第92話 運と選択

 頂上に赤いライトの明滅する深夜のグレート・オリンポス。ゲートバーで閉ざされた物資搬入口に、突如三台のトラックが突っ込んだ。警報が鳴動し、セキュリティの警備ドローンが集まって来る。だが次々に撃ち抜かれて地に落ちた。トラックの荷台から大型のスナイパーライフルの銃口がいくつものぞいている。


 荷台から飛び降りる武装した男たち。その背後から女の声が飛ぶ。


「さあ好きなだけ暴れな! 頑張ったヤツにはボーナスも出すよ!」


 建物の中から警備ドローンの第二陣が姿を現わす。散開しながらテロリストを包囲しようとするが、どれもことごとく撃ち落とされた。


 と、トラックの中から銀色の光が天に昇る。


 きらめく四本の超振動カッターは、上空を制しようとしていた攻撃ドローンを切断した。火を噴いて落下するドローンに、男たちのテンションが上がる。


「やるじゃねえか、あの野郎!」


 銃声、指笛、笑い声。それを夜空で聞きながら、ジンライはつぶやいた。


「これは後で説明せねばならんな」


 攻撃ドローンに制空権を取られてしまうと後々の事に支障が出るために、やむを得ず退場願った――ドローンを説得する訳にも行かない――のだが、少しやり過ぎな感はある。


 そのとき、体表センサーがレーザー光の照射を感じ取った。照準がこちらに向いている。稲妻の速度で急降下したジンライは叫んだ。


「戦闘部隊が出て来たぞ!」


「何だと」


「やっと出て来やがったか」


「ぶっ殺せ!」


 吼える男たちは獲物を求めて走り出した。ジンライはその最後尾について行く。




 誰かがミサイルポッドを使ったのだろう、爆発音が響いた。続くおびただしい数の銃声。血に飢えたケダモノたちは戦いに夢中だ。トラックからファンロンと側近たちの姿が消えた事に、気付く者は誰も居なかった。




 聖域の外れ、『港』に面した広場。こんな深夜に人影があった。ランタンの青白い光。それを執事のハイムに持たせたリキキマ、ウズメとローラ、縛られた四人のカオスのメンバーたち、そしてドラクル。


「んで、こんなところで何を試す」


 面倒臭そうなリキキマだが、本当に心底面倒臭いのなら、ここまでついては来ないだろう。それを理解しているのか、ドラクルは平然と笑って見せた。


「ボクの血は、たとえ相手の心臓が止まっていても、ある程度の時間以内なら吸血鬼にする事が出来る」


「コイツらが心臓をなくしてから、三日や四日じゃねえだろ」


 リキキマは四人をアゴで指した。ドラクルはうなずく。


「三年や四年でもないだろうね。でも現実問題として、彼らの体は腐っていない。何故だろう」


「そりゃイ=ルグ=ルの力でも使ったんだろう」


「つまり原理はともかく、肉体の時間が止まっているんだ」


 リキキマは眉を寄せ、薄い目でドラクルを見つめた。


「本気か? 心臓がないんだぞ。心臓は吸血鬼の弱点だ。言い換えれば、吸血鬼と心臓はセットだろうがよ」


「だから試してみたいって言ったのさ」


 夜の王はローラとウズメに目をやる。


「君たちはどう思う」


 ウズメは困惑しきった顔だ。


「どうって言われても」


「どうして私たちに聞くのですか」


 ローラの真っ直ぐな視線を、ドラクルは懐かしそうに眺めた。


「可能なら本人の気持ちを尊重したいところだけど、意志表示が出来る状態じゃないよね。だったら君たちに了承を得るしかないじゃないか」


 そう言って微笑む。


「それとも、落ちぶれ果てても吸血鬼は嫌かな」


 ローラは一瞬目を伏せると、再び挑むようにドラクルを正面から見つめた。


「……吸血鬼になれば、元の人格を取り戻せますか」


「やってみなけりゃわからない。運次第だね」


 正直に答えるドラクル。ローラはウズメに視線を移す。


「任せてみましょう」


 ウズメは怯えたように見つめ返した。


「え、でも」


「いま私たちに出来る事は何もない。残念だけど、このまま滅び去るのを待つだけ。でももし、万分の一でも可能性があるのなら、私はそれに賭けたい」


 闇の中に輝く星が如き、強く明確な意思。それはウズメにうなずく勇気を与えた。ローラはまたドラクルを見つめる。


「お願いします」


 青白い顔の吸血鬼は無言で人差し指を咥え、ガリッと音を立てた。その指で天を指すと、先端から面白いように吹き出る血液。地には落ちない。宙に浮かんでクルクル回り、やがてそれは四つの小さな球になる。


 ドラクルの指が振られた。四つの球は、縛り上げられた四人のカオスのメンバーたちへと飛ぶと、勢いよく鼻の穴に突っ込む。四人は仰け反り、尻餅をついた。




 血の球は鼻の奥から頭蓋底を貫通し、脳へと至った。そこで爆発的に体積を増やす。脳室内を満杯に埋めた血液は意思を持つかのように毛細血管を浸食し、逆流する。血液脳関門を突破し、乾いて久しい動脈へと流れ込んだ。




