第2話

「ポケモン? 持ってないよ? なんで?」

 トリナが答えると,ゴンタはやや興奮気味に言葉を続ける。

「買えよ」

「え?」

「すぐに買えよな。あと,こんどの日曜日,うちに来い。うちでしような」

「え? 急に何だよ。って何? 買ったらカセットを交換するの? なんで?」

「何言ってんだよ。に決まってるだろ」

「え?」

「あ,通信ケーブル持ってるから。そっちは買わなくていいよ」

「え?」

「あ,オレは『赤』持ってるから。おまえは『緑』な!」

「……うん」

(ポケモンを交換? つうしんけーぶる? あか・みどり? カップめんか?)

 トリナは,全くもって,ゴンタのしゃべってることの意味が解らなかった。それでも,会話が面倒くさくなったので,自分でも何をすればよいのかよく解らないまま,その謎の約束をした。

「よし!」

 もともとニヤニヤして喋ってたゴンタが,更にニヤニヤして納得する。トリナが気づいたときには,すでに彼は別の友達に今日の天気について話をしていた。


 放課後。

 トリナは,ピカピカの教科書を,ボロボロのランドセルにどっさりしまい込んでいた。ゴンタに「じゃ,さようなら」と軽く挨拶をかけると,ちゃんと『緑』持ってこいよ,と言おうとしていた彼を気にする素振りも見せずに素通りし、そそくさと家に帰った。

(さて,スーファミやるか。あのステージなぁ,風がすごく吹いてくるから,すごくむずかしくて全然クリアできない。今日中にクリアできるかな?)

 ゴンタとの交わした約束は,すでに頭の片隅にもなかったようだ。

 しかし,家に到着するや否や,「あ,おかえり。どうだった? 新しいクラス。みんなとは仲良くなれそう? ゴンタくんとは同じクラスだった?」と,トリナに声をかける母が,続く言葉で子の失念を阻止する。

「そうえいばさ,先週,〇〇ちゃんがうちに来たじゃない。ゲームボーイ持ってきて」

「そうだね。あ――」

 トリナは思い出す。先週,同い年の親戚とその両親が挨拶あいさつに来ていたこと。自分は,その日はゴンタの家で遊んでいたから,ほとんど話せなかったが,確かそのときにポケモンを持ってきていたこと。

 直後,彼とポケモンで遊ぶ約束をしていたことも,思い出す。

 トリナは,このとき,スーファミとの優先度の兼ね合いのためか,ゴンタとの突然の約束のことを言おうか若干迷っていた。が,母が先制する。

「それで,なんか,〇〇ちゃんね。ポケモンのカセット,2買ってきたんだって。でも当分の間,1つでいいからって」

「『2つ買ってきた』?」

「うん。ポケモンってゲーム。カセットが2つあるっぽいのよ。『赤』と『緑』」

 あ,そういうことか。と,トリナは何かに気づいた顔をする。

 当時の漫画雑誌などの情報で,『ポケットモンスター』には,カセットが『赤』と『緑』の2種類があること。トリナは,このときようやく思い出したようだ。ゴンタの言っていたことも,いま少しだけ解った。少しだけ。

「だから,1つは,しばらくトリナに貸したげるって」

 そう言うと,母はカセットをトリナに差し出す。

「実は先週ね,〇〇ちゃんのお母さんから渡されたんだけど,トリナにあげるのずっと忘れちゃってた。ごめんね」

「あ,いいよべつに。そういえば,ほしかったんだ。これ」

 実際,トリナは安堵あんどした。まさか,このタイミングで手に入るとは思わなかったのだ。というのも,トリナには,ゴンタの家に遊びに行って,彼が色々なゲームを沢山持ってるのを見る度に感じてきたことがある。対照的に,自分の親は厳しく,早々ゲームとかは買ってきてくれない,と。しかも,今夏には新たな家庭用ゲーム機が発売される。それ自体買ってきてもらえるのか不安なのに,今ここでゲームを買ってもらうのはまずいんじゃないか,と。

 そこで,トリナは,もともとポケモンにはそれほど興味なかったわけだし,今はスーファミに没頭して忘れることにして,本当に忘れていたというわけだ。

「よかったぁ」

 思いがけない幸運にトリナが安心するのも束の間,カセットには『ポケットモンスター 』と書かれていたのだ。確か,ゴンタが言うには,理由は不明だが,トリナには『緑』を持ってきてほしい,とのことだったはず。

「あ,これ新しい教科書? 見せて」と,急遽きゅうきょ話題を変える母に,トリナは滑り込みで懇願する。

「あ,あの。これ,『緑』の方がほしいんだけど」

 母は,急に怪訝けげんそうな顔つきになって言う。

「……お年玉,まだ残ってるでしょ?」

「………」

「お・と・し・だ・ま」

「………」

「あるでしょ?」

「……はい」

 トリナが呆然ぼうぜんとしてる中,母はすでに勝手に子のランドセルをガサ入れし,勝手に教科書を漁っては「へー,いまはこんなふうなんだー」とか,「あ,懐かしー。この小説,まだ載ってるんだぁー」とか,勝手な独り言を始めていた。

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