第93話 白い花の下

 エリア・アマゾンから北西に数時間、こぼれ落ちんばかりの満天の星空を背に、見渡す限りの草原の真ん中にヘリは着陸した。サーチライトが四方を照らす。所々に背の低い樹が生えている。タラップから下りて来たのはマヤウェル・マルソ。その鼻をかすかな甘い香りがくすぐる。


「花が咲いてる」


 種類まではわからない。だがおそらくは、あの樹に花が咲いているのだろう。


「何の花かわかる?」


 後ろから声がする。振り返ると、カルロがタラップを下りたところ。


「花の種類には詳しくなくて」


「コカの花だよ」


 カルロは神妙な顔でそう言った。


「白い五弁の小さな花。人間が世話をしなくなっても、ちゃんと咲くんだ」


「へえ。どんな麻薬も、人間が居なくなれば用なしなのにね」


 立ち止まっているマヤウェルをカルロが追い越し、手にライトを持って草原を進む。マヤウェルはその後ろに続いた。


「もう少し交通の便のいい場所に隠せば良かったのに」


「そう何度も使う事になるとは思ってなかったからね」


 と言いながらも、カルロの歩みに迷いはない。目的地に真っ直ぐ進んで行く。マヤウェルは苦笑した。


「まあ確かに、あの酸の雨には参ったよ。どうしたらいいのか、お手上げだったもの」


「雲に何らかの攻撃が加えられるだろうとは思っていた。でもまさか、あんなムチャクチャな事をするヤツが居るなんて、想定外だった」


 酸の黒雲が沸き立つ中心に、高熱を発する巨大質量を突っ込ませるなど、頭で考えつく者はいても、普通の神経ならば実行はしない。失敗すればエリア・アマゾンの中心部は壊滅するし、自分の命まで失うのだから。


「デルファイの3J。案山子の帝王。この名を覚えておきなさい、必ず私たちの前に立ちはだかるはず」


 マヤウェルの言葉に、カルロは無言でうなずいた。その足が止まる。


 カルロのライトが照らす先に、樹が倒れていた。どうやら根元で折れたらしい。


「どうしたの」


「前に来たときは折れていなかった」


 二人は用心深くその樹に近付く。カルロは地面に張った根の脇に手を当てて、ホッとため息をついた。


「無事みたいだ」


 そのまま手で地面を掘り始める。二、三分は掘っただろうか。カルロは何かを取り出した。ライトを当てると、それは小さなガラス瓶。中には錠剤らしきものが五つほど。


 そのとき。


「よーし、動くな」


 闇の中から声が聞こえた。マヤウェルとカルロの姿が白くかすむ。強いサーチライトが当てられたのだ。その光を背に、大柄なでっぷりとした影が、こちらに猟銃を向けているのが見えた。


「て、手ぇ上げてこっちに来い。変な気は起こすなよ。お、俺たちゃ十人で囲んでる。逃げる隙なんかねえぞ」


 マヤウェルとカルロは両手を頭の上に上げ、ゆっくりと光の方に近付いて行った。猟銃を持つ影は、カルロに向けて手を差し出す。


「そ、そいつを渡せ」


「これが何だか知っているのですか」


 マヤウェルが笑顔でたずねる。影は少し動揺したかに見えた。


「う、うるせえ! お、おめえは後で遊んでやるよ、お嬢ちゃん」


 その返事に、マヤウェルは明らかにつまらなそうな顔をした。


「そう、知らないの。だったらもう結構」


「な、何」


 するとカルロがこう告げた。


「彼は一人だ。仲間は居ない」


 マヤウェルはうなずく。


「二、三人くらいは居るかと思ってたのに」


 そして後ろを振り返った。


「処分します」


「て、てめえ!」


 銃声が響いた。


 影は後ろに飛ばされた。おそらくその目は見ただろう。サーチライトの光に長く伸びたマヤウェルの影の中から、次々に姿を現わす軍服姿の男たちを。総勢二十名の武装した兵士が、マヤウェルの向こう側に立っていた。


