第16話『To their own ahead』

「店主、これはなんだい?」

「それはジャッキですね。重い荷物でもその爪が入るだけの隙間があれば、バネの力とテコの力で物を持ち上げます。普段の暮らしでは中々使うことはないですが、専門の人にとっては必需品なので置いています」

「ではこれは?」

「それは十徳万能ナイフですね。一〇種類の工具が携帯できるように、一つに収めてあるんです。缶切り、コルク抜き、のこぎり刃、ルーペ、糸きりバサミなんかがあって、とっても便利なんですよ」

「へぇ~、じゃぁこのビラビラはなんだい?」

「シャンプーハットですね。それは知っているでしょう? 頭につけてシャンプーをするとそれが遮ってくれて泡が目に入らない」

 シープコプコフに、小説家のアーガレットが来ていた。今日は目の下に隈はなく、薄化粧をして、写真でもよく見る顔になっていた。アーガレットは、トールの店に取材に来ていた。あの日以来、グッドフェローの冒険の執筆は、上手くいっているようで、ついこの間一〇巻が出版されたばかりだった。

「勉強になるね、この店は興味深いものばかりだ」

「お陰で客層にだいぶ偏りがあるんですけどね。楽しんで仕事をできているのがほとんど奇跡のようなもので」

「いや、一重にセンスが良いんだよ。店主の惹かれた物に同じく惹かれる者がいる。消耗品や売れる物ばかりを置いてある店に比べて、ここにはたくさんの触覚を真面目に伸ばして仕入れた商品で溢れているのだと思うよ」

 トールの店には、何も買わずに足を運ぶ人も割といる。新しく仕入れた商品があれば、仕入れた時の話をして会話の花を咲かせたり、それを足掛かりに新たな商談をすることもあった。それはこの店をやっていて、数ある楽しい時間の一つでもあった。

「じゃぁ本題の取材だ。店主、今までで一番厄介だった仕事はなんだい?」

「そうですね、色々とありましたが、ベルツココネコで巨人族のパイプオルガンを直した時は苦労しましたね。たくさんの道具屋、修理屋で共同して修理にあたったんですが、三日間徹夜で作業をして、道具精霊のポポリコなんかも使って、本当に大がかりな仕事でした。鍵盤の調律を皆でひいひい言いながらやるんですよ。無理な体勢もして体はバキバキに痛くなるし、最終日にはほとんど意識を失っている人もいました。それでも巨人族が奏でる音楽は壮大な物でしたよ。まぁ音が大きいんで聞くのは帰りの列車の中でしたが」

 トールが笑って話すの聞きながら、アーガレットはメモを取っている。

「ほんほん。それは中々得難い体験だね。巨人族の音楽か。私はまだ聴いたことがないね。今度の取材旅行の一つに組み込んでみようかな。では仕事をしていて一番楽しいことは?」

「仕事をしている最中は何でも楽しんでいますね。夢中になっているって言うんですかね。仕入れ交渉を取引先と額を突き合わせてしている時とか、集中して注文の品を手掛けている時にあれこれ考えたり、工夫したりしている時ってのは特に感覚が冴え渡る気がします」

「私も書いている時が一番楽しいかも知れないね。真っ白の世界に自分だけが使えるランプを持っているように、先は窺い知れないが足元だけを照らして一歩一歩進んでいく。たまに星が輝いているように遠くの景色が見えることもあるが、そこまでの道のりは暗く深いものさ。一本道に見えても長く続く迷路みたいになっていて、時には袋小路になっていることもある。そうなると急にペンが止まっちまってね。苦労するものさ。白い闇の中にいるような感覚は、作家なら誰しもが味わっていることだろうよ」

 白い闇、霧の中にいるような感覚か。それとも違う気もした。

「そういうものなんですね。物語ってのは実物が無いから途方もない感じがしますね。自分の想像力次第で広がりが決まってくる。それは読み手にも問われることだけど、私たちのような道具屋は物が在って初めて成り立つ商売ですからね」

「行き詰っても、灯台の灯りのように見える遠くの光でも、それでも自分の中の空の高さが思っていたよりも高いことにもなるんだがね。……それじゃぁこれからの展望を聞かせてくれないかい?」

 アーガレットは、持っているペンをトールに向けて聞いた。

「この間、私のところに弟子入りしたいと言う、二人の異国から来た双子がやってきて、この二人のためにも店を大きくして行けたらなと思っています。そうなればこれまでのやり方と変わってくることもあるかも知れない。でもいつまでも同じことをしていて上手くやっていけるということもないと思うんです。何かしかの変化があること。料理人だって同じ味を守るためには時代に即した材料を調達して少しずつ味を良い風に変えていっていると思うんです。どんな商売でも一緒です。その時々に合った生き方が求められる」

 アーガレットは頷いて、トンとペンでメモを突いた。

「お互い時代に取り残された人物にならないようにしたいものだね。そうだ、店主に丁度頼みたいことがあったんだ。そろそろ私もタイプライターを覚えようと思っていてね。いつまでも紙とペンで執筆しているという訳にもいかないと思ってね」

「それはなんでまた?」

 難しい顔をしながらペンを振って、アーガレットは言った。

「走り書きした私の字を解読できる人間が少なくてね。自分ですら何を書いているのか判別できないこともある。そうなると勿体なくてね。私が生み出した言葉もあって響きなんかも特別なものもある。そういったものをまとめる術を身につけることも、作家として長くやっていく上での必須条件なのかと思うんだ。それにタイプライターを元にした作品を一つ思い付いてね。眼の見えない作家と、口述筆記を生業とする学生のラブロマンスなんだが、その内容を深めるためでもある。突き詰めると、それはこだわりを超えて味になるんだ」

「へぇ、今度はラブストーリーですか」

「構想は他にもたくさんあるんだ。時間さえ許してくれれば私は書き続けるよ。物語を書くことを終える瞬間は私が死ぬときだろうな。死ぬまで書いていたい。文字の中に埋もれて創作の行き着く果てまで行きたい」

 この人にはまだまだ書きたいことがうずめいている。

「楽しみに待っていますね。私も先生のファンの一人ですから」

「期待していてくれ。君が唸る作品を私は書いて見せる」

 一人の作家の目には、蒼く澄んだ大海も、深緑の薫り高い草原も、竜の住まう雲海もあった。

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