第2話 異変

「三番、九番、十六番地区のシステムがダウンしています」


「修正プログラムが立ち上がりません」


「手動の再起動、受け付けません」


 総合本社ビルのセキュリティセンターに声が飛び交う。本来ならすべて自動化されているこの場所に、人の声がある事自体が普通ではない。通常時ならオペレーターは一人、システムの動作に異常がないか監視するだけの要員しか配置されていない。しかしいまは非番のオペレーターだけではなく、他部門や支社から人員をかき集めて対処に当たらせている。なのに異常の原因が判明しない。センター長は焦っていた。


 エリア・エージャンの警察・交通システムは、オリンポス財閥の傘下企業『オリンポスセキュリティ』が請け負っている。防犯カメラや警備ドローン、各種センサーの効果的配置と効率的運用によって、住民に『高品質な治安』を提供しているのだ。エリアのセキュリティと総合本社ビルのセキュリティが直結されている事に批判的な目を向ける者も当初は居たものの、いまでは住民の満足度も極めて高い。だがそのシステムに、突然不具合が生じた。不具合、そうとしか言いようがない。


 各システムには何通りもの経路が用意されており、一本の経路に異変があっても、他の経路がフォローをするように出来ている。たとえば隣接する二台の防犯カメラは、別の電源から電力を供給されているのだ。よって埋設されている電源ケーブルが一本切れたからといって、その地区の防犯カメラがすべて止まるという事態にはならない。ドローンもセンサーも、あるいは道路の信号システムも同じだ。部分的に異常が起きても、生き残っている他の経路がその部分をフォローする仕組みである。そのはずなのに。


 今夜になって、何の予兆もなく、地区レベルですべての経路のセキュリティシステムが、一斉にダウンし始めた。あまりにも一斉であったため、センター長は巨大な爆発でも起きたのかと思ったほどだ。しかし他地区のカメラで確認した限りにおいては、当該地区に大きな異変は起きていない。街に明かりは灯り、人々は行き交い、何より交通システムは普通に稼働している。ただセキュリティシステムのみがダウンしているのである。原因はまったく不明。


 だが、一つだけわかっている事がある。システムのダウンする地域が、エリア外周から、段々と総合本社ビルに迫っている。その意味するところは何か。センター長は決断を迫られていた。




 総合本社ビルの二百九十九階、展望ホールでは今宵もパーティが開かれていた。集うのはこのエリア・エージャンの成功者たち。だが、ただの金持ち連中ではない。単なる資産家では、この場所に足を踏み入れることすら叶わない。


 彼らは『Dの民』と呼ばれる。Dはデザイナー・チャイルドのDだ。


 かつて世界は神魔大戦で激減した人口を、短期間に回復する必要性に迫られた。人々は望んだ。崩壊し汚染された世界を生き抜く、強靱な生命力と優れた知能を持つ新たな人類の誕生を。その渇望の前に禁忌はなかった。人の遺伝子は操作され、理想的な肉体と頭脳を兼ね備えた子供たちが次々に生まれた。そして百年の時が流れた。


 子供たちの子孫は『Dの民』と呼ばれ、世界の支配者階級となっていた。そしてその中にも階層があり、選りすぐられた『Dの民』はここ、エリア・エージャンに集まった。神魔大戦後の人類世界を支えた巨大企業グループ、オリンポス財閥に近付くためである。


 そんな『Dの民』の集まるパーティ会場にあって、一人際立つ若者が居た。高い身長に武人の如く鍛え上げられた肉体、それでいて優雅な身のこなし、美しい容貌、さらには勇猛果敢かつ豪放磊落な人間性と圧倒的な存在感。オリンポス財閥の総帥ウラノスの三人の孫が一人、次兄ネプトニスである。彼はいつもパーティの中心であった。その周囲には人が絶えない。パーティに参加した多くの者たちは彼を見て、皆口を揃えてこう言った。「次期総帥」と。




 ネプトニスが居る会場の中心から少し離れた、喧噪が届かない部屋の隅で、一人壁を背にしてもたれかかる少年。ネプトニスに比べれば貧相にも見えるが、しかし充分整った顔をうつむけて、慣れていないのだろうか、黒い蝶ネクタイを何度も触っている。そこに近付く長身の影があった。


「よう、壁の花。ダンスの相手でも待ってるのか」


 酒臭い。少年は困ったような顔を上げてその影を見た。


 影は身長だけならネプトニスを上回るはずなのに、猫背のために押し出しの強さは感じられない。容姿は整っているにもかかわらず、無精ヒゲで台無しだ。着ている服も最上級なのに、適当に着崩しているために安物に見える。そして浴びるように酒を飲む。酔っていない姿を見た記憶がない。これがネプトニスの兄、三兄弟の長兄プルートスであった。


