あなたを支える三つのもの

道透

第1話

 ボロアパートの一階、右から三つ目の部屋である一〇三号室に一人で住む私はポストに投函されている一通の手紙に首を傾げた。

 残暑も冷たい風に追いやられるかのように、秋は知らぬ間にやってくる。日が落ちるのも次第に早くなり、六時の空は薄暗くなっていた。

「ただいまー」

 言ってみたものの返事は返って来なかった。寂しくなるなら心の中で言えば良かった。

 暗い部屋に電気をつける。玄関で靴を脱ぎ、鞄を抱えたままベッドに倒れる。昨日の夜、思い付きで部屋の片づけをしていたおかげで気分はいい。でも、疲れが取れるのとは別問題。

「なんで人生もっと上手くいかないんだろう」

 仕事も生活もだらだらとしていて、時間だけが正確に進んでいく。私はもっと充実した生活が欲しい。このまま独り身で死んでいくのかな。なんてことを最近は思う。

 もう二十代の今も四捨五入すれば三十になる。学生のうちは年を取るのに抵抗もなく、むしろ大人になれるようで嬉しかった。

 重くなる瞼を持ち上げて夕食を簡単に済ませる。自炊するのも簡単じゃない。三日連続同じメニューというのも珍しくない。栄養のことだって考えるしお財布とだって相談する。

「やっぱり一人暮らしとかもっと先にすればよかったな」

 私は小さな台所に立ち、仕方なく夕食の支度に取りかかった。食材を冷蔵庫から取り出す。すると電話が鳴りだした。私は受話器を取り、耳に当てた。

「もしもし」

「もしもし、百合ゆり?」

 電話の相手は友人のらんからだった。

「どうしたの? 今日は大事な用があったんじゃないの?」

「いいの。今日は飲むよ! いつもの場所で待ってるから」

 この調子だと終電まで帰らせてくれない感じだな。まあ、私もちょっと息抜きをしたかったから丁度いい。

「分かった。今から行くから待ってて」

 きっと先に飲んでいるんだろうな。多分、愚痴なんだろうな。

 私は友人に付き合うため最寄り駅から三つほど先の駅を降りて、五分ほど歩いた所にある通いなれた小料理屋の暖簾をくぐった。近くには人通りどころか人影もなかった。そこは普通の小料理屋ではないのだ。

「いやっしゃいませ」

 迎えてくれたのは小百合さゆりさんだった。ここの女将さんだ。鮮やかなえんじ色の着物の上からたすき掛けをしている。黄金色の毛の生える三角の耳を頭につけ、同じく大きな尻尾が生えていた。小百合さんはキツネの妖なのだ。

「小百合さん、こんばんは」

「蘭さんたち、あちらですよ」

「百合。こっちこっち」

 奥の席に座る三人の女性が目に留まる。私を待っていたのは蘭の他に椿つばきあんずがいた。私たちは中学からの友人だ。

「二人も来てたの?」

「ほら、早く座って」

 私は四人席の蘭の隣に座った。

 私たちの他に客はいなかった。

「ちょっと聞いてよ、百合!」

 百合は私にすがりつく。しっかりときめたメイクと服装は私たちを取り囲む居酒屋の雰囲気に合わなかった。今日は彼氏と三回目のデートだったはずだ。何かあったに違いない。

「彼氏さんに何か言われたの?」

「言われたとかじゃないんだってさ」

 杏は先に頼んでいたもつ煮込みを口に運びながら言った。杏も今日は仕事が忙しいと言っていたがスーツで駆け込んで来たのだろう。凛とした姿はまさに、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花だ。物言いがはっきりとしているところが少し傷だが男前な子だ。

