第13話『Dr.Bold』
「トール君。いい加減その体、解剖させてくれよ」
「絶対に嫌です」
シープコプコフにドクターマルフォイが来ていた。マルフォイと名乗ものの、彼女はれっきとしたレディだ。自慢のアーモンド・アイの眼の光は、今は疲れ切って淀んでいる。だが、確と惹かれる魅力的な眼だ。今日は大手術のあった夜勤明けということで、店にフラリと寄ったらしい。
「つれないこと言うなよ。僕を先に口説いたのは君の方じゃないか」
「それは道具屋として、手術の道具を見せてほしいって、言っただけじゃないですか」
マルフォイとは、トールが行きつけのバーで酒を呑んでいる時に、たまたま行き会った。
その時、彼女は今のような、くたびれたワイシャツを引っかけているのではなく、ざっくり開いた胸元にレースをあしらった、ドレッシーなタイトドレスを着ていた。化粧を施した相貌は、まぶたに焼き付くほどに美しかった。この格好で街を歩いていれば十人中十人振り返って、名残惜しそうにその背中を見送るだろう。気軽に声をかけてもいいような、気安さもない。凛とした気品と、女性的なキュッとくびれた腰に、グラマラスでかつシャープな脚線美。
トールは初め見たときに、酔いが覚めるような驚きを覚えた。
――見ない顔だな。
彼女は、一人で飲みに来ているようだった。退屈そうに、カクテルのマドラーをゆっくりとかき回しながらため息をつく姿は、しっとりとした哀愁を漂わせている。
声をかけていいものかとも思ったが、そんなことを考えている紳士連中は多いようで、放っておいても誰かがお誘いをかけるだろうと思えた。チラチラと彼女を窺う様子たちが、離れた席のトールからは簡単に見て取れた。
トールは、自分には縁の遠い人だろうと、オンザロックのウイスキーの残りを口に含んで呑み下して、バーテンにお代わりを頼んだ。肴にナッツを摘まんだところだった。手が滑って、アーモンドをこぼしてしまった。「あっ」カラカラと乾いた音が転がり、彼女の元にアーモンドが着地した。
「おや? これは君のかい?」
「あ、すみません。手元が狂いまして。処分してもらって構わないので」
「じゃあいただいても?」
「え?」
そう言うと彼女は、パクリとアーモンドを食べてしまった。
「ん、おいしい。ごちそうさま」
「あ、えぇ」
トールは驚いて言葉に詰まってしまった。
「先生。そんなことしなくても、こっちでサービスしますよ」
バーテンは、慌ててミックスナッツを用意した。
「いや塩気は少しでいいんだ。一粒で十分。今日は医学界のパーティーだったんだが、ああいうのはくたびれるだけで行くものじゃないね」
「ははは、先生は天才外科医ですから引く手数多でしょう?」
バーテンが冗談を交えて微笑した。
「そうでもないね。現場主義の私のようなものは、毛嫌いされがちなんだ」
――外科医。
トールの興味のアンテナが、ピンと立った。医者は道具を扱うスペシャリストだ。医術と道具の関係性は、切っても切り離せない密な関係である。トールの店は、医療機器のような高度精密機器は扱ってはいないが、職業柄惹かれるものはある。
たとえばメス。刀工が丹精を込めて作り上げた、究極の刃物を惜しみなく使い捨てる。切れ味を均一にするために試行錯誤が繰り返され、ミリ単位の仕事が施されている。グリップの形状も処置を行う場所によって様々に変わるから、扱う道具の種類は多岐にわたる。針と糸にも高い精密さが要求される。患者の体の負担を軽減させるように、日々研究がなされている分野だ。
命を扱う仕事と、発展することを常とする姿勢は、仰ぎ見るに相応しい。まぁ積極的にお世話にはなりたくないが。トールは職業としては敬ってはいるが、どちらかと言えば医者嫌いな方だ。昔の旅での苦い、というか痛い思い出もある。
「そっちの君は何をしている人なんだい?」
彼女から声がかかったことにトールは驚いた。ハラリと垂れた前髪を、かき上げる姿についドギマギしてしまった。
「僕はしがない道具屋です」
「へぇ、どこの道具屋だろう」
「路地を抜けたところにある、シープコプコフっていう小さい店です。あなたは外科医の先生なんですか?」
尋ねてみたのは、少し酒のせいもあったかもしれない。
「すいません、少し話が聞こえてきたもので」
「構わないよ。こういう静かな店で呑んでる時、誰しも人の声にはつい耳を傾けているものさ。いかにも僕は青い鳥病院の外科医だ。医者が物珍しいかい?」
「外科医はいろんな道具を巧みに操ると聞きます。道具屋としてどんな風に道具を扱っているのか興味があります」
トールは身体を開いて向き直った。
「女としての興味はないのかい? 今日はめかし込んでいるから、そっちのお誘いの方が嬉しいんだが」
マルフォイの思わぬ誘いに、トールは頭を掻いた。
「それは失礼しました。僕みたいのは何かしかとっかかりがないと話しづらいんです」
「いいよ、仕事熱心なのはいいことだ。恋愛に生きている人間よりずっと魅力的だしね。まぁ私も仕事ばかりにかまけて、婚期を逃してしまったが」
自嘲する姿も、どこか可憐さが付きまとっている。
「あなたなら、ほっといてもいい人が見つけてくれると思いますよ」
「着飾れば見られないこともないことは自覚しているが、そうなると変な虫も寄ってくる。しかも仕事が出来ると、それを利用しようとするやつだっているから、一概に良いとは言えない」
興が乗って来たか二人は話を始めた。
「才能は発揮する義務があるって言葉はあまり好きじゃないですね」
