心の在処、魂の行方
楸 茉夕
心の在処、魂の行方
「うわっ、おやっさんそれ紙とペンじゃん! コットー品じゃん! 使っていいわけ? 怒られんじゃないの?」
「うっせーぞポンコツ。道具は使ってなんぼだろうが。大体、これはペンじゃなくて鉛筆だ。それに骨董って言われるほどじゃねえぞ」
「誰がポンコツだハゲ。エンピツなんて初めて聞いたわ」
「禿げてねーわフサフサだわ! 頭までイカれたかボケ」
「頭までってどういう意味だデブ!」
「太ってねーわ筋肉だわ! 文字通りだポンコツ!」
「ポンコツ言うな脳筋!」
二人とも口が悪いので喧嘩のように聞こえるが、これが日常だ。本気で罵り合いになると、この程度では済まない。
「端末使やいいのに。手書きしたのいちいちデータに落とし込むの面倒だろ」
「必要なとこだけ落としゃいいんだよ。端末は端末だけじゃ使えんだろうが。それが好かん」
「そうそうバッテリー切れなんて起こさないって。微重力じゃ落としても壊れないし」
「いいんだよ。デジタルデータなんてもんは今ひとつ信用できん。結局最後に頼れるのは手元に残るもんだ」
「メカニックの言葉とも思えないな。つか、デジタルデータって言い回し、授業以外で遣う人いんのな」
「いちいち一言多いんだおまえは。実体のないもんにばっか頼ってると、そのうち痛い目見んだかんな」
ぽこんとポンコツを小突き、おやっさんは床を蹴った。コックピットに跳び上がり、パイロットシートに収まる。
「OS書き換えすっから、おまえはどっかいってていいぞ」
おやっさんを追って跳んだポンコツは、ハッチに手をかけて目を見開いた。
「はあ!? 呼んだのおやっさんだろ!」
「おう。でもさっきから不具合が出ててな、今日はテスト中止だ」
「はあー!? 切り上げてきたのに!」
「何をだよ」
「ゲーム」
「よかったな、続きやる時間ができたじゃねえか」
「そういう問題じゃねーし! 不具合なんて大丈夫だって、せっかくきたんだから乗ーせーろーやー」
おやっさやんは犬でも追い払うかのように片手を振る。
「駄目だ」
「おかしくなったら戻ってくるから」
「だーめーだ! 不具合が出てる機体に人類の希望を乗せられるか。大人しく部屋戻ってゲームでもしてろポンコツ」
「ポンコツ言うなし! 希望でもねーし! 乗る気できたのにー! やる気スイッチ入れたのにー!」
「どうでもいいときに限ってスイッチ入れんなや。終わったら知らせっからよ、今日中に乗りたきゃ邪魔すんな」
こうなってしまったおやっさんは梃子でも動かない。どこまでも頑固なおやっさんに、根比べで勝てたことは皆無だ。結局は負けて引き下がることになる。
「あーもう、とっとと終わらせろよな!」
「おう。そう思うなら話しかけんな」
* * *
ジジ、とどこかの回路が音を立てる。
アラートは疾うに途切れ、モニタもスクリーンもただの黒い板でしかない。損傷を計算するよりも、無事な場所を探した方が早いだろう。それがあれば、だが。
(あんたが正しかったよ、おやっさん……動力が落ちたら何もできねーや)
敵が四散するのは見た。こちらも既にスラスターをあらかたやられており、退避できなかった。至近距離の爆発に巻き込まれ、このざまだ。こちらの機体が爆発しなかったのが、幸運なのか不幸なのか、彼にはわからない。
なすすべもなく暗闇を漂う。眼下には青く美しい星。カメラもセンサも死んでいるのに見ることができるのは、コックピットが半分抉られているからだ。彼も右腕と右脚を持って行かれた。バイザーも割れて、それでも彼は生きていた―――正確には、稼働していた。
(仇は、とれたかな……)
半月前、コロニーが落ちた。「人類の希望」だけが機体と共に逃がされた。生き物は、誰一人、何一つ、助からなかった。宇宙とはそういう場所だ。
敵への怒り、憎しみ、復讐心。近しい存在を亡くした悲しみ、辛さ、喪失感。これらはすべてそう設定されているからだ。彼自身から生み出されたものではない。彼はそういう存在だった。機体を操るためだけに創られた、自律式自動人形。「人類の希望」が非生物とは笑わせるが、操縦するには人間の身体は脆すぎる。
残っている左腕を動かしてみようとした。関節が軋んだだけだった。左足も同じようなものだ。動けず、思考ログを垂れ流したまま、ゆっくりと地球の重力に引かれて、最後には大気圏で燃え尽きる。想像して、いっそ爆発で完全に壊れておくべきだったと彼は暗澹たる気分になった。過去に実在した人間の人格をモデルにしているだけあって、落ち込むこともできる。こんな機能は要らなかった。
地球は素知らぬ顔で輝いている。あの星の流星になるならいいかなと、ちらと考えた。
「……?」
ごつん、と軽い衝撃がきて、彼は目を瞬いた。デブリか何かがぶつかったらしい。
(今ので誘爆してくれねーかな)
少し待ってみても、壊れた機体はうんともすんとも言わない。やはり、燃え尽きるしかないらしい。
ふと視界の端を白い物が横切り、彼はそちらに目を遣った。それは小さな紙片で、どこかに挟まっていたものが、さっきの衝撃で出てきたのだろう。
(コットー……品……)
ふわふわと漂うそれには、何か文字が書いてあった。文字は途中で途切れており、紙は破れている。元々はもっと大きな紙だったのが、奇跡的にこの欠片だけ残ったのかも知れない。
彼は苦労して僅かに頭部を動かし、視界をぎりぎりまで広げて文字を追う。
―――を、祈る。 我がポンコツ息子へ
見覚えのある筆跡で、おそらくエンピツで、そう書かれていた。
「お……やっ……さん」
思わず零れた音声は酷くひび割れていた。紙片を手に取りたい。けれど腕は動かない。どこも動かない。泣きたくても、涙を流す機能はなかった。落ち込むよりもそっちのほうが欲しかった。
データは消えてしまう。心を、魂を持たない非生物は、おやっさんと同じ場所には行けない。ただ壊れて消えるだけだ。
けれど彼は祈った。ポンコツのために祈ってくれたおやっさんのように。
おやっさんが守ろうとしたものに、長い安寧が訪れることを。
(おれは……、守れた、かな……?)
ジジ、とどこかの回路が音を立てた。
それきり、何も聞こえなくなった。
心の在処、魂の行方 楸 茉夕 @nell_nell
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