第3話 蠢くもの

 闇の中、地の底をうごめくもの。それは知っていた。自らに敵対するであろう存在を。恐れてはいなかった。恐れる理由などまるでなかった。


 だが敵を恐れさせねばならない。自らの存在を知らしめ、恐怖に駆らせなければならない。だから目と耳を潰す。闇の中から手を伸ばし、すべての経路を同時に、ギュッと握る。破壊はしない。壊さずに、ただエネルギーの流れを止めるのだ。目に見える巨大な敵より、暗闇の小鬼を恐れるのが人間というものだと、それは経験的に理解していた。




 闇の中、空の上を蠢くもの。それは知っていた。自らに敵対するであろう存在を。恐れてはいなかった。恐れる理由などまるでなかった。


 だが人々を恐れさせねばならない。敵の存在を知らしめ、恐怖に駆らせなければならない。だからまだ手を出さない。闇の中へと手を伸ばし、敵を捕まえるのは容易たやすい。破壊し、撃退するだけならすぐにでもできる。だがそれでは意味がないのだ。いま見える小さな敵より、暗闇の向こうの真の敵を討たねば人類に未来はないと、それは充分に理解していた。



 オリンポス財閥コンツェルン総合本社ビル、グレート・オリンポスには五十階、百階、百五十階の三箇所にヘリポートがあった。どれも大型の輸送ヘリが離発着できる広さがある。その五十階のヘリポートの隅に、プロミスとハーキイは着陸した。しかしヘリポートはしんと静まりかえっていた。この時点で、ようやくプロミスは気付いた。妙だ。いくら何でも静かすぎる。


 電磁波吸収塗料で塗りつぶしたハングライダーはレーダーの網をかいくぐったのかも知れない。もちろんそう考えればこそ、この手段を選んだのだ。だがヘリポートには重量センサーがあるはずだ。人が二人も降り立てば気付かれる。その前提であった。だが警備兵も警備ドローンも出てこない。何故だ。


「どう思う」


 ハーキイの言葉にも緊張が見える。同じ事を考えていたのだろう。


「何かが起きてるんじゃない」


 そう言いながらプロミスはリュックを下ろした。中の荷物を確認する。手のひらサイズの四角いブロックがギッシリと詰まっている。


「それでもやる気かい」


 呆れたようなハーキイに、プロミスはゴーグルを外して微笑んだ。


「私たちに有利な事が起きてるのかも知れない。なら、このチャンスを逃す手はないでしょ」


 四角いブロックの正体は、二液混合式爆薬『ボルケーノ』。ブロック単体ではどんな衝撃を与えても爆発しないが、二種類のブロックを結合させ、中の液体が混ざると、簡単な刺激で爆発する。


 いまこのグレート・オリンポスにはDの民のトップクラスが集まっている。彼らごとビルを崩壊させられれば、エリア・エージャンにおける支配構造は変革を余儀なくされる。Dの民は神様ではない。爆弾で簡単に死ぬのだ。


