紙とペンとミキサー

森山たすく

紙とペンとミキサー

『はい。では用意した紙とペンを、ミキサーにかけます』


 俺はTVで先生が指示したとおりに、紙とペンをミキサーへと入れ、スイッチを押した。

 ギュィィィィィィンガガガガガリガリッッと、やや物騒な音を立てながらも、それらは次第に混ざり合い、ドロドロになっていく。


『わぁー、美味しいですね!』


 胸の大きいアシスタントの子が、出来上がった(なぜか)オレンジ色の液体を豪快に飲み干し、ほんわかした笑顔をカメラへと向けた。

 俺も意を決して飲んでみる。あ、オレンジジュースの味。


 どこから話したら良いものか。

 結論から言うと、ここは異世界――だと思う。


 世間でブラック企業と呼ばれるような会社に勤め、HPやMPがガリガリ削られる毎日。

 寝不足と疲労と暗闇の中、たまにはいつもと違う道でも通って帰ろかなーと余計な気を起こしたら、途中にあった長い階段で転倒。

 気がつけば、見慣れた自分の部屋のベッドで、朝。


 そんで、視界の片隅にうっすらと、パネルみたいなのが見えたわけですよ。ピンときましたよ。それはステータスなんだと。


 名前・東松原ひがしまつばら さとし

 年齢・27歳

 性別・男

 職業・会社員


 ――これだけ?

 もっと特殊能力欄とか、HP・MP・SP・APとか、そういうのないの? と思ったけど、特になし。

 窓の外も確認してみたけど、ごくごく普通。

 で、TVをつけてみて今に至る。

 俺のいた世界では、紙とペンをミキサーにかけてもオレンジジュースにはならないし、やっぱりここは異世界なんだろう。


「特に変わったとこは……ないな」


 部屋を改めて見まわしてみても、記憶にある自分の部屋と全く違わない。

 これまた見慣れたバッグを手に取り、ごそごそとやってみる。


「社員証もおんなじかぁ」


 つぶやいてから気づく。じゃあ異世界に来ても結局、あのクソ会社に行かなきゃならないっつーことか?


「マジか……」


 頭を抱え、床をごろごろと転がる俺。TV画面の時刻が見える。行くならそろそろ支度しなきゃ間に合わない。


「……行ってきます」


 ひとまず出勤することにした。

 これからこの世界でも生活してかなきゃいけないわけだし、色々と知識を仕入れる必要もあるしで。

 そう思うと若干ではあるが、やる気は出る感じがする。若干ね。


「何にも変わんねーなぁ」


 いつもの道、いつもの店、いつもの――かどうかは分からないが、歩いてる人たちや走る車。どこも変わってるように見えない。


 もしかしたら一見いつもの世界のように見えて、ミッションかなんかこなすタイプなんだろうか。でも天の声がするわけでもなし。

 目を向ければオープンするステータス。クソほどの役にも立たねーから今すぐ消したい。

 そんなことを考えてる間にも駅は近づき、人通りが増してくる。


(なんだあれ)