「私に銃口を向けたのですから、それなりの覚悟はあったのですよね」


 マヤウェルは三脚の上に立つサーチライトを、倒れた影に向けた。そこに居たのは髪もヒゲもボサボサの、むさ苦しい男。四十代くらいか。彼の落とした猟銃は、すでに兵士が踏みつけている。


「か、勘弁してくれぇ」


 男は情けない声を上げた。


「ほ、ほんの、ほんの出来心だったんだ。か、金目の物だと思ったから、つい。あ、謝る。謝るから、こ、殺さないで」


 右肩を撃ち抜かれた男は、左手だけで拝んだ。


「でも、私たちが何かを掘り出すところを見ましたよね」


 マヤウェルは笑顔で小首をかしげる。男は慌てて首を振った。


「み、見てねえ、オレは何も見てねえ!」


「そうですか、それは良かった」


 男の顔に希望がよぎる。だがそれはマヤウェルの一言により、一瞬で消え去った。


「証拠を残さないように殺しなさい」


「ま、待ってくれ!」


「そうだ、ちょっと待ってくれ」


 それはカルロの言葉。マヤウェルは意外そうな顔で振り返った。少年は男にたずねる。


「あの樹を倒したのは、あんたか」


 男はこのチャンスにすがった。無理矢理に作った、引きつった笑顔でカルロにうなずく。


「あ、ああ、オレが倒した」


「何のために」


「こ、コカの葉を集めるんだ。樹はいっぱいあるし、た、倒すのが、手っ取り早いから」


「コカインを作るのか」


「そ、そうだ」


「作ったコカインはどうする」


「自分で使ったり、え、エリア・アマゾンで売ったり」


「何ですって」


 マヤウェルが目を剥いて食いついてきた。


「あなた、そんな事してたの」


「す、すまねえ、謝るから、勘弁してくれぇ」


「謝って済む問題じゃありません!」


 エリア・アマゾンで麻薬が流通しているなど、言語道断である。直ちに清浄化プログラムを立ち上げないと。しかしそんな事など気にならないのか、カルロは質問を続けた。


「精製したコカインは、どこに隠してあるんだ」


「や、山の上の小屋に、全部」


 撃たれた肩は痛むだろうに、それを感じさせないほど、何から何までペラペラと男は喋る。沈黙すれば殺されると思っているのは明らかだった。それを見てカルロは言う。


「これを飲んでみないか」


 カルロの手には、カラカラと振られるガラスの小瓶。


「……へ?」


 男には意味がわからない。カルロは続ける。


「彼の生への執着は、上手く行けば、それなりに使えるものだと思う」


 そう言ってマヤウェルを見る。しかし彼女は困惑顔で「えぇ」と声を漏らした。


「まあ、あなたがそう言うのなら、試してみてもいいですけど」


 カルロはズボンで手を拭き、ガラスの小瓶の蓋を開けた。中の錠剤を一つ取り出し、手のひらに乗せて、男の顔の前に差し出す。


「じゃ、これを飲んで」


 しかし男の顔は不信感と恐怖でいっぱいだ。


「な、何だ、何だよこの薬」


「痛み止めさ」


「う、嘘を言うな! 嫌だ! こ、こんな薬は飲めない!」


 立ち上がろうとする男を、兵士たちが押さえ込む。その口がこじ開けられ、そこにカルロが錠剤を一つ放り込んだ。次に口が閉じられ、口と鼻が押さえられる。ゴクリ、のどが音を立てた。




「な……ジュピトルじゃと」


 グレート・オリンポスの二百九十七階。ジュピトル・ジュピトリスの部屋にジュピトル・ジュピトリスが立っていた。当たり前のようだが当たり前ではない。もしこれが当たり前の状況なら、ムサシの金属製の手のひらに空いた銃口が、ジュピトルに向けられるはずがないのだ。


