第62話 因縁の終焉

 北米、エリア・レイクスのダウンタウン。かつてシカゴと呼ばれた都市に、一軒のレンガ造りのビルがあった。レンガの表面は風化して、年代物の雰囲気を出しては居るが、おそらく建てられて十年と経ってはいまい。その一階に入っているピザレストランのドアを、護衛もつけずに一人でくぐったのは、エリア・アマゾンのマヤウェル・マルソ。


 ざっと見回したところ、客は五人ほど。向かったのは、窓が少なく薄暗い店内の一番奥の角席。壁際の椅子にバッグを置き、入り口に背を向けて座ると、店員に一番安いピザとコーラのセットを注文し、しばらく待つ。


 右側と正面がレンガの壁。外が見えないのは、ただでさえ圧迫感がある。それに加えて店内には音楽ひとつ流れていない。客同士の話し声は聞こえるが、みなボソボソと不明瞭な言葉をつぶやくばかり。まるで異星の酒場にでも来た気分だった。


 とはいえ、この店のこの席に座るのはビッグボスからの指定。金星教団の教祖を紹介する代わりに付けられた条件だった。それをマヤウェルは呑んだ。普段ならば撥ね付けるところだが、いまは非常時である。仕方ない。


 そこに背後から近付いてくる足音が二つ。店員ではないようだ。マヤウェルは振り返らなかった。足音は彼女の横を通り過ぎ、テーブルを挟んだ向かい側に座った。先に座ったのは、黒い僧衣の少女。そしてその隣に、モニター越しに見たあの顔が。ビッグボス、ジョセフ・クルーガーに間違いない。


「本当に来てくれるとは思いませんでした」


 ジョセフは優しげな微笑みを浮かべた。マヤウェルも友好的に微笑む。


「本気ですからね。こちらが金星教団の?」


 少女を見つめる。フードに隠れて表情は見えないものの、それほど警戒はしていないようだ。少女が口を開いた。


「ヴェヌである」


 マヤウェルはジョセフに視線を移した。ジョセフはうなずき、こう言う。


「どうぞ、何なりとご質問なさい」


 マヤウェルは小さくため息をつくと、バッグを手に立ち上がった。


「交渉は決裂のようですね」


 ジョセフの笑顔は崩れない。


「ほう、と言いますと」


「いかに相手が敵対勢力であろうと、交渉事は誠実であるべきです。こんな子供だましに引っかかるとでも思いましたか」


 マヤウェルの言葉に、ジョセフは顔を上げて笑った。いや、嗤った。


「もう引っかかっていますがね」


 店の中にいた客たちが、突然立ち上がってマヤウェルの方を向いた。その手には自動小銃が。


「両手を挙げなさい」


 ジョセフの声に、マヤウェルは素直に従った。ビッグボスは満足そうにうなずいた。


「設計図はバッグの中ですか」


 マヤウェルは無言で首肯する。


「それだけわかれば、もう用はない」


 銃声が聞こえた。一発に聞こえた。だがそれは何発もの銃声が、同時に重なった音。額や胸を打ち抜かれて吹き飛んだのは、小銃を持った客たちだった。


 ジョセフは愕然とした。いったいどこから銃弾が飛んできたと言うのか。この席は外からは見えない。狙撃されたはずはないのだ。


「もう手を下ろしていいですよね」


 そう言ってマヤウェルは手を腰に当てた。ジョセフは鬼の形相でにらみつけている。


「貴様、いったい何をした」


 マヤウェルはニッコリと笑う。いや、嗤う。


「あなたの部下に、ナイトウォーカーと呼ばれる者がいましたよね。似たような事が出来る者が他にいるとは考えませんでしたか」


 そのときジョセフは見た。マヤウェルの足下の影が、横に向かって伸びるのを。その伸びた影の中からのぞく、いくつもの銃口。やがて銃の全体が現われ、それを持つ手が、腕が、上半身が姿を現す。


 手に手に銃を持った、軍服姿の兵たちが何人も何人も、影の中から生えて来た。そしてジョセフと少女を取り囲む。


 ジョセフは理解した。そうか、これがマルソ家の私兵、特別警備部隊『ヨナルデパズトリ』なのか。なるほど、『幽霊部隊』と恐れられる訳だ。


 マヤウェルは仁王立ちで言った。


「最後に聞きます、ジョセフ・クルーガー。あなた、本当は金星教団の教祖の行方を知らないのではありませんか?」


「それは……」


 ジョセフが言い淀んだとき。突然黒い僧衣の少女が牙を剥いてマヤウェルに飛びかかった。無数の銃声。少女は蜂の巣となり、テーブルの上に落ちた。かに見えた。しかし。


「ガアアアアアッ!」


 少女は身を起こすと、マヤウェルめがけて飛び上がる。ヨナルデパズトリの隊員がマヤウェルの前に立ち、銃床で少女を叩き伏せた。それでもまだ少女は死なない。さらに無数の銃弾が撃ち込まれ、全身が肉の細切れとなって、ようやく動きを止めた。


 静寂が生まれた。その瞬間。


 ジョセフがロケットのように飛び出すと、マヤウェルのバッグを奪ってドアの方に走り出した。とても老人の動きとは思えない。さしものヨナルデパズトリの隊員たちも一瞬動揺した。けれどすぐにジョセフの背中を撃ち抜いたのはさすがと言える。


