第28話『親父と兄の船大工』
直ったジドウシャの運転をシスイに交代して、トールは故郷のシンバマハリに着いた。シンバマハリはハナサキと似た地形で、港があり山があった。しかし港は漁業よりも、世界中に輸出している船の造船所で一杯だったし、山には千年以上の樹齢をほこる大樹がある樹海が、鬱葱と広がっている。
船を作るための街、それがシンバマハリだった。
港町の入り口でシスイと別れ、トールは旅支度を背負って帰ってきた。大きな碇が横たわる路地を抜けて、昔と何ら変わらない板張りの家屋が犇めき合う、集落の一角。トールの実家だ。トールの店より一回り小さい木造の二階建て。
トールはすぐに入るようなことはせず、しばらくそこに佇んだ。懐かしい実家は旅立ったころに比べ、草臥れているように見えた。
ふと、家の中から赤子の泣く声が上がった。女の子の高い泣き声。すると、西側の縁側から「あらあらあら」と女性の声がした。パタパタとサンダルの音が近づいてくる。単衣を着、後ろ髪を髪留めでまとめた若い女性が現れた。クセのない艶やかな亜麻色の髪だ。パッと目が合う。まさか家は他の手に渡ってしまったのか。表札はマキナ家のもののはず。トールは思わずたじろいで、言葉が上手く出てこなかった。「あの……」と、口籠って何とも歯切れが悪い。
「もしかして、トールくん?」
「あ、はい。トール=マキナです。ここの次男坊の」
トールの名前を聞いた途端、女性はパァっと明るい表情になり、トールの手を掴んだ。
「本当に帰ってきてくれたんだ! あ! 中に入ってちょっと待っててね。私はタルラをあやしちゃうから! 今、オーマくんも呼んでくる」
女性はこうしてはいられないと玄関を上がり、泣いている赤子の元へ向かったか、奥へと足早に消えていった。トールは、お構いなくなども言えず、後に続いて玄関をくぐった。
閑散とした懐かしの上がり框に腰掛ける。相変わらずの小さい玄関に荷物を下ろし、待つ。不意に気配を感じ振り返った。そこにいたのはトールの父、トーガだった。
「なんでお前が帰って来るんだ」
一言目がそれか。久し振りに会ったというのに、何一つも変わっていない父に愕然とし、一気に気分が真っ暗になる。
「兄貴に母さんの二十回忌で帰って来いと言われたんだ」
トールは立ち上がり、怒りの色を隠せなかった。自分にまだガキ臭いところがあることにも、胸の中で舌打ちする。父と目を合わせていられなくて、ガリガリと頭を掻いた。そんなトールの背後から、兄のオーマが玄関を開け現れた。
「ただいま~っと、ん?……トール! お前、やっと帰って来たか! 全く、見ないうちにでっかくなりやがったな。って二人ともこんなところで何してんだ? まさか、帰って早々また喧嘩してるのか?」
険悪な雰囲気を察してか、オーマが言った。
「兄さん」
「お前もこんなとこに突っ立ってないで、普通に入ればいいんだ。親父もいつまでもトールに辛く当たるなよ」
「とは言っても」
「俺はそんなこと」
トールもトーガも、ぶっきらぼうにそっぽを向く。
「あ、オーマくん。外に出てたのね」
オーマの帰宅に、先ほどの女性が赤子をあやしながら玄関に出てきた。
「すいません、私がお構いもせずに。申し遅れました、オーマくんの妻のカーラです。こっちは娘のタルラ」
そこには泣き疲れたか、力が抜けて目を細める姪の姿があった。
「兄さん、結婚したんだな」
「あぁ。お前にこいつを見せたくてな」
オーマが、指先でタルラの柔らかそうなほっぺたを突っつく。
「これが、俺の姪……タルラか」
「抱いてみますか?」
タルラを預けようと、カーラが身を寄せる。赤子など抱いた経験は一度もなかった。おずおずと手を伸ばすが、抱き方が分からなかった。オーマがコの字に腕の形を作って「こうだ」と言った。そっと受け渡されたタルラを、トールは抱き上げる。柔らくて温かい。カーラからトールに渡ったことで、抱かれ心地が変わったからか、タルラは目を覚ました。泣くのかと思ったが、タルラは笑った。にんまりと口を開けて、黒目も大きい。
