第9話 ドラクル

 部屋、と言うよりは神殿と言った方が正しいような場所。磨き上げられた石の床に石の柱、天井までの高さは二十メートルを超えるであろうその真ん中に、巨大な大理石の椅子があった。座面の高さがおよそ二メートル。背もたれの上までなら五メートルはある。だがその椅子が見えない。何故なら椅子を覆い隠すように、巨人が座っているからだ。


 深く背もたれに身を沈めて目を閉じる、オオカミの頭部を持った巨人。まるで巨大な彫刻のようにも見える彼こそが、デルファイ四魔人の一人、獣王ガルアムであった。


 この肉体はエネルギーを消費しすぎる

 普段は半睡眠状態にしておかねば

 いくら食料があっても足りない


 ガルアムの思念は眠そうに言った。魔人ならではの悩みなのだろうか。ガルアムは目を開ける事なく、3Jに意識を向けた。


 それで我に何の用だ

 人の子よ


「イ=ルグ=ルの事は気付いているな」


 3Jはまったく気圧される様子もなく、淡々と話す。


 うむ

 気付いてはいる


「イ=ルグ=ルが目覚めたとき、その思念波攻撃を最低限に抑えるには、おまえに先頭に立ってもらわねばならない」


 元よりそのつもりだ


 そんな事を言いたいがために、あんな騒ぎを起こしたのか。ガルアムの思念は言外にそう告げていた。より正確に言うなら呆れていた。しかし。


「その際、人間と共闘してもらいたい」


 その3Jの言葉に、ガルアムは沈黙した。代わりに3Jの背後に立っていたギアンが激昂する。


「貴様! 父上に人間如きと共闘しろと言う気か!」


 3Jとギアンの間にジンライが滑り込む。


 ギアン

 口を出すな


 ギアンは不満げに口を閉じ、一歩下がった。ガルアムは一呼吸置き、こうたずねる。


 何故

 人間と共闘せねばならない


 3Jは言った。


「さもなくば、おまえが無意味に敗北し、無駄に死ぬからだ」


 空気が凍るとは、こういう状況を言うのだろう。気温が下がり気圧が上がる、矛盾した感覚。さしものギアンも、これには唖然とし、言葉が出ない。


 このガルアムが無意味に敗北すると言うのか


 思念を受ける脳が熱い。ジンライは危険を感じていた。だが3Jは続ける。


「おまえだけではない。覚醒したイ=ルグ=ルには四魔人の力を合わせても敵わない」


 3Jよ

 我はそなたを認めている

 そなたが特別である事を知っている

 だが


 ガルアムの頭部が動き、目が開き、口が開いた。


「調子に乗るな、人間が!」


 その息は嵐の如く。その声は雷鳴の如く。今度は真に物理的な衝撃が3Jに襲いかかる。


「人間! 人間! 人間! 愚かなる人間! 汚らわしき人間! 人間と共闘だと? 笑わせるな! 利用し、裏切り、切り捨てる、人間に出来る事などそれだけではないか! 人間が我らに何をした! 何が出来た! 無意味な敗北だと? 無駄な死だと? そんなものは戦いの崇高さも知らぬ人間の戯言に過ぎぬ! 四魔人で敵わぬだと? うぬに我らの何がわかる! ダラニ・ダラの寵愛を受けただけで、神の知恵でも得たつもりか! うぬぼれるな小僧!」


 ガルアムは怒り狂った。口角泡を飛ばして怒鳴り散らした。


「うぬがその場に立てるのは誰の力ぞ! それはズマの力でありジンライの力である! ダラニ・ダラの力でありパンドラの力である! うぬの実力などでは決してない! 回りに助けられねば一人で歩くことも出来ぬ卑小な存在が、我に戦いを語るなど万年早いわ!」


 轟々ごうごうと怒れる言葉が激流の如く流れ去った後、静寂が訪れた。ギアンは仰向けに倒れ、ジンライですら身動き出来ずに固まっている。心を削る数秒の時間が経ったとき、沈黙を破ったその言葉。


「気が済んだか」


 3Jは平然と言ってのけた。そして続けた。


「俺の頭の中にシミュレーションがある。おまえなら見えるはずだ」


 これにはさしものガルアムも眉を寄せた。


「……我に何を見せようというのか」


「語るより見た方が早い」


 他人の頭の中をのぞくなど、ガルアムの趣味ではない。だがこの流れで見たくないとも言えない。やむを得ない、思念を集中し、3Jの頭の中に分け入る。


 しばらく進むと、視覚野に訴えかける情報があった。何かが激しく動いている。これか。見えてきたのは、黄金の神人。かつて戦ったイ=ルグ=ルの姿。だが。いや、待て、何だこれは。


 ガルアムは目を見開き、叫ぶ。


「どういう事だ、これは!」


 そしてあまりの興奮に、ガルアムの巨体は椅子から立ち上がった。


「何だ、いったい我に何を見せた、3J!」


「来たるべき未来」


 抑揚のない声で3Jはつぶやく。ガルアムは頭を抱える。その手は震えて見えた。


「馬鹿な、そんな事があろうはずがない」


「未来は確定していない」3Jは言う。「俺のシミュレーションが間違っている可能性はゼロではない。だが間違っていない可能性もゼロではない。おまえはどうする、ガルアム」


