第12話『メモリアルオルゴール』
トールは、店の窓を全開にして商品の埃を払い、ガラス製品には曇り止めを、木工品はニスを塗って艶出しをしていた。
商品をより買ってもらい易く、美しく保つのもトールの仕事の一つだ。いくら機能に優れていると言っても、埃まみれの調整されていない商品が売れるわけがない。骨董品であっても綺麗に磨き上げ、新品同様の美しさを引き出す手間を惜しんではいけない。店を開けている時間が少なくとも、訪れるお客は少なくとも、その作業を行うのは店主のプライドだった。
ピカピカになった商品を見るとつい頬がほどける。ついでにディスプレイの仕方も、少し変えてみる。見違えるほど良くなったと思うが、それはただの自己満足かもしれない。
やることが終わり、煙草の一本でも吹かそうとした時だった。
「こんにちぃわ~」
店の入口の外から、舌っ足らずの幼い声がした。
シープコプコフの入り口は、レバーハンドルになっているが、それに届かないからかハンドルが上手く下りない。きっと背が足りなくてドアの前で、ハンドルを掴もうとジャンプしているんだろう。
「扉を開けるから、少し下がってもらえるか?」
トールは、外にいる子供が悪戦苦闘しているのを見かねて、ドアを開けてやった。ドアの前にはやはりちょこんと背の小さい、ホッとした顔の幼女がいた。幼女は礼儀正しくペコリとお辞儀をして、
「ありがとうございましゅ」
と言った。可愛らしいその仕草に、トールは思わず破顔した。幼女と同じ目線の高さになるように膝を折ると、
「お嬢さん、何かご用かい?」
と、優しく尋ねた。幼女は、真っ赤なオーバーオールのポケットを探って、ゼンマイのついたオルゴールを一つ取り出した。オルゴールは小さいが、幼女は両手で大事そうに、それを持って見せてくれた。
「このオルゴールがこわれちゃっておとがでないの」
幼女は困ったといった風に、ため息と共に、まだ生えそろっていない産毛のような眉毛をハの字に曲げた。
「どれ、ちょっと診てみよう」
トールはオルゴールを受け取り、自分のポケットにあったルーペで内部を覗いた。
――ゼンマイの巻きすぎだったら部品を交換しなくてはいけないが……。
細かく注視していると、ギアの一つが抜けているのを発見した。オルゴールを少し揺すってみる。本当に微かな音だが、カラカラと何かが転がる音がした。
「おかねももってきてましゅ」
幼女は、もう片方のポケットをまさぐり、紙幣を一枚出した。
「こんなには貰えないし、もしかしたらお金はかからないで済むかもしれない。ちょっとそこの椅子に座って待っててくれるかい?」
トールは、レジカウンターのそばにある椅子を指差した。幼女はコクンと頷く。トールは、幼女の両脇に手を差し入れて持ち上げてやると、椅子に腰かけさせてやった。やはり身長が足りない。足はぶらぶらとしているが、ちょこんと座っている幼女は、人形のように愛くるしかった。
トールは精密機器を扱う時に使う、小さな工具箱を取り出してオルゴールを分解した。部品が落っこちないように慎重にカバーを外す。外した部品は小さくても目立つように、別珍の布を張った盆の上に乗せて。ピンセットと精密ドライバーで、丁寧に部品を扱うと、目的の小さな小さなギアを発見した。力が過度に加わることで部品が壊れないように、細心の注意を払ってギアを取り付けて、順序良くオルゴールを元の状態に組み立てていく。
――上手くいけば、これで直ったはずだ。
組みあがったオルゴールを、もう一度幼女の手に戻した。
「ゼンマイを巻いてごらん。きっと音が出ると思うよ」
「はいっ」
幼女はおぼつかない手つきで、一生懸命、だが慎重にゼンマイを巻いた。
幼女がゼンマイから手を離すと、ポロンポロンと鋼鉄製の櫛歯が曲を奏でた。
「なった!」
またお気に入りの曲が鳴ったことに、幼女は目を輝かせた。
「良かった。ギアが外れていただけだから簡単に直ったよ。お金はいらないからこれからも大事に扱うんだよ」
「おじしゃん、いそがしい?」
椅子から降ろしてやると、幼女は小首を傾げてトールに尋ねてきた。
「他にも何かご用かな?」
「うちにあるでっかいオルゴールもうまくならなくてこまってるの。うちまできてなおしてくらしゃい」
幼女はまた礼儀正しく、ペコリとお辞儀する。
この幼女は当然だが、お使いを頼まれてやって来たのだ。だとしたら頼んだ人物は少し強かな気がした。もし幼女のオルゴールが直らなかったら、二つ目の依頼はされなかっただろう。