「ほう? その心は?」
「たまにはさぼりたくもなるでしょ?」
「言えてる。君がそれを才能がある側で話しているところが面白い」
ははは、と二人は笑いあった。それから二人は仕事の話と、恋愛の話を絡め合いながら夜を語りあった。心地いい時間が過ぎた。
二人は意気投合し、お互いに時間を作って、また会う約束をした。
それから何度か酒を呑みながらの付き合いが続き、そしてだんだんと彼女の本性が垣間見えた。行きつけの店の個室で、トールがうっかり口を滑らせて、かつて勇者と旅をしていたと昔話をしたのがいけなかった。彼女の瞳が喜色に染まり爛々と輝いた。
「あの勇者と旅をしたのかい? じゃぁ世界中を旅したのか。旅は僕の想像を超える程に様々な困難があったんだろうな! 毒や怪我も多かっただろう。君の身体には壮絶な環境に打ち勝つ強い血が流れている。その身体の外から中まで興味があるな。安心しろ、今は質の良い麻酔があるんだ」
嬉々として迫るマルフォイから逃げるように、酒を持ったまま体を捩じってトールは言った。
「勘弁してください、それに言ったでしょ。最後まで勇者様と一緒にはいなかったんですから。俺みたいな半端者の身体に物珍しいことはないですから」
「じゃぁ勇者ってどんな人なんだい?」
マルフォイは興味津々で、頬杖をついてはトールを舐めるように見る。明け透けな態度にトールはたじろいだが、その頃のことを思い出して語りだした。
「そうですね。誰に対してもびっくりするぐらい礼儀正しいんですが、抜けているというか。旅をしているのに、世間を知らなくていろいろ苦労しました。なんていうんだろう、この世界の人じゃないのかなって、思うことも多かったですね。天使の加護を得ているというのは、常人を異する何かがあるのかもしれません。でもとても尊敬していました。その姿勢、志、まなざし、魂。高飛車なプライドというものも一切ない人で、勇者なんて孤高な人なのに、垣根の低さにいつも驚かされるんですよ」
「へぇ、そんな傑物と一緒にいられていい経験ができたね。経験というものは人を育てる一番の栄養だ」
「昔の時の話はあまり好きじゃないですが、こういう風に語れるなら悪くないな」
トールは乾いた舌を潤すように酒を含んだ。
「じゃぁ僕も少し昔話をしようかな」
そう言って今度はマルフォイが、グラスの氷をカランと鳴らした。
「僕が自分のことを僕と呼ぶのは、外科医であった父の教育によるものだったんだ。後継者のために、男子を求めていた彼だが、子宝には恵まれなかったんだ。晩年に生まれたのが僕。彼は僕の顔を見たときに、大層がっかりしたそうだよ。それは母から聞いた。あまりいい親とは言えない、辛辣な環境で僕の人生は始まった。父は僕を男と変わらない扱いをして厳しく教育した。母に愛情はなかった。僕は血の涙を流しながら、僕に課せられたものを消化した。
そして僕が人の命を扱うようになった頃、父が倒れた。内腑に腫瘍が見つかってね。手術をしなければならなかった。執刀したのは僕。彼の腫れきった胃の半分を切除して彼の命を助けた。手術は夜を徹し、終わったころには朝を迎えていた。真っ白な病室で、暖かい陽だまりに差され目を覚ました彼から、生まれて初めてありがとうと言われたよ。自分に絡みついていた、黒い靄がパァーと晴れるような思いだった。医者をやっていて本当に良かったと思った瞬間だね」
「感慨深いですね」
トールが頷くと、マルフォイは自分の頬を軽く叩いた。
「もう酔っているのかな。こんなこと言うつもりじゃなかったんだが。まぁ呑もうか」
マルフォイは、琥珀色の酒の入ったグラスを傾けた。それに倣ってトールも乾杯ではなくグラスを軽く傾ける。
「先生と酒を呑む時間は、俺の中で大切にしていきたいなと思います」
「それはこれからの関係性のことも含めてかい?」
「どうですかね、出来れは答えはまだ保留しておきたい」
「トール君、たらしだったら怒るよ」
マルフォイは、肘でトールの脇腹を小突いた。トールは思わずビクンという反応をしてしまった。
「あれ? ここ弱いの」
「勘弁してください」
マルフォイは、面白がってつんつんと脇腹に肘鉄砲を繰り返した。
「君の弱いところをこうやって見つけていくもの楽しいかもしれないな。ゆっくりと」
マルフォイは、楽しげに酒を煽った。酔いと共に解れた時間が過ぎていく。
今ではマルフォイは仕事の疲れを、トールに隠さない間柄になっていた。トールの中でも、マルフォイは特別な相手になりつつある。だがそこから一歩踏み出せないのは自分の不清さなのか、それとも大切なものを作ることの怖さなのか、のらりくらりと着かず離れずの距離を保っている。
「先生、一つだけ言っておきます」
レジ横に腰掛けるマルフォイにトールは言う。
「うちのポーションがあんまりにも美味しいからって通いつめなくたっていいんですよ」
「そんなものは口実だよ。君の顔が観たいのさ。君の店は君の匂いがしていい。私なんか色気もないアルコールの匂いばかりが染みついている」
マルフォイは香水などは着けない。その方が清潔な感じがしてトールも好きだった。マルフォイはトールの中で、まだまだ高嶺の花だ。踏み込むとすれば、自分がもっと誇れる自分になってから。そう自分の片隅に残していた、いつかの恋の残り香がなくなってからだろうと、トールはこの時間に浸り、マルフォイの注文したポーションを包んだ。
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