第27話『Old Dirty Rider』

「酒が切れたわけではないようなんですが」

「全く動かんな、このポンコツは」

 トールとシスイは立ち往生をしていた。ジドウシャの調子がどうにもおかしかった。道具に精通する二人でも未知の不具合だった。シスイにとってみれば、もう一度バラしてしまえば原因がわかるだろうが、ここでは工具が足りなかった。

「どうします? ここからならなんとか移動手段を列車にも切り替えられますが」

「機嫌がよくなるまで何とか私が宥めてみよう。お前は今日の宿を確保してくれ。少し行けば街があると思う」

「わかりました」

 道の真ん中で止まってしまった二人だが、街道は続いていた。トールは煙草の残りをポケットに突っ込み、街へ向かった。

 シンバマハリへは、もう少しのところまで来ていた。師匠が大事にしているジドウシャを、こんなところに放置することは出来ない。しかし、不調の原因が突き止められなかったら、一端でも置いていくことも考えなければならない。

 シンバマハリまで辿り着けば、ボヘヌス遺跡までも近い。発掘場なら必要な工具が揃う。

 街道を歩き続けていると遠くに街が見えた。そしてその手前に、何をもってこんな場所に建てたのか、一軒のハンバーガーショップがあった。十五分ほど歩いて店前に着くと、トールは自分の目を疑った。

 なんとその軒先に、ジドウシャと似た二輪車を見つけたのだ。トールは驚いて駆けよった。黒色に磨かれたボディに、形は違うがエンジンらしきものを積んでいた。明らかにボヘヌス遺跡の遺物だ。

 トールは急いで店に入ると、店内を見渡した。客は少なく、カウンターに五十代半ばだろうか、ひげ面で首にゴーグルを下げた、大柄の壮年の男がいるだけだった。小さいスツールに窮屈そうに腰掛けて、ハンバーガーを片手に新聞を眺めている。皿の横にはグローブが。足元には工事などで使うのではない、味のある洒落たハーフカップのヘルメットがあった。きっとこの男があの二輪車の持ち主だろう。トールの足音で、カウンターの奥の店主が気づいて「いらっしゃい」と迎えた。トールは、入り掛けに珈琲を一つ、ホットで頼むと男の横に腰掛けた。

「すみません、店先にある二輪車はあなたのものですか?」

 男は頭に灰をかぶったように、グレーの髪をしていたが、眉はハッとするような赤色だった。彼は口いっぱいに頬張ったハンバーガーを、ごくりと飲み込むと答えた。

「珍しいもので人目を引くと思うが、あれは俺んだよ」

 言葉の端々に、ニヒルな雰囲気がある。瞳もどこかくすんでいて思慮が深そうだ。

「もしかしてシスイ=コウギョクを知っていますか?」

「シスイ=コウギョクっつったら、腕利きの技工士じゃねぇか。なんで坊主なんかが知っているんだ?」

 男はずいと顔を寄せ、凄味を効かせて聞いてきた。慌てたトールは早口で状況を説明した。

「シスイは私の師匠で、今ジドウシャに乗ってハナサキペトラオウスミカからこの近くまできたんです」

 男はトールの話も介さない様子で、トールの両肩をガシッと掴んだ。

「それじゃ証明にはならねぇな。シスイの好きなものを言って見ろ」

 凄味が増してトールはたじろいだが、男の力は強く逃げるに逃げられない。素直に質問に答えるしかなかった。

「シングルバレルバーボンとバニラの香りがする煙草、それから『松風』の作るネギの天婦羅!」

「嫌いなものはなんだ?」

「毛虫と金に細かい奴」

「初めての相手は?」

「……そこまでは聞いていません」

 トールが正直に吐き出すと、男はニカッと口角を上げて笑った。

「ははっ言うはずないか。するってぇと、坊主がトール=マキナか。そうか、すまなかったな。確認するようなマネをして。あいつも重要人物だから変な奴も寄ってくるんだ。俺はあいつの上司のガルシア=ローベムだ。よろしく」

 そう言ってガルシアは右手を差し出した。トールは握手をすると、ごつごつとした職人の硬い肌に気付いた。いくつもの季節を乗り越えた逞しい巨木のような手だ。

「それで、シスイはどこにいるんだ?」

 ガルシアはキョロキョロと辺りを見回した。

「それがジドウシャの故障で動かなくなってしまったんです。ここから三十分ほどのところで立ち往生しています。工具があれば師匠が直せるとは思うんですが」

「そうか、じゃぁ俺がひとっ走りして工具を調達してきてやる。その間にシスイをここに連れてきて飯でも食ってな。旨いぜ、ここのバーガーは」

「本当ですか!? じゃぁありがたく待たせてもらいます。本当に助かります」

「いいってことよ。困ったときはお互い様だし、それに部下となりゃ助けないわけにはいかないからな」

 ガルシアは、残りのバーガーのかけらを口に放り込むと、グローブを嵌め、ゴーグルを上げた。そして、椅子に掛かっていたコートを手に取り、足元に転がっているヘルメットを、つま先で器用にリフティングして頭に着ける。