「他の女性と二人で遊びに行ってたんだって」

 椿は手元の肉じゃがを食べていた。ホクホクとした美味しそうだったので私も小百合さんに肉じゃがを頼んだ。

「何なの? 何で昨日他の人と遊園地に行っておきながら、明日は私とデートなの?」

 私たちは、サイテーと言いながら蘭を慰めた。蘭はコップに日本酒をどんどん注いでは飲んでいく。

「ペース早くない? 日本酒は後からくるからあまりハイペースで飲んじゃだめだって」

 私の忠告なんて聞き流すばかりだ。そんなにお酒は強くないくせに。

「明日は行かない! そんな奴だとは思わなかった。もう一生会わない。連絡先も消す。さようなら。」

「付き合って何年目だっけ?」

 杏に言われて蘭が幸せそうだった日のことを思い出した。

「確か二年じゃなかったっけ」

「もうそんなに経ってたっけ」

 蘭も馬頭はしながらも幸せなことを思い出しているのだろう。だんまりとしてはいるがもの惜しげにどこかを見ていた。

「お待たせ」

 私は目の前に運ばれてきた肉じゃがにお箸をつけた。

「美味しー。こっちに来て正解だったな」

「それは良かった。蘭ちゃんも飲みすぎたらだめだよ」

 私たちからすれば母親のような存在の小百合さんはにこりとした。

「でも彼氏がいるのは羨ましいな。私はまず職場にいいと思える人すらいないんだから」

「椿は理想が高すぎるんだよ」

「そうそう。大体、収入が一千万以上でイケメンで優しくて二歳上なんて滅多にいないよ」

 小鰯のしぐれ煮を追加に皆でお酒のあてにした。

 蘭は、理想こそ高くないが惚れやすいところがある。だから、少し優しくされただけでころっといってしまう。

「蘭は可愛いんだから見る目を養わないと」

「言うだけあって杏は彼氏と順調だよね。愚痴なんてんあんまり聞かないし」

 聞いたのは確か半年前だった。デートの待ち合わせの日、六時間も待たされたとか。杏もよく六時間待ったものだと感心する。

 しかし、杏にもいろいろ溜まっていることがあるのだろう。疲れた表情はらしくない。

「私だって上手くいかないことだらけでムカつくよ。彼は冷静だし私ばかり好きみたいじゃん?」

「のろけだね」

 私たちは今回の杏の話を愚痴としては聞けなかった。何でもそつなくこなす杏の話も聞いてあげることにした。

「私だって遠距離恋愛だし。連絡も頻繁には取れないし」

 杏の年上彼氏は二か月前に出張とかで遠くに行ったのだ。

「そっか。遠距離だとそこは不安だよね。男性でも特に成人した男性は連絡とか滅多に取らないらしいからね」

 蘭の情報は一体どこからとってきたのだろう。

 彼氏の出来たことのない私はそのような話に無知だから下手にアドバイスなんて出来ない。

「まあ、信じるしかないんだけどね。少なくともSNSで確認するあたりを見れば大丈夫そうだけどね。いつもみたいに仕事を一番に無理なく頑張ってくれていたらいいな」

 幸せそうに彼氏のことを話す杏は可愛らしい女の子だ。

「私はあと五年の内に彼氏が出来なかったら婚活する!」

「蘭、それ高校生の時から言ってるし」

「ほら百合も一緒にしようよ。一人は緊張するじゃん」

 私は空になったコップに日本酒を注がれた。

「えー、婚活か。杏がいい人紹介してよ」

「いいよ、百合には勿体ないくらいの俳優並みのイケメン紹介してあげる」

「私、イケメンとかいいよ」

 第一、一緒に歩くのも恐れ多い。そんな高いハードルはパスだ。楽しいデートも厳しい試練のようになってしまう気がしてならない。

 しかし、そんなことに臆せずイケメンにセンサーが反応した人はいたようだ。

「ねえ、本当にイケメンなの?」

「椿は本当にまっすぐだね」

 私たちは蘭の言葉に頷く。そう言う蘭もまっすぐだと思うが蘭は用心深い。見る目がないのは本当に残念だ。

「小百合さん、ミニトマトと揚げ出し茄子ください」

 私は話で満たされる心とは別に満たされていないお腹を満たしていく。

「小百合も本当は好きな人の一人でもいるんでしょ?」

「いないよ」

 嫌な眼で見る椿に私はどきっとする。

「その顔はいるんだ」

「誰なの? 同じ職場の人?」

 まだ三人に話すほどの展開はないのに問い詰められる私は話さざるおえなくなった。本当に恋愛と言うような大層なものではないのだ。

 私の前にミニトマトと揚げ出し茄子が出される。

「小百合さんは旦那さんとは古くからの知り合いなんですよね」

「ええ、小さい頃からね。私は好きだったけれど、彼は自分の好きなことに一直線で相手にもされなかった。しばらくは連絡も取れなくなってね、そのうち疎遠にもなったんだけど」

 小百合さんの旦那さんはたまにこのお店に現れては私たちのような客と話をして盛り上がってくれるようなタヌキの妖なのだ。人当たりも良く、私たちも大好きだ。

「偶然が縁を結んだんだか、そういう縁で必然だったのかは分からないけれどこのお店のお客として現れて再会したのよね」

 小百合さんはクスクスと笑って、本当に幸せな気持ちだったと言った。

「再会か。私たちにはそんなロマンティックなことないよね」

「ないよね。やっぱり素敵だよね」

 小百合さんは私に視線をむけた。

「百合ちゃんも懐かしい思い出の中にいる人のことが好きなのかしら」

 図星をつかれて俯き黙り込む私に杏は、話してみなってと言って前のめりになった。蘭も椿も興味津々だった。ルンルンとさせる眼差しは一直線に私の方へむけられる。

 ここは何かがあってもなくても集まる相談所のようなところだ。気持ちという真っ白な紙に自分たちの思いであるインクの十分にあるペンで綴っていくのだ。そこに注がれるお酒と美味しい料理は綴られる思いを変な方向にこぼさないようにするような心の安定剤かもしれない。

 温かくて、背負っている重い皮を脱ぎ捨てられるような。皆、悩みも朗報も共有しあえて大好きな小百合さんの手料理もあって。

 丁度訪れた小百合さんの旦那さんも招かれて私のターンが回ってきた。

 私は手を付けている揚げ出し茄子を食べて、十分に満たした幸せな気分と一緒に思いをぶつけた。

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