 さすがに声には出さず、そっちを見る。朝のTVを上回るインパクトが、ようやくやって来た。

 行きかう人々の中に混じる、半透明の存在。人型ではない。スライムを人の背の高さまで引き延ばした感じだろうか。目や耳や触手もなく、つるんとしてる。

 よく見れば何体もいるそれは、ちょっとぷるぷるしつつ、通行人の流れと一緒に移動していた。


 それに目を奪われていた俺は、信号が赤になっていることに気づかず、クラクションを鳴らされ、慌てて歩道へと戻る。


「あ、すみません。――うわぁっ!?」


 誰かにぶつかったので、謝りつつ顔を向ければ、そこにはあのスライムがいた。


「大丈夫ですか?」


 思わずバランスを崩し、尻もちをついた俺に、近くにいた女の人が声をかけてくれる。その背後にぬっと立つスライム。


「そ、それ!」


 俺が指差すと彼女は振り返り、平然と言った。


「これが何か?」

「な、何なんですかそれ!?」

「……本気で言ってます?」


 なんで俺が不審者みたいな扱いなの。


「ちょ――調査というか。一般常識をどれだけちゃんと言えるか、みたいな……」

「あー、なるほど」


 だがとっさのウソに、お姉さんは納得してくれたようだった。


「これは、『モブ』ですよ」

「もぶ……?」

「人が多めのところによく居ますよね。数合わせで。――あ、青になったので私はこれで」


 いや、数合わせって何のだよ。

 俺が言葉を失っているうちに、彼女とスライムは何事もなかったかのように横断歩道を渡っていった。



 会社にたどり着くまでに分かった事実。


・ステータスにはやっぱり意味がない。隠しコマンドとかもない

・人ごみには『モブ』がいる。たまに色違いもいる

・普通にジュースは売ってるが、紙とペンをミキサーに入れるレシピ本も売ってる


 ――少なっ。しかも非常にどうでもいい。


「東松原、聞いてんの?」


 そして普通にミーティングに出てる俺、普通に上司に怒られる件。


「あっ――すいません」

「ったくよー、たるんでるですぞー? 仕事できねーんだから、せめてちゃんと話聞いてくだされよなー?」

「……すいません」


 普段から真面目に聞いてるかと言われれば違うかもしれないが、さっきからちょくちょく言葉が変なせいで余計に集中できない。


「東松原さん、体調悪いんですかー? お水飲んでくださいクソ野郎」


 くっ……憧れの小桜こざくらさんまで。態度はすっげー優しいのに。


「小桜は、誰にでも優しいこってござりまするなぁ。とにかくこれにてお開き。でわぺこり」

「「「でわぺこり」」」


 ミーティングの始まりと終わりに、みんなで三つ指をデスクにつき、頭を下げる。

 何なんだこのルール。さっきやらないでメチャクチャ怒られたわ。


「でわぺこり。……た、体調が悪いので、早退させてくださり」


 俺は何とかそれだけを言うと、会社を飛び出した。


 

 がむしゃらに走っているうちに、いつの間にか俺は、あの階段のところまで来ていた。明るい日差しの中で見ると、思っていたよりも小さい。


「きっつー……!」


 大したこともしてないのに、ものすんごい疲労感。

 どうせなら振り切ってくれればいいのに設定も微妙、さらにブレまくるから、ずっと乗り物酔いしてるみたいな気持ち悪さがある。気がつけば『モブ』もいなくなってたし。

 こりゃあれか。よくある異世界転生モノって、トラックとか電車とかに轢かれたりするだろ。階段から落ちるっていう中途半端さがいけなかったんじゃないだろうか。

 そもそも、この程度の高さじゃどうにもならなくね?


「おまわりさん! あそこです!」


 俺が階段を見ながら考えこんでいると、背後から人の声がした。事件でもあったんだろうか。


「さっきから階段を覗き込んでるんです! 変質者です!」


 ――って俺かよ!

 振り向けば制服姿の警官が、ふしぎな踊りを踊りながら近づいてくる。もうやだこの世界。


「あっ」


 とりあえず逃げなければ、と動いたら足を滑らせた。

 そして俺は、まばゆい光に包まれる――。

 

  ◇


 朝だった。ベッドの上だった。俺の部屋だ。

 全身に汗をかいている。俺は長く息を吐いた後、はっとなって目を上下左右に動かした。あのクソみてーなステータスは出てこない。


「よかった……」


 きっと全部夢だったんだろう。創作だと嫌われがちな夢オチだ。うん、でも現実ではその方がいいって。幸せだって。

 俺は額の汗をぬぐいながらキッチンへと向かった。スポーツドリンクを飲んで一息ついてから、TVをつけてみる。


『はい。では用意した紙にペンでオレンジの絵を描いて、ミキサーにかけます』

『わぁー、美味しい! 簡単な魔法陣でオレンジジュースが作れちゃいますね!』


 ――世界は少し、アップグレードしていた。

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