 ところがジョセフは倒れない。銃弾の雨を浴びながら、ドアへと走って行く。だが。ジョセフは見た、ドアの前に立つ男を。


 左腕のないワイシャツにスラックス姿。口から吐く息が白い。


「やあジョセフ。久しぶりだね」


「貴様、ドラクル!」


 ジョセフは急ブレーキをかけて立ち止まる。そしてマヤウェルをにらみつけた。


はかったな、マヤウェル・マルソ」


 それにマヤウェルは驚いたような顔を向ける。


「誤解なさらないでくださいね。あなたが誠実さを見せていたなら、こちらも誠実に応じる用意はあったのですよ」


 そして小さく笑った。


「ま、設計図はまだ手に入れてないんですけど」


 ジョセフは手に持ったバッグを床に叩きつけた。そしてドラクルに向き直る。


「ドラクル、そこをどけ」


「君が隠れ家から出て来るのを待っていた。ずっと待っていたんだ」


 ドラクルは氷のような微笑みを浮かべる。


「君の消息が途絶えて、ボクは探したよ。ずっと探していたんだ」


 右腕を広げて、ジョセフに近付く。


「君に会いたかった。ずっとずっと会いたかったんだ」


 ジョセフは後ずさる。


「ち、近付くなっ! この化け物が!」


「いやだなあ、君だって充分に化け物じゃないか」


 そう言いながら右手を高く上げる。


「ボクの血で不死の体を手に入れたんだ。ボクが殺してあげるのが筋だよね」


「おのれえええっ!」


 やぶれかぶれになったジョセフが、牙を剥いてドラクルに飛びかかる。ドラクルの右手が音もなく振り下ろされた。


「ゴー」


 ジョセフの胴を斜めに、氷の刃が切断した。左肩から心臓を貫いて右腰に抜ける。凍結した断面は、接合も修復もできない。崩れ落ちたビッグボスの髪をつかんでドラクルは持ち上げた。


「心臓は破壊した。これで首を斬り落とせば、不死身の吸血鬼も終わりだね」


 すると、ジョセフはニンマリと笑った。


「おまえにいい事を教えてやろう」


「へえ、何?」


 ドラクルが無邪気に聞き返すと、ジョセフはこう言った。


「あそこで肉の塊になったあの娘……あれは、ローラの細胞で作ったものだ」


「ふうん、だから?」


 ドラクルはキョトンとした顔で首をかしげていた。それが演技でも何でもない事を、ジョセフは理解した。ドラクルはつぶやく。


「ローラ以外はローラじゃないんだ」


 ジョセフの半身を放り上げると、ドラクルは再び右手を振るった。


「ゴー」


 無数の氷の棘が、ジョセフの頭部の内側から突き出す。脳を破壊し、頸部を切断する。床に転がった、氷結した頭を踏み砕いて、ドラクルはマヤウェルに向き直る。ヨナルデパズトリの隊員たちが銃口を向けている。苦笑しながらドラクルは言った。


「今回の事は、恩に着た方がいいのかな」


 マヤウェルは笑顔で答える。


「一つ貸しって事でいいんじゃない」


「そう」


 ドラクルは消えた。と思ったとき。


「グアアアアアッ!」


 背後から叫び声。マヤウェルが振り返ると、さっきの少女がボロボロの状態で立ち上がり、また飛びかかろうとしていた。その肩をつかみ、止めているのはドラクルの右手。


「君はこの世界に居るべきじゃないんだ」


 そうドラクルが言った途端、少女の肉体は形を崩し始める。まるで真夏の雪だるまのようにドロドロと溶けて行き、やがてその液体は、すべてドラクルの右手に飲み込まれて行った。


 少女だった液体が消え去った後、ドラクルはしばし右手を見つめていたが、不意に笑顔を見せ、マヤウェルを見つめた。


「……これで貸し借りなしって事でどう?」


「うん、もうそれでいいかな。協力してくれてありがとう」


 その言葉に、ドラクルは意外そうな顔をした。


「君はあんまりイヤなヤツじゃないんだね」


 すると今度はマヤウェルが意外そうな顔をした。


「そう? イヤな小娘だってよく言われてるみたいだけど」


「いやあ、君より何倍もイヤなヤツ知ってるから」


「それは……何か大変ね」


「ああ、本当に大変さ」


 ドラクルは笑った。


「君も気をつけた方がいい。あいつに関わるとろくな事がないからね。それじゃ」


 そう言い残すと、今度は本当にドラクルは姿を消した。


「あいつって結局、誰の事なのかな。ま、いいか」


 マヤウェルは店の中を見回した。大昔のギャング映画のように、あちこち穴だらけだ。遠くからセキュリティのサイレンが近付いている。もうここには用はない。


「全員、影に戻りなさい。それと隊長に連絡して。予定通り、金星教団関係者は全員『保護』すること。以上」


 マヤウェルは歩き出した。ジョセフの死体をまたいでドアに向かう。その影の中に、一人、また一人と兵が沈んで行く。彼らの表情には、母の胎内に戻るが如き安らぎがあった。

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