第25話『ジドウシャに乗ってきた師匠』

 昼過ぎ。

 シープコプコフの客足も緩み、昼時の最後の接客をしていると、外からラッパにしては低い音が二度した。けたたましいほどの大きな音ではないが、よく耳につく音だった。

 トールは何だと思ったが、目の前の客の包装があったので構ってはいられなかった。

 気になったので、その客が帰るのと一緒に店の外に顔を出す。すると、もう一度ラッパより低い音が聞こえ、その正体を知ることになる。

 見たこともない、人一人がすっぽり収まる程の金属の箱。引手のいない四輪車が一台、店の外に横付けされていた。中には見知った顔が。その人は、窓から車体に凭れかかるようにして顔を見せた。

「よう、馬鹿弟子。久し振りだな」

「師匠! お久し振りです!」

 車に乗っていたのはトールの師匠、シスイだった。緑色の長い髪を髪留めで乱雑に留めて、色気のない継ぎはぎだらけの白衣を纏っている。右側だけにある鼻眼鏡も相変わらずだった。化粧っ気の薄い顔に前よりも少し皺が滲んでいる。

「どうしたんですか、師匠! それにこれは『遺物』ですか?」

「あぁ、結構前にバラしてあったのを発掘してあたしが組み直したんだが、設計図を描けば貸してくれるってんでな。こうして弟子のために孤軍奮闘したんだ。大変だったんだぞ。一度組んだのをまたバラして図面に落とし込んだ後、もう一度組み上げたんだから」

 と、シスイは掌で扉らしき部分を叩いた。

「これは何なんですか?」

「ジドウシャって言うらしい。引手がいなくても自走できることからそう言われたんだと。この箱の中に、こいつを操作するレバーやらペダルなんかがたくさんあって、運転するのにはコツがいるが、チャコよりも荷物を積めるし二人乗りだってできる。ただな……」

 シスイは車内の後方を見ながら顔をしかめた。

「何か問題でもあるんですか?」

「こいつは私をはるかに超える程に大酒のみなんだ。こいつの心臓部には、汽車と同じく車輪を回転させる力を出す機構があるんだが、そいつを動かすには内部で酒を爆発させる必要があるのさ。面白いんで、お前に見せに来たってわけだ」

 と、ニカっと笑う。その表情は相変わらず公私を隔てなく楽しんでいる、充足感に満ちたものだった。

「しかし、すごいですね」

 トールは、未知の遺物に興味津々だった。

「その機構は見られるんですか?」

「お前ならある程度わかるかもな」

 そういってシスイは車の中に戻り何やらもぞもぞと動くと、バゴンという音と共に、車の前方部に僅かな隙間が出来た。どうやらそこが蓋になっていたようだ。

車から降りたシスイは、それを開いて自慢げにその内部を見せた。

 様々な部品が、いくつも複雑に組み合わさって敷き詰められている。箱のようなものや、ポンプや管のようなもの、細かなネジなど、その用途ごとに樹脂だったり金属だったりで出来ている。

 一見しただけで、このキカイを作った人は大層な変態だとトールは思った。しかし、その部品一つ一つの見事さには圧倒される。こんなに綿密な仕事を見たのは、蒸気船のエンジンを見せてもらった時以来だ。それだって機構は遥かに大きなものだった。ここまで小さなものにするのには大変な技術を要するだろう。さすがはボヘヌス遺跡の超文明が残した代物だ。それに、これを整備するシスイの腕も流石だ。トールは、改めて自分の師匠に尊敬の念を抱いた。