 偽物だ。撃て。


 ムサシの白髪頭の中で、理性が叫ぶ。しかし感情がそれを許さない。その躊躇ためらいを見て取ったのだろう、ムサシの目の前にいたジュピトルは、寝室に飛び込んだ。


「しもうた!」


 慌てて後を追ったものの、明らかに事態は悪化していた。ムサシは絶句した。


 寝室の中には二人のジュピトル。同じ顔、同じ驚きの表情で、同じ服装の。二人とも部屋の対角線の隅で、言葉を失ったように沈黙している。


 本物が先に言葉を発すれば、偽物が真似をするだろう。偽物が先に言葉を発すれば、ボロが出るかも知れない。それを理解すればこそ、二人とも声を出せないのだ。


「ジュピトル様、ご無事ですか!」


 双子のナーガとナーギニーが寝室の入り口に駆けつけたが、中の様子にムサシ同様、絶句する。けれど、本物と偽物を見分ける手段は得られた。双子に二人のジュピトルの頭の中を読み取らせれば、どちらが本物かは判別出来る。ムサシは言った。


「この二人の頭の中を読め」


「えっ」


 双子は同時に驚いた。ムサシは少し苛立たしげに続ける。


「驚いとる場合か。この状況では、そうでもせねばらちが明かんだろう」


「でも……」


 ナーギニーはナーガを見た。ナーガも困惑した顔でうなずく。双子が戸惑うのは当然である。偽物の頭の中を読む事には何の支障も問題もない。だが、本物の心に土足で踏み込むような真似など、出来るはずがない。たとえジュピトルが許しても、自分自身が許せないのだ。


「僕は構わないよ」


 向かって左側のジュピトルが言う。


「僕も構わない。読んでくれ」


 もう一人の、右側のジュピトルも言う。二人とも優しい笑顔だ。


「ほれ、本人もこう言うとるのだ。やってしまえ」


 ムサシの軽い言葉に、ナーギニーはムッとした顔で言い返す。


「そんな簡単な事ではありません!」


「そもそもムサシが付いていながら、何でこんな事になってるんですか」


 ナーガの指摘に、ムサシは言葉を濁した。


「それは、じゃな。その、アレだ」


 そこに、窓の外から聞こえる爆発音。ムサシと双子が振り返ると、部屋の中には輝く人影。灰色のポンチョを着た、銀のマスクのサイボーグ。


「ジンライ。お主、いったいどうした」


 ムサシの問いかけに返事をせず、ジンライは寝室に入ってくる。そこには二人のジュピトル・ジュピトリス。


「なるほど。これが狙いだったのか、ファンロン」


 ジンライのその言葉に、二人のジュピトルは反応しない。


「外に居たおまえの部下は、全員斬った。逃げ場はないぞ」


 それでも二人のジュピトルは何も言わない。ジンライは続ける。


「正体を明かせば、命だけは助けてやる。拙者に斬って捨てられたいのなら、好きにしろ」


 すると向かって右側のジュピトルは、微笑んでこう言った。


「ジンライ、君になら斬られても仕方ない」


 ところがもう一人、左側のジュピトルは首を振った。


「僕は斬られるのは困るな」


 そしてこう続けた。


「3Jに怒られるからね」


 銀光一閃、超振動カッターがきらめく。ジンライの右側にいた、先に答えた方のジュピトルが倒れ込んだ。左の肩に傷が付いている。恐怖と悲しみに満ちた顔。


「どうして、僕だよ、わからないの」


「わかっていないのは貴様の方だ」


 ジンライは静かに見つめる。


「本物のジュピトル・ジュピトリスに、拙者の剣をかわせる訳がなかろう」


「違う、これはたまたま」


「たまたまが通用する相手かどうか、本物なら理解している」


 もう一人のジュピトルが声をかける。


「待って。殺しちゃいけない。誰が糸を引いているのか、確かめないと」


 しかし、ジンライはそれを無言で拒絶した。再び銀光が奔る。右側のジュピトルは大きく跳んだ。だが着地は出来ない。両脚が切断されたからだ。床に肩から落ちながら、それでも懐から銃を抜いた。けれどその腕も切断された。そして。


 ジュピトルは息を呑み、ナーガとナーギニーの双子は目をそらした。ムサシが一つ、ため息をつく。


 床に転がる首。それはジュピトルの顔から、酷薄な笑いを浮かべた金髪の女へと変化した。

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