 ガルアムは氷山が崩れ落ちるように椅子に座った。


「だから人間と、人間と共闘せよと言うのか」


「さもなくば、おまえは無意味に敗北し、無駄に死ぬ」


 同じ言葉を繰り返し、3Jはこう続けた。


「無論、人間の側も同じだ。おまえたちと共闘出来なければ、ただ蹂躙され、ただ滅亡するしかない」


「だが出来るのか。いまの人間に、我らと共闘など出来るものなのか」


「出来る者が居る。いまはゴミのような役立たずだがな」


 その3Jの答をどう聞いたのか。ガルアムは再び背もたれに身を深く沈めた。


 しばし考える時間をもらいたい


 そう言い残し、眠りへと落ちて行った。




 ズマは少女を抱えて跳び続けた。森の奥に向かって。そのはずだった。だがおかしい。森の奥の管理人の住む辺りは木々がまばらになり、すっぽりと開けている。そこに向かっているのに、木が一向に減る様子がない。それどころか増えていないか。……いや、違う。ズマは止まった。


「何だこれ」


 少女が不安げな顔でズマを見上げる。


「どうかしたの?」


「さっきから同じ場所をグルグル回ってる」


「へえ、もう気付くんだ」


 背後から聞こえた明るい声に、しかしズマは慌てなかった。視界の端で後ろの枝を見つめ、そこに人影があるのを確認する。


 スニーカーにジーンズ、目の覚めるような真っ赤な厚手のセーターを着て、首元には黄色い長いマフラーをグルグルと巻き付けている。青白い中性的な顔立ちに短い銀色の髪。そしてその口から吐く息が白い。鬱蒼とした緑の森の奥に、これほど不似合いなヤツは居ないと思えた。


「誰だおまえ」


 ズマの問いに、赤いセーターは満面の笑顔でこう答えた。


「ボクの名前はドラクル。夜の王さ」


「まだ夜じゃねえぞ」


「そうだね、だから力が出せなくて困っているんだ。協力してくれないだろうか」


 軽薄で明るい口調。だがズマは気付いている。コイツ、化け物だ。


「おまえに協力してやる義理はない」


「そんな事言うなよ、袖すり合うも多生の縁って言うじゃないか」


「そんなの知らねえ」


「簡単な事なんだよ。まずはさ、その女の子を下ろして」


 ズマはゆっくりと振り返り、ドラクルと正対した。


「おまえ、人間食ったろ」


 ドラクルの顔には笑顔が貼り付いている。しかしその目は笑っていない。


「何の事かな」


「人間二人食ったよな。血のニオイがぷんぷんするぞ」


 ズマの腕の中で少女が身を固くする。ようやく状況を理解したのだ。


「人聞きが悪いなあ。ボクは人間の肉を食べたりしないよ」


 ドラクルは楽しげに笑った。白い息が弾ける。


「ちょっと生き血を飲んだだけなのに」


「たいして変わんねえよ」


 さあどうしたもんか、とズマは思う。いくら軽いと言っても、人間一人抱えたままで戦える相手かどうか。そんな気持ちを見透かしたのだろう。


「その子を助けたいんなら、別に見逃してもいいよ。お腹はいっぱいだしね」


 ドラクルはそう言うが、いかなズマでも、それを頭から信用するほど間抜けではない。


「じゃあ何で追いかけて来るんだよ」


「その子の持ってる物に興味があるんだ」


 ズマは視線を動かさず、少女に問いかけた。


「何か持ってるのか」


 少女はズマの腕の中で小さくうなずく。


「……魔法の石」


「魔法の石?」


 ズマは眉を寄せた。


「魔法の石?」


 ドラクルも眉を寄せた。と思うと、大声で笑い出す。


「魔法の石! そうか、魔法の石か。確かに、何も知らない君たちから見れば、魔法の石に思えるかも知れないね」


 そして腹を抱えてひとしきり笑った後、一つ白い溜息をついてこう言った。


「けど、それは魔法の石なんかじゃない。もっともっと価値のある物さ。たとえそれを手にするために、人間が何十人、何百人死のうと構わないくらいにね」


「何でそれを教える」ズマは身構えた。「見逃すつもりなんてないって事だろ!」


 ドラクルは小首を傾げた。


「君、思ったより賢いんだね」


 ズマは跳んだ。真上に。枝の間を抜け、樹冠から上空に飛び出す。そして体をひねり一回転。森の奥の木のまばらな場所を探す。見えた! 木の先端を蹴り、森の奥の方へと強く跳んだ。だが。


「小賢しいね」


 背後にドラクルが、直立姿勢のまま飛んで来た。黄色いマフラーがたなびく。そして静かに、なでるように左腕を振るった。


「ストップ」


 その瞬間、ズマの下半身は動かなくなった。いや、動けなくなった。二本の脚が分厚い氷の塊に覆われているのだ。


「うあああっ!」


 ズマはそのまま、真っ逆さまに落ちて行く。ドラクルは宙に立っていた。空には赤みが差し、太陽は四千メートルの壁の向こうに沈みかけ、夜がやって来ようとしている。


「さて、王の時間だ」

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