「これはエンブレムですか? ミニって書いてありますね、これより大きいものもあるんですか?」

「あぁ、本格的に荷物を運ぶ用の大型なものも発掘される予定だ。まぁ今の人間にこれと同じものを作る技術はないが、時が進むにつれ段々と解明されていくだろう」

「師匠が前に注文された鍵付きの工具箱もこれを整備する工具を入れるためですか?」

「いや、こいつに使う工具はもっと点数が多い。あれは私の知り合いにやる道楽のようなものだ。どうだ? 乗ってみるか?」

「その前に中も外も、もっとよく見たいですね」

 トールは顎に手を置いてまじまじと見ていた。少なからず心が躍っている。

「好きにすると良い。あたしは長旅で疲れてる。せっかくハナサキまで来たんだ。観光でもしているよ」

 シスイは伸びをしながら腰を拳で叩いた。自動車がどれほどの乗り物か分からないが、シンバマハリからの道のりは相当に長かっただろう。トールはハタと思い出して言った。

「あぁ、だったら『ツバキ亭』に行ってみてください。あそこの湯は師匠の腰にもいいと思いますよ」

「そりゃぁ良かった。早速行ってみることにしよう。トール、煙草はあるか? ここまで来るのに全部吸っちまった」

 シスイは空の煙草の箱をつまんで振った。

「箱ごとどうぞ。ちょうど師匠の好きな、カレントモーブですよ」

 トールは、胸ポケットにしまっていた煙草をシスイに渡した。シスイはその中の一本を咥えて、揚々とツバキ亭に向かった。

「さて、今日は店じまいだな」

 さっきから腕が疼いてしまっていけない。トールは、ジャッキやらレンチやらを倉庫から持ち出して、ジドウシャの構造の隅から隅まで楽しむつもりでいた。


 ジドウシャの中に入り、色々と見入っていると、物珍しさからか人だかりが出来た。一体これはなんだと口々に聞かれ、トールがこれはボヘヌス遺跡の遺物で人を乗せて走ることが出来る車だと話すと、実際に乗って見せてくれと囃し立てられたが、生憎動かし方を聞いていなかったので、またの機会にと断った。興味津々で集まっていた人波も今は静かだ。

 シスイが戻ってくる頃には、とっぷり日が暮れていたが、トールは光輝石のランプを駆使して、まだジドウシャに噛り付いていた。持っている工具で、外せるところと組み立て直せるところは隈なく詳細に見た。構造が分かってくると、より一層、製作者の技術力の高さが実感できた。

「どうだい? 凄いだろ」

 ジャッキで車体を持ち上げ、コロ車を使ってジドウシャの下に潜っていたトールに、シスイがしゃがんで言う。

「キカイってのは本当に凄いですね。これを作ったのがもし同じ人間なのだとしたら、頭をくりぬいて中身を見てみたい」

「英知を極めるということは、こういう仕事を成しちまうことを言うんだろうな」

「キカイは魔法よりも超然的ではないけど、ゆくゆくは誰にでも使えるような一般の生活に浸透していく可能性があります。それにそれは確かな数学があれば割り出せる。人を豊かにして文明を発展させる。確かに英知の塊ですね」

 車の下から這い出たトールにシスイは言う。

「そんなに楽しいなら一緒に発掘をやってみるか?」

「そ、それは……非常に魅力的な話ですが、俺はここに店を持ってますし。それに」

「それに?」

「弟子候補みたいのもいるんです。この街に」

「そいつは生意気だな」

 シスイはトールの頭を指先で小突いた。

「俺は道具屋としてやっていきますよ。これからも」

「そうか……でも母親の二十回忌くらい、顔を見せてもいいんじゃないか?」

「あぁ……そうですね。長いこと家には帰ってない」

 トールの母親は、トールが子供の頃に死別している。

 故郷には父親と兄が二人で暮らしている。家業もあったが、トールはそれには順次なかった。技工士として一人前になるためにシスイに弟子入りして、その後は才能を買われ勇者と旅をして、世界の広さと人間の役割を知り、この街に来て店を構えた。

 それは長い長い、自分に刻み付けるような旅で、思えば随分遠くまで来たものだ。好き勝手やっていて、会わせる顔がなくて、すっかり肉親の顔も旅出た日から止まったままだ。

 ――親父は老けただろうか、兄は体を壊していないだろうか。

 故郷に残してきた、まだ若々しい頃の二人の顔が思い浮かぶ。

「一度帰ってみてもいいかも知れませんね」

「なら、道すがらあたしがこいつの運転の仕方を教えてやる。エンジンを吹かす音はかなりイカしてるぞ」

「そうなれば臨時休業の準備をしないと」

「私も手伝おう。お前の弟子も見せてくれ」

 長いこと会ってはいなかったが、そう言えばこういう粋な計らいをする師匠だった。トールは懐かしさと共に、里帰りをするための算段と、心の整理を始めた。

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