「坊主、オートバイの走るとこを見るか?」

 ガルシアがポケットから、革細工のキーケースに括ってあるキーを出していった。

「あの二輪車はオートバイっていうんですね。ぜひ見学させてください」

「勉強熱心で結構。ジドウシャとはまた違った痺れる音がするぜ」

 ガルシアは店のスイングドアを開けて、華麗にコートを羽織り、ステップをリズミカルに降りた。大柄なのにどこか軽やかだ。やることがいちいち様になっている。

 オートバイは、その剥き出しになっている機械機構、カウルの塗装の深さ、馬にも似たフォルム。そういったなんとも言えないツボが男心をくすぐる。ジドウシャは荷物を運べたり、人を運んだりと実用的なのに対し、オートバイは走ることのみに特化した形をしていた。しかもスタンド無しじゃまともに立てない。そういう不便なところも、トールにとって好ましい。人間が乗って初めてこの乗り物は完成するんだと思った。

 ガルシアはキーを差して回した後、ハンドルを握って、後輪付近にあるペダルに足を掛けた。

「こいつを起こすときは少しコツがいるんだ」

 そうして勢いよくペダルを、下にキックした。

――ドゥルルルンドゥトゥドゥトゥ。コココココココココココ。

 勢いよくエンジンがかかった。確かにこの空気を波動するような音は胸を痺れさせる。

 ガルシアが右手のハンドルを絞ると、オートバイは爆音と共に唸りを上げた。

「どうだ!いい音だろ!」

「はい! イカした音をしてます!」

「はははっこの音がわかるならシスイの目にも狂いがない! じゃぁちょっくら行ってくる!」

「よろしくお願いします!」

 ガルシアのオートバイは、マフラーからガスを一気に噴出して、あっという間に彼方へ消えてしまった。

「しまった。どうせなら師匠のところまで乗せてもらうんだった」

 オートバイにはもう一人くらいなら乗せられそうな余地があったのだ。トールはうっかりしていた自分に反省すると、空にこだまするオートバイの音に聞き入った。


 トールとシスイは、ハンバーガーショップでガルシアを待っていた。ガルシアの言うバーガーは確かに絶品で、街から離れていようが、食べに来たくなるような味だと思った。今は食後の珈琲を飲んでいる。

「全く。一時はどうなることかと思ったが、あいつが来てくれるんだったら何とかなりそうだな」

「ついていましたね。それに気さくな人で良かったです」

「体がでかい分ガサツだがな。トラブルも多い現場でいつも飄々としてるよ。あいつの専門はロボットと呼ばれる作業用のキカイだ。ジドウシャよりも格段に複雑な動きが出来て複雑怪奇そのものと言っていい。あいつはその発掘の総指揮官をしている。お前に注文した鍵のついた工具入れは、あいつからの頼まれものさ」

「只者ではないオーラがありました。勇者との旅でもなかなか見られない類の」

「とにかく喧嘩っ早い奴でな。でも自然と人が集まってくる奴だった」

 シスイが呑んでいた珈琲のカップを置いて、胸ポケットに入った煙草を弄った。

「そうだったんですね。それにしても師匠の嫌いなものまで把握している人が俺以外にいたとは」

 シスイが煙草に火を点けて言う。吸い殻が溜まってきた。

「変な勘繰りはするな。単に付き合いが長いだけだ。あいつはあたしが女だってことなんてこれっぽちも気に留めちゃいないよ」

 トールは席を立って、吸い殻の溜まった灰皿を取って、シスイに言った。

「しかしあのオートバイはかっこよかったですね」

「あれはあいつのスペシャルだ。オートバイはあれ以外にも発掘されたが、特に異彩を放ってたな。お前も欲しくなったか?」

「手に入るというんなら悩みますね」

 トールは席に戻り、溜まった灰皿を新しいものに取り換えた。

「お前も好きだな。そういう無駄が」

 ククっとシスイが笑う。

「便利になればいいってわけじゃないでしょう? 人生を豊かにするには無駄も必要です」

 トールもポケットの煙草を取り出し咥える。

「お前もそういうのが分かる歳になったか」

 煙を吐き出すと、感慨深そうにシスイが言った。

「まぁ俺自身それを無駄だとは思っていないんですが」

 力無く笑ってから、煙草に火を点けた。

「案外あいつとお前は気が合うかもしれん。機会があったらよく話してみることだ。あいつもこよなく無駄を愛す馬鹿だ」

 珈琲を何杯かお替りして、煙草の残りを吸い切った時、遠くの方であのオートバイの音がした。外は既に暗くなり、二人は見計らって会計を済ませて外へ出た。

 遠くの方で光る灯りが見えた。『ライト』と呼ばれる灯りで光輝石や火とは違う。一番の特徴は燃料を必要としないこと。火事の心配もなく光源として優秀で、なにより明るく遠くまで照らすことが出来る。夜道を颯爽と走るのがその証拠だ。どんどんライトはこっちに近づいてくる。ガルシアだ。