「可愛いな」
トールも、先ほどの不機嫌も忘れて表情が解ける。小さい手だ。紅葉よりもちっちゃな手を、自分の筋の目立つ指で突くと、タルラはそれを懸命に握った。
「うちの天使だよ」
兄は顔をくしゃくしゃにして笑った。
「ふふふ、さぁみんな。いつまでも寒い玄関なんかに立ってないで中に入って。今、熱いお茶を淹れます。オーマくんはトールくんの荷物を持って」
五人は居間に上がる。囲炉裏には火があって、部屋は暖かかった。中も昔と変わらない作りだったが、タルラのベビーベッドがあって、そこだけ可愛らしい雰囲気になっていた。
「鉄道で帰ってきたのか?」
カーラに淹れてもらった烏龍茶を啜りながら、オーマが聞く。
「いや、ジドウシャっていうボヘヌス遺跡の遺物に乗ってきた。俺の師匠の持ち物だ。快調とは言えなかったけど楽しかったよ」
「シスイさんか。あの人にも色々と気を回してもらって。お前は手紙の一通も寄越さないで心配してたんだぞ」
「ごめん。やることも中途半端だったから何とも連絡しづらくて」
トールは、話をしながらいつの間にか俯いていた。
「いや、大した奴だよ、お前は。俺には出来ん。店を構えるのだって凄いことだ。一人でもしっかりやっているんだな」
兄の声は優しかった。包み込むような、前にはなかった温かみがあった。
「街の人に助けてもらって何とかやれているって感じさ」
「相変わらず自己評価の低いやつだ。俺たちも相変わらず船を作ってる。二人で作ることもあるし、大勢で大きなものを作ることもある。ちょうど今、大きい仕事をしていてな。見に来るか?」
「オーマくん、トールくんは着いたばっかりなのよ。疲れているだろうから明日にしたら?」
窘める妻に、その夫が口を尖らせる真似をする。
「いや、俺は大丈夫です。是非見てみたい」
兄の仕事ぶりが見てみたかった。父の仕事も。
「三人で……いやせっかくだからみんなで行って写真も撮ろう。昔みたいに。親父もいいだろ?」
「俺は……構わんが」
了解を得られたことで、オーマは手を一つ打った。
「じゃ、俺は写真屋を手配してくる。親父、案内してやってくれ」
そう言うと、オーマは風のように飛び出していった。
「ふふふ。タルラが生まれてから、オーマくんすっかり張り切っちゃって。付き合ってもらえる? さ、それならタルラにもあったかい格好させないと」
タルラはすっかり目を覚まして、キャッキャと笑声を上げている。カーラがタルラの支度をしていると、
「トール」
トーガから声がかけられた。
「なに?」
「その……なんだ、お前がやったことが俺は……いや、なんでもない」
父は何やら口籠り、途中で話すのを止めてしまった。要領の悪いところも相変わらずだと思ったが、何かを言いた気なのは流石にわかった。それが待てる歳にはなった。カーラがタルラの出掛ける準備を済まし、カーラが気を聞かせてハナサキでのことなどを聞いてくれたお陰で間が埋まった。カーラは人当たりがよく、トールもすぐに打ち解けることが出来た。そうこうしている内に、オーマが帰ってきた。
「準備出来たぞ。さぁ行こう」
家の前の道を、四人と抱きかかえられたタルラとで歩く。港からの風は冷たかったが、日差しは暖かかった。
「オーマくん、ちょっとタルラを持って」
「ん?」
譲り受けタルラを抱きかかえるオーマの首に、カーラは厚手のマフラーを巻いた。
「自分が一番準備できてないわよ」
「すまんな、ありがとう」
二人の慣れたやり取りに夫婦の距離、夫婦の空気を感じた。幸せそうにやっている。それが、トールは嬉しかった。誰かの幸せそうな顔を見ること。それも、自分の家族が頬が溶けてしまうんではないかと思うほどに、幸せに笑んでいることが、心の底から嬉しかった。北風がなんだ。そんなものでこの暖かな空気を冷やすことは出来ない。
