第21話『紫煙と親の思いと』

 紫煙立ち込める、というか部屋全体が煙でも炊いているような白らんだ部屋で、真剣なまなざしの男たちが犇めいていた。雀荘。昼過ぎから明け方まで開かれる、煙草呑みにとっての社交場だ。トールはそこで髪にも服にも、煙草の臭いをこびり付け、麻雀を打っていた。

「ツモ。リーチ一発ドラドラ一盃口。満貫」

「だぁ~。またガンちゃんの一人勝ちか!」

「どっからくるのかねぇそのバカツキは」

「全くです」

 トールの卓にいるのは、皆、店の取引相手だ。昔は良く麻雀を打ちながら接待をしたものだが、今はすっかり趣味の麻雀仲間だった。

 勝負を通じてだと、普段遠慮して言えないことも、意外にすんなりと通る。みんな負けん気が強いのか、金が尽きてくると取引を掛け金の代わりにする。

 東の席に座るのは、金属鋳物の工場長。西は宝石鑑定士。そしてトールの目の前の北の席に座る、今日ノリに乗っているガンテツは、漁師の大将だった。それもマグロだのサメだのの、大物ばかりを狙う一本釣り漁のだ。

 大海の潮の流れを読む者にとって、小さな雀卓の運の流れなどは手に取るように分かるのかも知れない。

 トールの点数は現在二位だったが、一位のガンテツとの差は海峡のように深かった。

「おい、トール。お前のとこにある、那智黒と日向蛤の高級碁石はもう売れたか?」

 ガンテツが洗牌をしながらトールに言った。

「いいえ、まだですよ。特に買い手もいないんで倉庫で寝かしています」

「そいつをかけて勝負しねぇか? 今日中に俺をまくったらそいつを買い取ろう」

「それは穏やかじゃないですね。負けたらタダで持っていくとでも? そいつは難儀です。それに俺はまだタネがありますよ」

 トールは点棒を弄んだ。

「お前が負けたら俺の娘と一日デートしろ」

「え?」

 ガンテツの思いもよらない言葉に、トールは思わず点棒を落とした。

「ガンちゃん、それはまた無体な……」

 東の席の工場長からも、呆れたような声が漏れる。

「うるせぇこっちだって必死なんだ。いつまでも小言をいうやつが二人もいやがるとやかましくて敵わねぇ。あいつ歳を取る度に嫁に似てきやがる」

「ガンちゃんのところの嬢ちゃんもいい歳だわな。確かに貰い手の一人でもいると、親としても安心するってもんだ」

 西に座る宝石鑑定士が、煙草に火を点けながら言う。

「だがな、ガンちゃん。そんなことあんたが決めていいのかい?」

「だからバレねぇように、こんなとこで話してるんじゃねぇか。どうだ? 受けるか?」

 トールは悩んだ。ガンテツの娘といえば、ガンテツの漁を手伝うほどの男勝りで有名だった。化粧っ気も少なく、日に焼けた褐色の肌の下には、力自慢の男の漁師にも負けない骨太で、隆々とした筋肉がある。並みの男なら、裸足で逃げ出すところだろう。淑やかに料理やお菓子を作るより、外に出て体を動かして汗を流すのを好み、性格は夏の日差しのように燦々と清々しい。トールとの面識も少なからずあった。楚々としてデートしている様など、想像に難い。

「俺はなぁ心配なんだよ」

 ガンテツは神妙に語る。

「海のことばかりにかまけていた俺が悪いのか、あいつは船に乗れるようになる前から、もやい結びだのほとい結びだのを楽しそうに覚えてな。最初は俺も嬉しかったんだ。だがな、今では仲間の漁師の尻を蹴っ飛ばすほどに逞しく育ちやがって。あんなんじゃ貰い手はいつになっても現れねぇ。後生だ、トール。あいつに女らしさの欠片を思い出させてやっちゃくれないか」

 ガンテツは卓の角に手をついて頭を下げた。

「と、言われましてもねぇ……困ったな」

 トールも快諾するには、考えなくてはならなかったが、負けても損はないのは確かだ。

「トールちゃん、大の男がこんなに頭下げて頼んでるんだ。まずは勝負だけでも受けてやってくれないか?」

「俺からもだ。こんな不憫な気持ち親にならないと分からないかも知れないが、ここは一つ」

 東西に座る二人も、ガンテツを哀れに思ったのか、頼むという顔をしている。

 トールは口に咥えていた煙草を、吸い殻の溜まった灰皿でもみ消すと、胸ポケットに入った煙草の箱を取り出した。手に取ってみて中身がないことを確認して、クシャリと箱を潰す。

「じゃぁ勝負に乗る前に、前金で煙草ひと箱つけてもらえますか?」

「話が分かるじゃねぇか! 煙草のひと箱くらいなんだ、カートンでつけてやる!」

 ガンテツは意気揚々と売店に走った。

 ――今夜は長くなりそうだな。

 トールは苦笑しつつも、どっちに転ぶかわからない勝負の運に、身を預けることにした。


「だぁ~~寒い寒い寒い!」

「あははははは。凍える前に、早く着ちまいな!」

 トールは、寒風の吹き晒すクスクスム海岸にいた。早朝の海に、恰好はウエットスーツにサーフボード。肌に防寒パウダーを塗りたくってはいるが、真冬の外気は一瞬で体温を奪う。身を切る寒さに歯の根も合わない。この日は、先日の麻雀勝負に負けて、約束したガンテツの娘、ティースと共にウィンターサーフィンに来ていた。