 義勇軍『プロメテウスの火』。Dの民の支配に抵抗する小さな集団の若きリーダー、それがプロミスのいまの姿だった。


「それじゃ行こうか」


 プロミスがリュックを背負い直したとき、暗い空からクラトスとビアーの鋭い鳴き声が響いた。ハーキイがプロミスを背に回す。


「やっぱり黙って行かせてはくれないらしい」


 ヘリポートから建物内部につながる入り口に、明かりを背にした人影が現われた。一人だ。自動小銃を手に、ゆっくりと歩いて近付いてくる。


「たった二人でここに乗り込んでくるとは、随分とまた命知らずなテロリストじゃな」


 その正体に、ハーキイは気付いたようだった。


「アタシの後ろから出るんじゃないよ」


 プロミスに小さな声でそう言うと、ハーキイは一歩前に出た。


「エリア・ヤマトの軍神と言われた男が、いまじゃDの民の飼い犬かい。出世したもんだね」


 照明の下に出てきたのは、決して大柄とは言えない老人。キモノ、と言うのだろうか、東洋の服を着て、真っ白い髪をオールバックになでつけている。


「ふおっ、ふおっ、それはまた懐かしい言葉を聞かせてくれる。よく知っておるのう。じゃが飼い犬生活も悪くはなくてな。ことにいまの飼い主は気に入っておるよ」


「その飼い主に用があるんだけどね。呼んできてくれないか」


「そうしてやりたい気持ちもなくはないが、そうも行かん。アレはいま忙しくてな。おまえさん方と関わりあっとる場合ではないのだ。と言うか」


 老人は二人に銃口を向けた。


「おまえさん方も帰ってくれんかのう。ちょっと洒落にならん事になりそうでな」


「そう言われちゃ帰る訳には行かないね」


 ハーキイはまた一歩前に出た。老人は一つ溜息をつく。


「天邪鬼は大ケガの元じゃよ」


「悪いね、生まれつきなんだ」


「なら仕方ないのう」


 老人はためらうことなくトリガーを引いた。ハーキイは顔を両手でカバーして真っ直ぐ走った。


「うおおっ!」


 ボディスーツが銃弾にえぐられる。しかしその下にあったのは素肌ではなかった。白くて薄いセラミックアーマー。自動小銃の銃弾でも、同一箇所で三発くらいまでなら防げる優れものだ。


 老人は下がったが、ハーキイの飛び込むスピードの方が早かった。左手で銃身をつかんだかと思うと、右手で老人の顔面に一撃、のはずが、手首をつかまれたハーキイの体は宙を舞った。けれどヘリポートに叩きつけられる寸前に体をひねり、足から着地、そのまま再び下から左手で老人の顔を襲った。老人はそれを二本の腕をクロスして受け止める。だがその姿勢のまま、体は三十センチ後ろに滑った。


「……なるほど、これが『豪腕』ハーキュリーズの一撃か。マトモに食ろうたらオダブツじゃな」


「ちっ」


 武道家同士が戦いの中に交差して動きが止まると、次に離れる瞬間が危ないというのは一つの常識である。なのに老人は簡単に一歩下がった。不用意な、ハーキイにはそう見えた。だから釣られて一歩前に出てしまった。その瞬間、老人の下げたはずの足が跳ね上がった。


 何の事はない、まんまと呼び込まれてしまったのである。不用意なのはハーキイの方だった。


 老人の足先からはブレードが飛び出していた。ハーキイの首は切り落とされていただろう、もしその足が宙で動きを止めなければ。


 と言っても老人が足を止めた訳ではない。止められたのだ。つかまれたのだ。毛むくじゃらの大きな手に。その大きな手は、小さな体につながっていた。褐色の肌で半ズボンを穿いた、毛むくじゃらの大きな両手を持った上半身裸の男の子が、ハーキイと老人の間に立っていた。


「あのさあ、何やってんの、こんなときに」


 男の子はゴミでも投げ捨てるように、老人の足を放す。老人は三歩ほど下がると、腰をトントンと叩いた。


「はて、何じゃな、おまえさんは」


「おいらはズマ」そうぶっきらぼうに答えた。「アンタらが全滅したら面倒臭いからって、兄者に言われて加勢に来た」


 ズマ。その名は聞き覚えがあるとハーキイは思った。老人も何やら考えている。


「どうやってここに入って来た」


「手と足で上って来たに決まってんじゃん。それよりもさ」


 ズマはプロミスを見つめた。


「爆弾持ってるんだろ」


「えっ」


「いまのうちに準備しとけよ。すぐ来るぞ」


「来るって何が」


「オレは馬鹿だから説明はしねえ。説明してる余裕もねえ。ただ言えるのは、死にたくなかったら頑張れってこった」


 ズマはヘリポートの端を、いや、その向こうの闇を見つめている。聞こえるのは風の音だけ。何も見えない、何も聞こえない、しかしその中に、ズマはそれを感じていた。


「来たぞ」


 そのときプロミスは見た。闇の中に、そう、闇の中のはずなのに、スポットライトでも当たっているかの如くクッキリと浮き上がったそれを。


 クマだ。汚れたクマのぬいぐるみだ。随分離れているのに、目のボタンが取れかかってプラプラ揺れているところまで見える。そう思った瞬間、そのクマの顔が、にいっ、と笑った。

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