第104話 耳長ハンプティ
ぶうん。低い不快な振動音を立てながら、宙に浮く卵はゆっくりと回転する。
「イ=ルグ=ル、だよな」
大きなリボンに赤いドレスのリキキマが、横目でウッドマン・ジャックを見る。ずんぐりむっくりの巨漢は、樹皮のような口元を歪めて笑った。
「イ=ルグ=ル、なのだね」
「いつの間に卵になりやがった」
「神様の都合は知らないのだけれど」
青い卵の回転が止まった。その目玉の視線の先に、立っているのは黄金の神人。リキキマは卵に向かって飛んだ。理由はよくわからない。わからないが、直感的にマズいと思ったのだ。
だがその眼前に
「行かせぬ!」
「
リキキマの右手が巨大な鉤爪となって、横殴りにヌ=ルマナを襲う。けれど六本の戦斧がそれを斜め上に受け流し、衝撃を本体に伝えない。
「んの野郎っ」
「目だけは良いのでなぁ!」
邪神は体を一回転させ、リキキマに戦斧を叩き込むものの、手応えはまるでなかった。液体と化し、自ら二つに裂けたからだ。そしてヌ=ルマナの両脇を飛び、イ=ルグ=ルの卵へと向かう。卵の寸前で合流し、両手を槍にして突っ込んだ。
だが巨大な卵は滑るようにリキキマをかわし、地表に稲妻を描いてジグザグに移動すると、『宇宙の耳』ハルハンガイを飲み込んだ黄金の神人に接近した。その神人の足下に、噴火の如き勢いで地面から吹き出る草木の群れ。オニクイカズラの蔓が神人の全身に絡みつく。
卵の丸い目が光った。草木は瞬時に凍りつき、砕け散る。自由になった黄金の神人に、青い巨大な氷の卵が衝突した。音もなく、静寂の中で。
卵は色と質感を変えた。青い氷から黄金へと。その真ん中には丸い一つ目、両サイドには神人の手足が生えている。まるで邪悪なハンプティ・ダンプティのようだ。もし明らかにハンプティ・ダンプティと違うところを挙げるとするなら、それはウサギのような長い耳があるという点だろう。
耳長ハンプティは両手を前に突き出した。手の先の宙に浮かぶ円盤は、二枚の思念結晶。
「あれは危険なのだね!」
「わーってるよ!」
ジャックにはそう言ったものの、ならばどうするという策はリキキマにはない。ただ一直線にイ=ルグ=ルに向かって突進するだけである。左右の手を合わせると、長い剣となって伸びた。その前に回り込む六本腕のヌ=ルマナ。
「させはせん!」
「同じ手を」
リキキマは突いた。剣の先が六本に枝分かれする。ヌ=ルマナの六本の戦斧はそれを抑えた。
「喰らうとか」
しかしリキキマの剣はさらに六本、枝分かれする。
「思ってんじゃねえ!」
合計十二本の剣先が伸びた。それらに貫かれる寸前、ヌ=ルマナは身をかわし離脱する。さすがに『宇宙の目』、こうも単純な手には引っかからない。ただし、リキキマの剣は伸び続ける。真っ直ぐイ=ルグ=ルへと。
イ=ルグ=ルの丸い一つ目が光った。リキキマは凍結し、動きが停止する。が、同時にその頭上直上、耳の先数センチの位置に黒い空間が広がり、そこから巡航ミサイルが飛び出した。この近距離では、いかな神でもかわしようがない。直撃、直撃、さらに直撃。十数発のミサイルが、一斉に黄金の耳長ハンプティを打ち据える。
ダランガンの食料庫の前で、ダラニ・ダラは天に向かって両手を伸ばしていた。
「いまので終わりかい」
そう不審げにつぶやく魔女の耳元で、パンドラのインターフェイス、ベルの鈴を転がすような声が聞こえる。
「第一段階の攻撃は終了、だってさ」
「ミサイルなんぞ、全部ぶち込みゃいいんじゃないのかね」
「さあ、3Jの考える事なんてわかんないもの」
おまえにわからないんじゃ、本当に誰にもわからないだろうね。ダラニ・ダラはそう言いたかったが、やめておいた。
世界政府大統領執務室の大型モニターの中では、爆煙が広がって何も見えない。ジェイソン・クロンダイク大統領は唖然とした顔でそれを見つめていた。
「何が……何が起きたんだ」
「そこで見ていただろう」
一本足を丸テーブルに乗せ、3Jは感情のこもらぬ、抑揚のない声で言い放った。
「見たままの事しか起きていない。理解しろ」
