第61話 頭をひねる

 白い石造りの屋敷。その外側の石段に座る巨人。獣人の街ウルフェンの住人たちは、その支配者を取り囲むように立っていた。見物していたと言った方が正確かも知れない。


 殺したばかりの人食いヤギを、血抜きもせず、皮も剥がず、角も骨も丸ごと噛み砕いて飲み込む。獣王ガルアムの食事風景に、取り囲む獣人たちは唖然としていた。獣人とは言え未開の民ではない。火を使う文化的生活くらいは知っている。それ故に、顔を血まみれにして生肉を喰らう王の姿は衝撃的であった。


 別にガルアムとて生肉が好きな訳ではない。火を通した料理の味も知っている。いや、出来ればそちらの方がありがたいとさえ思っている。だが十メートルに近いこの巨大な肉体を維持するためのエネルギーを得るには、常に食べ続けなければならない。焼いたり煮込んだりしている時間がないのだ。だからこそ、普段は半睡眠状態でエネルギー消費を抑えていたのだが、イ=ルグ=ルの目覚めが近付いた現在となってはもう眠れない。


 それでもヤギ三頭は結構な量であった。次の食事まで、少し時間を置けるだろう。顔に付いた血を大判のタオル――ガルアムが持てば折り畳んだハンカチほどに見えるが――で拭いながら、息子を呼んだ。


「ギアン」


「はい、父上」


 ギアンが前に進み出る。獣人たちの中では比較的大柄な方ではあるが、石段に腰を下ろす自分の胸辺りまでしかない長男に向かって、獣王はたずねた。


「3Jから連絡はあったか」


「いえ、それはまだ」


「そうか」


 イ=ルグ=ルの強大な思念波の嵐が吹き荒れてから、そろそろ一週間経つ。何ぞ言って来るかと思っていたのだが、どうやらこちらから出向かねばいかんか。ガルアムが小さく息をつき、「使者を立てるか」とつぶやいたとき。


「それには及ばん」


 人垣の向こうから声がした。ガルアムを取り囲む獣人たちの群れの中に、頭一つ飛び出しているのは、銀色のサイボーグ。ギアンはそちらを向いて手を振るった。


「道を空けろ!」


 まるで海を割る奇跡の如く、獣人たちは慌てて左右に分かれた。そこに立つのは3Jとジンライ。


「ようやく来たか」


 ガルアムの言葉に、3Jは答えた。


「おまえが思っているほど、俺もヒマではない」


「そのようだな。だがそれなら本人が来る必要もなかったのではないか」


「おまえが考えているほど礼儀を知らん訳ではないし、事態も単純ではない」


 これにはさすがのガルアムも苦笑する。


「いまさら礼儀など求める気はないが……それほど複雑な事になっているのか」


「ここで話せるレベルではない。中で話せるか」


 いつになく真剣な3Jの様子に、ガルアムはうなずいて立ち上がった。


「良かろう」




 ジュピトル・ジュピトリスは悩んでいた。首をひねり頭をひねっていた。ついさっき3Jから届いたファイル。中にあったのは、世界の鉱物資源の産出状況を示すデータと、エリア・トルファンの衛星軌道からの撮影データ。何の説明もつけずにこれだけ送られて来ても、何の事やらサッパリわからない。


 鉱物資源のデータは世界政府が公開している情報らしい。ならアドレスだけでも良かったろうに、わざわざダウンロードして送りつけるというのは、よほど重要な意味があるのだろうか。


 トルファンの撮影データには公式のサインがない。パンドラから撮影したのだろうか。可視光で撮影した写真に赤外線写真、そしてレーダースキャンのデータ。これで何を察しろというのか。


 左右に立ってモニターを眺めるナーガとナーギニーも首をひねっている。


「トルファンの写真があるという事は、鉱物資源のデータもトルファンの部分を見るべきなんですよね」


 と、ナーギニーが言う。


「鉄、銅、アルミニウム、マンガン……石油も石炭も出るし、このうち何を見ればいいんでしょう」


 と、ナーガも言う。


「何の説明もないという事は、見ればわかると言いたいんだろう。何を見るべきか、何を読み取ればいいのか、全部ここに書いてある、という事だと思うんだけど」


 ジュピトルはまた首をひねる。すると、デスクから少し離れたソファに寝転ぶムサシが声をかけた。


「書いてあるとは限らんじゃろう。そこに書いていない、というのも含めて情報じゃからの」


 それを聞いたジュピトルの動きが止まる。しばしモニターを見つめると、トルファンの可視光の写真と赤外線写真、そしてレーダースキャンのデータを重ねた。目を皿のようにして見つめる。


