味する。ポケモンが別の種類に姿を変える「進化」は,通常,様々なポケモンと戦わせ,育成を行う――つまり,そのポケモンのレベルを上げる――ことで達成される。しかし,中には交換のみによって進化するポケモン――つまり,交換でしか手に入らないポケモン――が存在する。その中には,強力なポケモンだって含まれるわけだ。交換する相手がいなければ,図鑑完成とは別の楽しみ方でもあるポケモン対戦も有利に進めることもままならず,もれなく枕を濡らす夜を迎えることになる。だから,当時の子供たちは,意地でもポケモンを遊んでいる友達を探したり,友達にポケモンの勧誘をしなければならなかったと思われる。

 実際,子供どうしのコミュニケーションが,ポケモンの人気を確たるものにしたと言ってよい。

 そもそも,なぜポケモンがここまで人気になったのか。ゲームボーイなる携帯型ゲーム機が世に登場してから何年も経っていた1996年当時において,少なくとも発売当初は大きく注目されてはいなかった。しかし,このポケモン交換システムがあったからこそ,子供たちのコミュニケーションを介して,徐々に,徐々に,広まるきっかけになったのではないだろうか。

 特に,最初に博士からもらえる3匹のポケモンは,1回のゲームプレイで1匹しか入らない。3匹のポケモンを集めるだけでも,少なくとも2人の友達と交換する必要がある。そして,そのそれぞれの友達が,また別の友達2人を誘ってポケモンの購入と交換を呼びかけたら……。ネズミ講,いや,ピカチュウ講のごとく,ポケモンを持つ子供たちは指数関数的に増加し,瞬く間に全国くまなく浸透していった――

 ――という仮説は,決して想像の域を超えていないだろう。インターネットがほとんど普及してなかった時代に,この子供たちだけで構成されたネットワークの存在は多分に大きかったのである。


「でさ,何か交換したいポケモンある?」

 通信ケーブルをまじまじと見つめるトリナに向かって,ゴンタは尋ねる。

「え……。う~ん……」

 トリナは黙り込んだ。5秒ほど沈黙が続いた後,彼なりの解を出す。

「じゃぁ,フシギダネがほしい」

「ねぇよ。オレもお前と同じでヒトカゲ選んだんだよ。さっき言ったじゃん」

 ゴンタは,即刻で拒否した。

「じゃぁ,アーボってポケモン持ってる?」

「どうだろう? ……捕まえてないなー」ゴンタは,自分のゲームボーイとにらめっこしながら答える。

「じゃぁ,ナゾノクサって持ってる?」

「どうだろう? ……捕まえてないなー」

「ガーディって持ってる?」

「……それも捕まえてないなー」

「マンキーってポケモンは?」

「……」

 2人が,実は同じ『赤』バージョンを持っている,という事実に気づくのは,それから少し経った後だった。

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