「おお、おおおおっ!」


 四人は全身を痙攣させながらのたうち回った。鼻から、目から、耳から口から、血をダラダラと流しながら。ドラクルは黒いスーツを着たテンプルの胸倉をつかんで、シャツを引き裂いた。胸の大きな穴があらわになり、そこにも流血が見える。


 ドラクルは見つめた。穴の中を。間欠泉のように時折噴き出す血液。その中から、何本かの赤くて細い糸が立ち上がる。血が流れるたび糸は増えて行く。伸びて行く。やがて丸い塊を形作ったかと思うと、真ん中にひねりが加えられる。そして、心臓が生まれた。


 全身を駆け巡った血液は、最後に心臓に集まる。脈動する内側を満たし、再び全身へと巡って行く。長く忘れられていたサイクルが、ここに復活した。


 テンプルの両目に光が宿る。


「……ローラ……ウズメ」


 ウズメは駆け寄った。


「テンプル、わかるの? ここだよ、見える?」


「ああ……二人とも、無事だったんだな……よかった」


「何言ってるの、よかったのはあんたの方だよ。助かったんだから」


 そう言って笑う。


「助かった? そうか、助かった……たすか……ガガガガガガッ!」


 テンプルは弾けたように立ち上がった。重力を無視した動き。他の三人も同時に立ち上がる。四人を縛り付けていた戒めは千切れ飛び、双眸は赤く輝く。その口元には長い牙がのぞいていた。


「い、るぐ、る」


 テンプルがつぶやき、わらった。ウズメは愕然とした顔で首を振った。


「どうして、どうしてよ。わからないの? ねえテンプル」


 しかしテンプルと他の三人は、星空に向かって叫んだ。


「い! るぐ! る! い! るぐ! る! い! るぐ! る!」


 その顔に、黒いイトミミズが湧き出した瞬間。


 四本の光がはしり、四人の体は半断された。縦方向に。いわゆる唐竹割りである。さらに脳と心臓が四分割されるように、横方向に二本、光が奔る。


 ハイムのかざすランタンの明かりの中、長く長く伸びたリキキマの指が、スルスルと手元に戻った。


「満足したか」


 それは誰に向けての言葉だったか。


 切り刻まれたかつての仲間たちの体を前に、呆然と立ち尽くすウズメ。肩を抱くローラ。ドラクルは背を向けた。その背に向かって。


「ありがとうございました」


 それはローラの声。ドラクルが振り返ると、ローラは背中を向けたままこう言った。


「彼らは最後の一瞬、心を取り戻せました。あなたのおかげです。感謝します」


 ドラクルは何かを言いかけたが、やめた。そして一つため息をつくと、姿を闇に消した。




 小型のジェットエンジンを背負い、ファンロンと側近たち三名は上空に昇って行く。下界で暴れる男どもは、セキュリティの目を集める陽動だ。撒き餌だ。もちろん口座には本当に前金を入れてある。だが後金を支払うつもりは最初からない。いかに資金が潤沢にあるとは言え、そこまで無駄な金を使おうとは思っていなかった。


 目指すは二百九十七階、ジュピトル・ジュピトリスの部屋。護衛は付いているだろうが、それはたいした問題ではない。大事なのはジュピトル・ジュピトリスの眼前にまで行き着くこと。それさえ出来れば勝ったも同然。オリンポス財閥が、この手に入るのだ。


 二百階を過ぎた辺りでパトロール中と思われる攻撃ドローンが近付いてきた。だがファンロンたちの装備一式には電磁迷彩が施してある。短時間ならバレる事はない。しかしグレート・オリンポスのセキュリティは、搬入口に集中しているとばかり思っていたのに、担当者が優秀なのだろうか。


 やがて到着した二百九十七階。明かりは点いていない。だが腕時計に内蔵されたカウンターはその数字を示している。間違いはないはずだ。


 ファンロンは無言で、隣に浮かぶ側近の男を見た。右肩に携帯型ミサイルポッドを装備した男はうなずき、即座にミサイルを発射する。躊躇ちゅうちょも迷いも一切ない。四発の小型ミサイルは防弾ガラスの窓を粉砕した。


 影が一つ窓から入り、ガラスの破片が散らばる部屋の床に降り立った。ジェットエンジンを背中から落とし、部屋の奥へと進む。部屋の間取りは事前に集めた情報の通りらしい。こんな夜中だ、標的はおそらく寝室に居るのだろう。その足が寝室に向かったとき。


「動くな」


 背後からの声。馬鹿な、後ろに回られるまで気付かなかったとは。影は静かに両手を上げた。すると部屋の照明が点いた。


「さあこっちを向け」


 背後で右手のひらを向けているのはムサシ。そこには銃口が開いている。しかしその銃が火を噴く事はなかった。ムサシは目を剥いた。いま振り返った、両手を上げたそいつの顔は、間違いない。間違えるはずがない。


 ジュピトル・ジュピトリスが立っていた。

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