「……これ、何だろ」


 エリア・トルファンの北側に、細く光る筋が何本も枝分かれしている。ナーガが見つめる。


「レーダースキャンのデータですね。地下に空間があるんじゃないでしょうか」


 その言葉にジュピトルは眉を寄せる。


「トルファンの北端に大きな地下空間があって、そこから細い空間が伸びている……地下道なのか……いや」


 そんなはずはない。3Jが鉱物資源のデータを寄越した意味を考えろ。


「坑道か。ここに何かの鉱脈があるんだ。何の鉱脈だろう」


 鉱物資源の産出データを見る。トルファンの部分を拡大する。どんどん拡大する。エリア・トルファン北端に接する鉱山は、ない。ここからは何の鉱物資源も産出されていないはずだ。データの上では。


 ジュピトルは腕を組んで唸った。おそらくエリア・トルファンは、隠れて何かを採掘している。何をだ。世界政府に公表できない鉱物資源、それは何だ。エリア北端の巨大な地下空間も関係しているのか。


 地下空間のある場所は、周辺よりごく僅か、ほぼ誤差レベルだが、赤外線が多く放射されているように思える。地下に隠された施設があるのだろうか。あるとするなら、何の施設だろう。


 問題はこれを送って来たのが3Jだという事だ。他の人間なら、面白半分や興味本位の可能性もゼロではない。だが3Jに限ってそれはない。これは間違いなくイ=ルグ=ルとの戦いに関連した情報なのだ。イ=ルグ=ル……地下施設……鉱物資源。


 突然ジュピトルは立ち上がった。


「ジュピトル様?」


 あまりの勢いに、ナーギニーが驚いてたずねる。


「どうかされましたか」


 ナーガがのぞき込むと、ジュピトルは蒼白な顔でつぶやいた。


「……まさか、核兵器?」




「……まさか、核兵器とは」


 大理石の椅子に腰掛け、巨大な獣人はため息をついた。隣に立つギアンは絶句している。3Jは言った。


「ラオ・タオはデルファイを核実験場にする気だろう」


「あれだけ地球を荒廃させて、まだ足りぬのか。人間は百年経っても進歩せぬのだな」


 ガルアムは心底呆れた。だがなるほど、これは外では話せぬ訳だ。人間が核の炎でデルファイを焼き尽くそうとしているなどと知れたら、大パニックになる。聖域サンクチュアリの人間たちが皆殺しにされるかも知れない。


「それで、対策は考えてあるのだろうな」


 ガルアムの言葉に、3Jはうなずく。


「策はある。だが不確定要素が多い。上手く行くかどうかは半々だ」


「その策に、我も加われと言うのだろう」


「そうなる」


 そうでなければ、わざわざ3Jがここに来たりはしない。ガルアムはじっと見つめた。


「まさかとは思うが、こうなることがわかっていて、ジャックとダラニ・ダラを外に出したのではあるまいな」


 3Jは答える。いつものように感情のこもらぬ、抑揚のない声で。


「俺は悪魔ではない」


「似たようなものだ」


 ガルアムはふっと笑った。


「まあ良い。策には我も加わろう。この力、好きに使うがいい」


「助かる。諸々決まり次第、また連絡しよう」


 そう言って3Jは背を向けた。その背にガルアムの声がかかる。


「……ズマを何故連れて来なかった」


 3Jは振り返らずに答えた。


「ズマにはズマの判断があり、考えがある。俺がとやかく言う必要はない」


 ギアンは視線を落としている。ガルアムはしばし息子を見つめ、またため息をついた。


「わかった。連絡を待とう」


 それは誰からの連絡なのだろう。そんな疑問を口にする者は居ない。3Jとジンライは静かに扉へと向かった。




 聖域の真ん中にある巨大な黒い立方体、迷宮ラビリンス。その中を掃除機とハタキを手に、執事のハイムは掃除して回っていた。空間を折り曲げられて作られた、外からの風ひとつ入って来ないこの室内にも、何故かほこりは溜まるのだ。


 パタパタとハタキをかけて、床を掃除機で吸う。空気清浄機があれば埃も少しは減るだろうか、いやいや、そんな可愛くない物を部屋に置くのは許されないのだろうな、などとハイムが考えていると、不意に三次元通信機のコール音が鳴った。モニターに表示されていたのは、意外な人物の名前。ハイムは通話ボタンを押した。


「これはこれはマヤウェル様、お珍しい。そちらはまだ早朝でございましょうに」


「ええ、久しぶりね、ハイム。こっちはついさっき起きたところ。まだ眠くて」


 画面の向こうにいるのは、エリア・アマゾンのマヤウェル・マルソ。大三閥が集まる場ならともかく、直接ここへ連絡してくるのは異例であった。


「しばしお待ちください、すぐ主人を呼びますので」


「いいえ、今日はリキキマに用があるんじゃないの」


 マヤウェルの言葉に、ハイムは首をかしげた。


「はて、ではどういったご用件でございましょう」


 マヤウェルは笑った。何の屈託もない笑顔でこう言う。


「『彼』を呼んでくれる?」

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