 ティースとは顔馴染みだが、改まってデートとなると、その口実を考えるのは大変だった。ガンテツには、くれぐれも内緒でと釘を差されている。デートにはとりあえずと花を持っていっても、あまり喜びそうな気もしないしと、店で考え込んでいると、あろうことかティースの方から店を訪ねてきた。

「トール。あたしと一日デートしてくれるんだって?」

 炎のような赤髪と、冬でも小麦色に焼けたは肌。口元には楽し気な笑いが張り付いていた。弱いものをいたぶるような、不敵な好気も含みながら。

「ガンテツさんも口が軽いな。あぁ、そのつもりで今どこに行こうか考えていたんだが」

 トールはカウンターに頬杖をして言った。

「トール。あんた夏にはダイビングもするしサーフィンもやるよね?」

「確かに夏にはやるが今は真冬だぞ。まさか……」

「そのまさか。ウィンターサーフィンに行こう。デートプランは考えてやるからあんたはただついてきな」

 トールも、夏には波に乗っているが、冬の海に入ろうなんて勇気はなかった。彼女のこの調子からすると、シーズン関係なく波に乗っているのだろう。


「こんな寒い中海に入るなんて気でも狂ってるんじゃないか!?」

 迎えた当日。いざ来てみると、その尋常じゃない寒さに思わず絶叫した。

「海の中はそんなに寒くないんだよ。身体を動かしてれば尚更さ! その代わり波に乗れない下手っぴはいつまでたっても寒いまんまだがね!」

 この日は風が強い。波も冬の海にしては高く、乗るには絶好の日だった。季節さえ違っていたらと、トールは心の中で嘆いた。

 波打ち際で足を浸す。ただでさえ寒いのに、さらにまだ陽の低い朝の水温の上がっていない海に、トールの筋肉は硬直し全身の肌が粟立った。

「デート中に大の男がだらしない恰好見せるんじゃないよ!」

 ティースは、バシッとトールの背中を叩くと、平然と海に飛び込んでいった。

「ふ~! 気持ちいいね!」

 ティースは、華麗なパドリングで颯爽と波をかき分け、あっという間に沖に出てしまった。

「……くそぅ、正気なのか? ええいままよ!」

 意を決して海に飛び込む。最初は、悲鳴を上げたくなるほどに、海は冷たく震え上がったが、波に潜ったりして、沖合に行くにつれて意外と体が慣れてくる。むしろ海に浸かっていない部分の方が、冷たい風が当たって寒いくらいだ。

 いち早く準備が出来たティースが手を振る。いい波が来ていた。

トールは寒さを堪えてボードの上に座った。いつまでも寒さに震えていては、男として恰好がつかない。

 ティースが、一本目から鮮やかに技を決めた。削るようにして波に乗るカービングから、波に対して180度ボードを立てる、オフザリップ。厚くホレた波でそこから更に、フローターから360を決めて見せた。

 並みの男のサーファーには到底できない芸当に、トールは驚嘆した。自分が女なら、危うく惚れていたところだ。最後、波に揉まれたティースの表情も、溌溂としていてぐっと心を惹かれる。

 トールも男だ。そんなものを見せられたら、自分もいいところを見せようと、躍起になる。いい波が来るのを待った。

 ティースがまた沖合に戻ってくる時に、絶好の波が来た。

 トールはすかさずそれに乗り、波の調子をカービングしながら図った。いけると思った頃には、波から体を宙に浮かして技を繰り出すエアリアルを決めていた。

出来すぎだ。宙に浮きながら、トールはそんなことを思った。それにはティースも驚いたようで、パドリングしてゾーンに戻ると目を丸くしていた。

「やるね。あたしも負けていられないね」

 ティースは、強敵に出会ったファイターの如く、嬉しそうに笑った。惚れる惚れさせるというような、色めき立った感じではない。どちらが上かはっきりさせるという、男くさいノリだった。

 その後もいい波は続き、二人はそこから自然と一体になる、波乗りに興じた。

寒さなど忘れるほどの、楽しい時間を二人は過ごした。

 二人が競い合うように波に乗っているのを、一頭の犬が海岸に横たわり見ていた。ティースの飼っているチャウチャウのアレックスだ。飼い主とデート相手を、和やかに見守っている。冬の風が強く吹きすさぶ中、陽の差すレジャーシートの上で、麗らかな時間にまどろんでいる。アレックスは潮騒を聴きながら、波と戯れる主人とデート相手の他に、双眼鏡を使って、遠くから二人の様子を覗き見ては「こんなくそ寒い海でデートなんて」とか「その割には良い調子じゃねぇか」と呟く、嗅ぎなれた匂いを嗅いでいた。その匂いの主は普段は厄介そうにしている割に、何より娘を大事にしている父親の匂いだ。

 アレックスは、朝食はまだ先になりそうかなと鼻を舐め、大きな欠伸を一つした。

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