第26話『竜骨と郷愁』

 シープコプコフを臨時休業する準備は、ジドウシャの運転の練習もあって、思いの他に難儀した。シスイに仕事を手伝ってもらったものの、およそ二週間の時間を要した。

 シンバマハリに帰省するとして、休みはニ、三日では済まない。その分の穴埋めはきっちりとやっておかなければならなかった。取引先と築いてきた信用を裏切るようなことがあってはならない。今後もうまくやっていくために、色々と根回しも考えなければならなかった。

 留守の間の店番は、心明と明明にやってもらうことにした。せっかく店にいられるなら、職人としての勉強も一緒にしたいと二人はごねていたが、そこはトールの師匠であるシスイを紹介してやることで手を打ってもらった。二人は目を輝かせてシスイにすぐに懐いた。

 トールの故郷、シンバマハリはハナサキから、列車の旅でも丸三日はかかる。車で来た腰の悪いシスイが、休み休みで五日以上かかったと言っている。運転というものをするのに、慣れるのにも時間がかかるだろうし、少なく見積もっても半月は店を開けることになるだろう。

 今までそんなに長く店を離れたことはなかった。自分がいなくても、この街は平然と回っていくのだろうが、頼りにしている人たちに迷惑をかけると思うと、自分で決めたこととはいえ決意が鈍る。

 休業の準備を進めていくにしたがい、だんだんと気が引けてくるものだから、何度も帰るのを止めようと思った。今更帰ったところで何になるのかと思い始めた時、一通の手紙が届いた。トールの兄、オーマからの手紙だった。

 ――母さんの二十回忌、必ず来い。見せたいものもある。親父にもいろいろ話してやれ。

 一文と共に添えられた一葉の古い写真。大型帆船の巨大な竜骨の前で、家族そろって撮ったセピア色の写真。たった一枚の家族写真だ。写真は日焼けして色褪せてはいたが、トールの記憶は鮮明に蘇る。優しい母や頼れる兄、頑固ものの親父。思わずこみあげてくるものがある。

 手紙には、鈍っていた決意の背中を押す十分な力があった。シスイもそんなトールの姿を見て安心したようだった。準備の最終段階で、

「お前がいつ仕事の気が緩んでヘマをやらかして、やっぱり行くのを止めますと言わないか冷や冷やしていた」

 と、言われた。

 人が生きていく中で、同じことをいつまでも同じようにやっているだけでいいということはない。状況や環境に揺さぶられようが、ブレないようにする強さがなくては。これも一つの修行だと思い、トールは休業の準備を終えた。


「トール、旅路用心、安全運転」

「御土産入手数多要求」

「わかった、二人とも火の元には気をつけてな」

「応任!」「応任!」

 二人の、頼りにしていろと言わんばかりの顔を見て、トールはジドウシャのドアを閉めた。名残惜しそうに店を見ていると、

「あたしはお前の方が心配だよ。なんだ、だらしない顔して。シャキッとしな」

 シスイは煙草を咥えながら、助手席で楽しそうに笑っている。

「はは、自分の肝の細さにうんざりしますよ。さ、出発です」

 トールは、キーを回してからチョークを引っ張る。イグニッション。ギュググクククと音を立ててエンジンに火が入る。トールはシスイに教えられた覚えたてのやり方で、車を発進させた。かっこ悪くエンストすることなく、店の前で手を振る二人の姿が、どんどん遠くなってバックミラーから見えなくなる。トールは安心してハンドルを切った。


 石畳の街並みを抜けて街道に入る。その頃にはトールも運転に慣れてきて、煙草を胸ポケットから出す。ジドウシャには、火の代わりになるシガーソケットという便利な着火道具がついていた。

「お、片手運転ができるほど余裕が出来たか」

「ギアチェンジするタイミングは大体掴めました。自分で速度と方向をこうも簡単に変えられるってのは楽しいものですね」

「しかし、お前も道具に関してはなんでも器用にこなす奴だったが、こんなに早くこいつを扱えるようになるとはな」

 道が真っすぐなら僅かなハンドル操作で済む。これで道がきちんと舗装されるようになれば、旅路はもっと快適になるだろう。

「師匠の教えの賜物ですよ。でも、ジドウシャってやつは危険な乗り物ですね。足踏み一つで簡単に速度を出せるし、こんなに硬い鉄の塊が人にでもぶつかったらと思うとゾッとします」

「そうだな。馬やチャコでも事故は起きるが、こいつが一般に普及するようになったら交通の常識が変わるし、問題も山のように出てくるだろう。まぁ、それはそれとして運転する技術さえついてしまえば、生き物と違って体調に左右されることはない」

 シスイも自分のタバコに火を点ける。狭い車内で、普段通りの声でこうして話をしながらの移動がジドウシャでは可能だった。チャコや馬を走らせている時には、もっと声を張り上げなければならない。冷たい外気も直接は当たない。屋根やフロントガラスがあるから、例え雨が降ろうが濡れる心配だってない。そうなれば、自然と会話が弾む。

「燃料も酒なら世界のどこでだって手に入りますしね。ただこれを大量に作るとなると大規模な工場が必要ですね」

「それに整備するのにも多くの工具と部品を使う。それには構造、技術に精通する人もいないといけない。遺物の中でも特に人の世をガラッと変える代物だよ。これにより文明は今よりもずっと発展するだろうな」

「発明家は苦労しますけどね。遺跡を残した超文明はどれほど高度な社会を築いていたんでしょうね」

「さあな。でも連中も神のようにとはいかなかったんだろうな。自らには羽根を生やしたりエラを生やしたりは出来なかったから、我々と同様に手足となる道具を作ったのだろう」

「案外、神になって必要のなくなったものが遺跡に埋没しているのかもしれませんよ」

「では宇宙にでもいったか? だとしたらそいつ等は、本物の神だな」

 二人は、そこでいったん煙草を吸って煙を吐いた。トールが、クランクハンドルを回して窓を開けると、車内の紫煙と入れ替わりに冷たい外気が車内を満たした。シスイが身震いを一つした。

「あたしには家族はいないが仕事仲間がいる。お前にもそういう良い柵ができたみたいだな。道具屋としての日々は楽しいか?」

「そうですね。あの頃の俺に見せてやりたいくらい、毎日が充実しています」

 トールは、遠い眼差しで行く先を見る。故郷に帰ることは、過去の自分に向き合うのと同じことだ。勇者との旅以前の暗かった自分。今はもう過去の傷を掘り起こさないような、用心さが身についた年頃だ。抜き身の刃のぶつかり合いのような接し方は、もうしないだろう。落ち着いて相手の話を聞き、自分なりに噛み砕いて肚に収める術を持っている。随分優しくなれたと思う。

 人と接することでだんだんと硬い殻が溶け、人間性が滲んで味わいになる。埋没していく個性のやり場に参っていた頃には、できなかった芸当だ。

 緊張も確かにある。大義を途中で投げ出した身でもある。そういうことを考えていると、不安がまた胸中を満たすが、それは煙と一緒に吐き出すことにした。まだシンバマハリまでの道のりは長い。旧知の仲同士と共の旅なら、自然と思い出すことも多いだろう。

 煙草は二人分、たっぷり積んできた。トールは、アクセルを少しだけ強く踏み込んだ。

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