港に着いた。
そこには、堆い船蔵に三百人はゆうに収容出来るだろうか、見上げる程に大きな大きなベザイが鎮座していた。隆々と太い竜骨の立派な船だった。樹齢の特に長く太くなったシンズスニルハ山の樹を、ふんだんに切り出して加工したのだろう。作業している人たちがあんなにも小さく見える。こんなに巨大なものを、人間が作れるなんて、という感動が体中を駆け巡った。
昔から凄かったのだ。あの頃はこの街の生き方に、只沿っていくだけのような父の背中に、ただただ嫌悪を覚えていた。しかしそれは今、個人個人に配慮し、細かな要望を汲んでいくトールの小さな仕事とは、スケールが違っていた。
「すごいよ、兄さん。本当にすごい」
「俺もやっと仕事を任せてもらうようになって、今が一番楽しい。何でも勉強になるし、自分の上達も手に覚えが出来てきた」
「ふんっお前などまだまだだ」
トーガが水をかけたが、オーマはそれほど気にしていないようだった。そこへ写真屋がカメラを持ってやってくるのが見えた。
「待ったぞ、ニカフ」
オーマが手を上げて声をかけた。ニカフはオーマの旧友だ。
「お前が急なんだよ。トール、久し振りだね。おかえり」
「お久し振りです、ニカフさん。急に呼び出してしまってすいません」
ニカフは気にするなと手を振って、トールに耳打ちするように身を寄せた。
「いいんだよ、カメラ屋は被写体あっての商売だからね。お得意様の要望にはすぐに応えなきゃ。オーマの奴、タルラちゃん生まれてから何度もうちに来てるんだよ」
「余計なこと言わなくていいから早く準備しろ」
砕けたやり取りを済ませて、ニカフは撮影の準備を済ませる。そして写真屋の顔に戻り、前口上を始めた。
「こんにちは、どうも皆さん。本日は家族写真ということで、うちの店をご利用いただきましてありがとうございます。船をバックに撮る写真ですが、家族写真ですから皆さんのお顔がはっきり見えた方がよろしいですよね? さ、寄って寄って。寒いですからてきぱきとやっていきますよ。お子さんの笑顔がシャッタータイミングです。皆さんいつでも撮れる準備をしておいてくださいね」
ニカフはカメラを構えると、ファインダーを回してピントを合わせる。
「いいですか~? じゃぁ試しに一枚撮りますね~」
と、タルラが見計らったかのように笑った。
「いただきます! 皆さん笑って~チーズ!」
カシャ。シャッター音が一つ、冬の港の空気にこだました。
「いいですね~じゃぁ、もう何枚かいってみましょうか! 皆さん撮るたびに表情は緩んでくもんです。緊張しないでリラックスリラックス! はい、撮りま~す!」
それから何枚か写真を撮って、ニカフはペコリとお辞儀して、店に帰っていった。帰り際、オーマがニカフに肩を組んで「助かった」と言っていた。
改めて父と兄が作っている船を見渡す。線のしっかりとれたいい仕事が見て取れた。
「トール」
再び、トーガから声がかかった。
「何?」
オーマに倣って、トールも出来るだけ優しい声を出した。
「その、なんだ。お前のやったことは誰でもできるようなことじゃない。誇っていい。生きて帰ってきてくれて本当に良かった」
生まれて初めて、父の本音を聞いた気がした。トールの胸にストンと落ちるものがあった。
「父さんも、いい仕事だ。今の俺ならそれが分かる」
「そうか」
二人はそれ以上何も言わなかった。そんな二人の様子を見て、オーマが言った。
「二人ともそろそろ帰るぞ。今夜は特製の鍋を俺がこしらえてやる。体の芯から温まる坦々鍋だ」
「あぁ、今行く」
何となくあの頃より、ほぐれた関係性と空気に、トールは心まで温かくなる気分になった。家族というのも悪くない。年甲斐もなく、そんなことを思った。
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