 プルートスは持っていたグラスの酒を一気に飲み干すと、ウェイターを呼び止めて奪うように新たな酒を手にした。


「つまらねえ。ああつまらねえ。どいつもこいつもネプトニス、ネプトニス。何でオレがこんなパーティに参加しなきゃならねえんだ。なあ、J」


 そう呻くように口にしながら、プルートスは壁にもたれた。しかしJと呼ばれた少年は返事をしない。どう返して良いやらわからないのだ。


「みんなオリンポス財閥はネプトニスが継ぐもんだと決めつけてやがる。オレなんざ、無視だよ、無視。気に入らねえ。何でこうアイツらには優しさってもんがないのかね」


「Dの民の合理思考でしょうか」


 少年がおずおずと口にした言葉に、プルートスは鋭い視線を飛ばした。


「つまりオレを次期総帥候補と考えるのは、非合理的だって言いたいのか」


「いえ、そういう訳では」


 少年はまた困った顔を見せた。プルートスはまた酒をあおった。


「ったくよ、だからオレはおまえらが嫌いなんだよ」


「……知ってます」


 悲しげな顔を浮かべる少年に対し、プルートスは意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「ほう、知ってるのか。何を知ってる」


「何をって」


「知ってるんなら、オレがネプトニスを嫌いな理由を言ってみろ」


「それは……」


 少年はまたうつむいてしまった。プルートスは鼻を鳴らす。


「フン、言えねえか。じゃあオレが言ってやる。アイツは外見だけだ。見てくれだけは立派だが、中身はスッカラカン。何もない。腕っ節は強いかも知れん。教養もあるかも知れん。だがいまどき、そんなものは機械で充分事が足りる。ネプトニスにはそれ以外がない。なのに人の上に立とうとしやがる。だから嫌いなんだよ」


 少年は黙っている。


「肯定も否定もしないか。いかにもおまえらしいな」


 プルートスは酒をあおり、言葉を続けた。


「じゃあ次だ。オレがおまえを嫌いな理由を言ってみろ」


 少年は少しためらいながら口を開いた。


「弟として情けないからですか」


「それもある」プルートスは即答した。「だがもう一つある」


 意外そうな顔を向ける少年を横目に、プルートスは壁から離れてこう言った。


「おまえ、このパーティをどう思う」


 その問いに、少年は少し考えてこう答えた。


「ある意味、安心します」


「ほう、どういうところに安心する」


「Dの民も、結局はただの人間なんだな、と思えますから」


「そういうところだ」


 少年は不思議そうな顔でプルートスを見つめた。


「わからないか? オレはな」プルートスは背を向けた。「おまえが怖いんだよ」


 ふらつきながら歩き去る長兄を見送る少年。と、そのとき。




 少年はまた首元を押さえた。だが今回は間違いない。蝶ネクタイが振動している。


「ネットワークブースター接続」


 少年がつぶやくと、その視界に青い髪の青年が姿を現した。現実ではない。少年の目にしか見えないバーチャルな存在である。


「我があるじに申し上げる」


 青年が胸に手を当てて一礼する。


「主になった覚えはないけど、何があったの」


 少年の問いかけに、青い髪の青年はこう答えた。


「ミュルミドネスの『総意』として、このアキレスが申し上げる。現在、何らかの異変がこちらに迫っている模様」


「何らかの異変? 随分と曖昧な言い方をするんだね」


「異変の正体は不明。危険か否かも不明。されどこの総合本社ビルに接近している事実だけは確実。判断は主にお任せいたすところ」


「セキュリティの対応は」


 青年アキレスの頭の上に、セキュリティシステムのダウンした地区の図が表示される。セキュリティセンターでオペレーターたちが見ている物と、まったく同じ物がリアルタイムで映し出されているのだ。


「現在耳目を塞がれ、手足をもがれた状態」


「ミュルミドネスでコントロールを奪う事はできる?」


「すでに失われた部分を回復するのは、現時点では不可能」


「じゃあ生き残ってる部分をすべて確保して」


「すべて、でよろしいか」


「そう、すべてだ。あとムサシたちに連絡して。すぐにヘリポートに来るようにって」


「御意のままに」


 アキレスが姿を消すと同時に少年は走り出した。直後、パーティ会場に警報が鳴り響く。




「何事か!」


 ネプトニスの声に対応して、展望室の天井がモニターになり、顔が映し出される。セキュリティセンターのセンター長の顔だ。


「も、申し訳ございません、ただいまセキュリティシステムが、その、コントロールを奪われまして、すべてでございますが」


「ただちに対応したまえ。そのために君がいるのだろう」


 ネプトニスの静かな叱責に、焦ったセンター長は目を白黒させている。


「ですが、あの、原因が不明でございまして、何分、その、出来ましたら避難をしていただければと思い」


「本気かね」


「……は」


「君はわがオリンポス財閥の賓客に、理由もわからずバタバタ逃げ出せなどと、本気で言っているのかね」


「い、いえ! その、ですが、危険ではないかという、気がするのですが」


「つまり、この世界に、このグレート・オリンポスより安全な場所があると?」


「いや、と、おっしゃられましても」


「君はセキュリティセンター長だったね」


「は、はい」


「その立場は、君には荷が重すぎるようだ」


「えっ、いや、その」


「トライデント!」


 ネプトニスの声と共に、短い黒髪の、燕尾服を着た細い男が背後に現われた。


「これに」


 細い。顔も体も、手足も細長い。だが虚弱な雰囲気は皆無である。全身が槍のような、といえばわかりやすいだろうか。


「おまえはいまからセキュリティセンター長代理だ。すぐ対応しろ」


「ただちに」


 ネプトニスの命令を受け、トライデントは風のように姿を消した。天井のセンター長は唖然とした顔で見下ろしている。展望室にはあちこちから失笑が漏れていた。

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