しがない絵描き

月満輝

しがない絵描き

 ある村に、しがない絵描きがいた。彼は一日中、山や川、民家をぶらりと歩き回っている。彼が仕事をしている姿を見ないため、村の人々は彼のことを、働きもしない怠け者の絵描きだと言った。馬鹿にされ、蔑まれても、絵描きは笑っていた。そして紙とペンを持って、今日もあちらこちらを歩き回っている。

 ある日、少女は絵描きを見た。彼は相変わらず、笑顔で歩いている。

「働かなくていいなんて、羨ましいわ。きっとお金持ちなんでしょうね」

 彼を見つめながら少女は呟いた。にこにこと笑う彼の顔をよく見ると、微かに口が動いているようだった。よく目を凝らして、彼の口元を見ていると、足元の石に気がつかず、少女は転んでしまった。痛む膝を抱え込んで座っていると、誰かが寄ってきて、少女の膝を白い布で包み、止血をした。顔を上げると、そこに居たのは絵描きだった。

「大丈夫?」

 少女が恥ずかしそうに頷くと、良かった、と微笑んだ。少女は彼の手にある紙とペンを見て、尋ねた。

「あなたは働かなくていいの?ずっと絵ばっかり描いて」

「これが僕の仕事なんだよ」

「絵を描くのが、お金になるの?」

「そう。僕の絵を、高くで売ってくれる人がいるんだ。まぁ僕は、芸術にお金をつけるのはあまり好きじゃないんだけど、こうしてしか生きていけないから」

 ふーん、と少女は、彼の手から紙を取り、その絵を見た。様々な風景の中で、女性が一人、座っていたり、踊っていたりする。

「絵を描くのは好きなの?」

「子供の頃から好きさ」

「羨ましいわ。好きなことをしてお金をもらえるなんて」

「……君は、学校へは行かないの?」

 少女はバツが悪そうに視線を逸らしたが、やがてため息をついて彼に向き直った。

「私の家はお金が無いから、学校へ行かずに働いてるの。弟たちが学校へ行けるようにね」

「優しいお姉さんなんだね」

 少女はまた、視線を逸らした。照れと、少しの切なさが見えた。絵描きは、持っていたペンも少女に手渡した。不思議そうに見つめる少女に、絵描きは笑いかけた。

「君も書いて見たら?」

「無理よ、私絵なんて描けない」

「上手じゃなくていいんだよ。必要なのはたった三つだけ」

「三つ?」

 少女は考えた。才能、センス、技術、お金……色々と答えてみたが、全て違うと否定された。絵描きは「簡単なことだよ」と指を立てて話した。

「まず一つは紙。紙がなきゃ描く場所がないからね。そしてペン。これも無くちゃ描けないから。そして最後は……」

 三本目の指を立てたところで、彼は少し考えた。そして改めて「最後は、」と、少し切なそうに言った。

「幻想」

「幻想?」

「もう少し簡単に言うと、そうだな、イメージかな。風景を描くにしても、毎秒姿は変わっていくから、目に焼き付けた風景をイメージして描くんだ」

「それって、わざわざ幻想って言う必要あるの?」

「もちろん。だって数秒前の風景はもうそこには無いものだろう?」

 何となく理解して、少女はもう一度絵を見た。一瞬を切り取ったような絵に、色彩感はなかったが、思い浮かべることはできる。これも彼の力量なのだろう。

「じゃあ、この女の人も幻想?」

 彼の絵の中にいる女性は、どれも同じ人のようだった。絵描きは頷いた。彼女が誰なのか、敢えて聞かないことにした。

「なんで、色を使わないの? もっと素敵な絵になりそうなのに」

「絵の具はお金がかかるんだよ。お金はもらっているけど、さすがに絵の具は買えない。今とても高価だからね。色を塗らない方が、今の御時世よく売れるんだよ。それに……」

 言いかけて、絵描きは「何でもない」と首を振った。少女はポーチから木の実や根や花弁、いくつかの小さな器と石を取り出してみせた。器に入れたものを石ですり潰すと、絵の具のようなものができた。

「たまに弟たちのために、絵を描いてあげるの。上手じゃないけど。これで塗ってみれば、もっと素敵になると思うわ」

 差し出された器の中の色を指にとり、匂いを嗅ぎ、絵描きは白黒の絵に色をつけ始めた。

 しばらくして、絵描きは手を止めた。少女が覗き込むと、そこには、先程のものとは打って変わって、紙の中には鮮やかな景色が広がっていた。草木は風に揺れ、女性は、楽しそうに踊っているように思えた。

「ほら、もっと素敵になったわ!」

 少女は嬉しくなって絵描きを見上げた。しかし、絵描きの目からは雫が零れていた。

「嫌、だった?」

 少女は心配になり、尋ねた。絵描きは慌てて首を振った。顔に浮かんだ笑顔はぎこちなくも、今までと違い、心から笑っているようだった。

「とっても、とっても素敵だよ。本当に……ありがとう。君のおかげだよ」

 絵描きは、笑いながら泣きだした。少女は困りながらも、彼の背中をさすった。

「この人、大事な人なの?」

 しゃくり上げながら、絵描きは笑った。

「そう。とても綺麗な人なんだ。もう、僕の幻想の中にしかいない人」

「……この人も、色を塗ってもらって、綺麗になって、とても嬉しそう」

 絵描きは、色鮮やかな絵を見て、微笑んだ。そして、折り畳んで、紙飛行機にして、空に飛ばした。他の絵にも色を塗り、飛ばした。


 ある村に、しがない絵描きがいた。彼は一日中、山や川、民家をぶらりと歩き回っている。彼が木の実や根を拾い集めているのを人々はよく見かけるようになった。村の人々は、彼の色鮮やかな絵が好きになった。村の外でもよく売れた。彼の描く風景の中で、少女はせっせと仕事をしたり、絵を描いたりしている。

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しがない絵描き 月満輝 @mituki_moon

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