「いやいやいや、見えてないところでもイロイロ起きてるよね。それを理解とか無理だから。説明してくれないか」
しかし首を振って抗議するジェイソンを、3Jは無視した。ジュピトル・ジュピトリスが苦笑しながら解説をする。
「ミサイルには、発射してから命中するまでにタイムラグがあります。ビーム砲みたいに撃った瞬間に相手に当てる事は不可能なんですが、3Jはダラニ・ダラの空間圧縮を利用することで、それをコントロールした訳です」
「え、ああ、うん?」
大統領はまだ首をかしげている。
「つまり、照準を荒野の真ん中に設定したミサイルを前もって発射しておいて、それをダラニ・ダラの能力で聖域に移動させた、という事になります」
ジュピトルの言葉に、まだ納得できない様子のジェイソンはこうたずねた。
「要するに、イ=ルグ=ルが聖域に現われるタイミングを予測していた、と?」
「俺は予知能力者ではない」
3Jは視線をモニターに向けたまま、やや呆れたようにつぶやいた。
「可能性は可能性として考慮するが、決め打ちなどしない。今回のタイミングはイ=ルグ=ルが勝手に作り出したもの、うっかりミスに過ぎん」
「ミスにつけ込んだ、と言うのか」
「そうだ」
「相手は神だよね」
「それがどうした」
ジェイソンは思わず息を呑んだ。
「い、いや、何でも」
苦手だ。苦手にも程がある。ウラノスやラオ・タオも苦手だったが、ここまで酷くはなかった。出来る事ならすべて投げ出して家に帰りたい、大統領は本気でそう思っていた。
そのとき、モニターの中に動きが。
爆煙が渦を巻く。渦を巻く。回転速度が一気に上がると、高速の渦はやがて竜巻となり、その先端は虚空に吸い込まれた。晴れて行く画面の中、仁王立ちする黄金のハンプティ・ダンプティ。突き出した両手の先にある二枚の思念結晶の真ん中の空間に、竜巻は吸い込まれていた。気のせいだろうか、さっきより一回り大きくなっているようにも見える。
「大きくなってない?」
そう言うジュピトルに3Jは小さくため息をついた。
「喰われたな」
「やっぱり」
二人はそれで理解し合えているようだが、大統領にはちんぷんかんぷんである。
「喰われ……た? 何が?」
「イ=ルグ=ルは、爆発のエネルギーを吸収しているようです」
ジュピトルの簡潔な説明に、ジェイソン大統領は驚愕の声を上げた。
「それって、攻撃すればするほど相手が強くなるって事じゃないか! どうするんだ!」
「だからどうもしていない」
3Jは平然と答える。
「
ジェイソン・クロンダイクは愕然とした。意味がわからない。もはやすべてがお手上げの危機的状況にしか思えないのに、何故こうも余裕があるのだ。こんな自信がどこから湧いてくるのだ。この男の目には、いったい何が見えているのだろう。
3Jは静かにつぶやく。
「ベル、ダラニ・ダラに伝えろ」
ごうごうと音を立てて竜巻が煙を、土埃を飲み込んで行く。黄金の耳長ハンプティは、また一段と大きくなったようにも見えた。
氷の破片をバラ撒きながら、リキキマは立ち上がる。
「んなろー、舐めやがって」
たいしたダメージはない。とは言え、液体生物に対して凍結攻撃は厄介だ。身動きが取れなくなる。さてどうしたものか。どうすればあの視線をかいくぐれる、と悩む頭上に影が差した。
手。緑の
一方のヌ=ルマナとしても、ジャックと戦いたい訳ではない。いまはイ=ルグ=ルと合流し、合体する事が先決である。ハルハンガイはすでに取り込まれた。あとは自分を取り込みさえすれば、完成体まであと一歩となる。なのに、それを邪魔されている格好だ。
互いにやりづらさを感じながら戦う二人の超越者を見下ろす位置に、黒い空間が生まれた。中から飛び出たのは、銀色のサイボーグ。まっしぐらにヌ=ルマナへと向かう。
ジャックは巨大な緑の手の動きを止めた。その背後に、いつの間にか現われた小さな影。
「ジャック。兄者から伝言だ」
獣人ズマが、ニッと笑って立っていた。
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