「待たせたな。お、シスイ。見ないうちにちょっと老けたか?」

「あんたに言われたくないよ。そのゴーグルだって度が入っているんだろ?」

「ぬかせ」

 二人は旧知の仲らしく軽口を言い合った。

「さて、ジドウシャのところまで案内してもらおうか」

 オートバイの後ろには、先ほどなかったサイドバッグが着いていた。

「じゃぁ師匠。先に行っていてください。俺にはどこが悪いのかわかりませんから」

「わかった」

「どうせならもっと若い女を乗せたかったぜ」

 ガルシアが冗談めかしく口を尖らせた。

「言ってな、使いぱしって悪いね。ガルシア、もしかしてアレかもしれない」

 シスイはガルシアに耳打ちした。

「そう思って一応準備はしてきた。じゃぁ、坊主はこれでも吸ってな」

 そう言ってガルシアは、胸ポケットにしまっていた一本の葉巻を、指で弾いてトールに寄越した。見るとラノンディスナイーダの焼印が。バオノヲ産の高級の葉巻だ。

「こんな高いもの頂けません」

 と、トールは言ったが、ガルシアがアクセルを吹かして、それはかき消された。

「ゆっくり吹かすのがそれの味わい方だぜ」

 そう言ってガルシアは、シスイを乗せたバイクの後輪を振って行ってしまった。

 赤いテールランプがすぐに見えなくなった。

 トールは仕方なくお言葉に甘えることにした。店の中に戻って、早速持っているナイフで吸い口を作った。煙草と違い、吸い口にフィルターがないので、屑が唇や舌に付かないように吸い方は気をつけなければならない。紙マッチを擦って火を点けると、濃密な煙が強烈に舌を襲った。煙草を吸い始めた時に感じた懐かしい舌の痺れ。吸い過ぎて痺れがいつまでも舌に残っては、せっかくの葉巻が台無しになってしまうと思い、ゆっくりと口の中で煙を転がした。カカオの濃度の濃いチョコレートのような芳醇な香りが鼻を抜けた。煙草とはまた違ったうっとりする強い香り。確かにこれは味わって楽しむものだ。慣れるのには時間がかかったが、ボリュームのある葉巻ならそれが出来た。自動車の修理は見学したかったが、今はこの葉巻をもっと楽しみたいと思った。

 ガルシアはなかなか戻ってこなかった。葉巻を吸い終えて唇を舐めた時、パウダーが塗ってあるわけでもないのに葉巻の味がして、自分が吸っていたものの濃厚さを知った。そして、肺に入ってしまった煙が、いつまでも残って胸が詰まった。軽く咳き込んでいると、遠くからまたオートバイの音がした。頃合いを見計らってトールは店を出た。ステップを降りると、ガルシアはトールの前でオートバイを止めてゴーグルを上げた。

「待たせたな。葉巻は楽しめたか?」

「はい、ごちそうさまでした。とても美味しかったです。でも俺には少し早い気がしました。修理に取り掛かっていたんですか?」

「あぁ、バッテリーっていう電気を使う部品を直していた」

 ガルシアはポンとオートバイのボディを叩いた。

「こいつの力がなくちゃいけないんで遅くなっちまった。ジドウシャはもう動くようになったぜ。直にシスイも来る」

 ガルシアは親指で、シスイの来る方向を差した。

「ガルシアさんには何から何までお世話になりました。このご恩はいつか返します」

「そいつはいい。お前もシスイの弟子でキカイに興味があるなら、いずれ声がかかるかもしれない。その時は俺の仕事を手伝ってくれ。葉巻の楽しみ方ももっと教えてやるよ」

 ガルシアはニヒルに笑うと、アクセルを吹かした。

「あぁそうそう、言い忘れてた。俺は昔、シスイの旦那だったんだぜ」

「え? それってどういう……」

「その話はまた後でな!」

 意味深な台詞を残してガルシアは行ってしまった。

 追ってくるように、ジドウシャの低いクラクションの音が遠くから聞こえた。トールはガルシアの言い残したことを考え、どういう顔をしてシスイに向かえばいいか分からぬまま、振り返って手を振った。

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