「そうだな、店もとんと暇だし行ってもいいよ。そのでっかいオルゴールはどのくらい大きいんだい?」
「え~っとね。このくらいでねぇ」
幼女は両手いっぱいに手を広げてそれから、
「こ~なにおっきいのぉ」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて大きさを表現した。
――棚型ディスクオルゴールか。
トールには昔、街に来たばかりの頃に、苦い思い出があってそれを思い出した。
「そんなにおっきいのか。じゃぁ準備するから待っていておくれ」
「はいっ」
トールが、大型のディスクオルゴールを診る工具類をまとめていると、幼女は嬉しそうに、直ったばかりのオルゴールのゼンマイを回して、音が出るのをキャッキャと楽しんでいた。
「よし、じゃぁ案内しておくれ」
「はいっ」
トールは店を出ると、入口の鍵を閉めて、プレートをクローズにした。こんなに幼い子に、お使いを頼むのだから、あまり家は離れていないとトールは踏んだ。
――となると、やっぱりここか。
着いたのは街の中心にある、市長の官邸『紅楼館』だった。
「おじしゃん、こっちこっち」
幼女はトールの手を引いて中へ案内する。トールの内側には胆汁を舐めたような、苦々しさが広がっていた。
「おや、来たね。道具屋のトールさん」
「久し振りですね、オルタ元市長」
そこにいたのは、一人の老婆と呼ぶには威光が強すぎる、惹きつけられるような、絡め取るような視線は今も変わらず健在で、トールは昔の手痛い失敗をした時の記憶が、まざまざと蘇ってくる。
現市長は、オルタの息子が市長選に当選して引き継いでいるので、現役を退いてもまだオルタはここを使っている。広い玄関の奥に、大きな棚型のディスクオルゴールがあった。
――このオルゴールだ。
トールは、ハナサキで仕事を始めたばかりの時に、これを修理しに来たことがある。しかしその時に、オルゴールを満足に修理することが出来ずに、自分の未熟さを深く噛み締めたのだ。
その際に、修理を依頼したのもこのオルタだった。その時、オルタは現役で市長をしていた。巡り合わせなのか、意図してのものなのか、トールは時を経てまた、自分の脛の傷と対峙することになった。
「孫のオルゴールは、見事に直してみてくれたようだね」
「僕の店だとわかってこの子を寄越したんですか?」
「さてね、あなたより腕のいい道具屋も職人も修理屋も知っているが、選んだのはこの子だ」
どこまでも、窺がい知れない裁量を持っているのは、政治家と言う生き物に備わっている器量なのか。
「おじしゃん、はやくおばぁしゃんのオルゴールなおして」
「わかった。……でも私なんかでいいんですか?」
幼女に頷きつつも、トールはオルタにお伺いを立てた。
「若い芽は育ててみなくちゃどんな花が咲くかわからない、と言って前にあなたにこのオルゴールの修理を頼んだことをまだ覚えている。あなたが出来なかった事は他の人にやってもらう。代わりは幾らでもいるという考え方は良くないが、出来ないことは別の出来る誰かがやればいい。そうやって社会は回っている。試してみると良い。今の自分を」
オルタはトールの裁量を計るつもりでいる。
「わかりました。最善を尽くします」
トールのプロとしての、プライドをかけた仕事が始まった。
シルファニカ製の時計仕掛け式のシルファニカ・エロイカ。
三枚のアレンジの違うディスクをセットして演奏するディスクオルゴール。低・中音用三四と高音用一六の計五〇歯の櫛歯を三対で合計三〇〇もの歯を持つのが最大の特徴だ。中央のディスクを回転させることで、他の二枚のディスクを同調させるセンター・ドライブ方式。三枚のディスクを回転させるために、ニつのゼンマイを使用している。
ケースそのものを反響板として使用する設計のため、音量が大きく迫力のある演奏が可能となる。エロイカとは「英雄」の意でシルファニカ社の自信作と言われていた。ケースにはアールエコー調の彫刻が施され、正面の時計の下には天使が形作られている。それだけでも実に美しい。
既に調度品を優に超える芸術の域に達した御姿に、その道に精通していなくても、その凄みは直観的に伝わってくる。
「では修理に取り掛かります」
「お願い」
トールは、手袋を嵌めて棚型オルゴールに向かい合う。すると、
「みてていい?」
と、幼女がトールの裾を引いた。トールは屈んで幼女の頭を撫でた。
「いいよ、でも音を良く聞きたいからお淑やかにしていてくれ。オルタさん、音は出るんですね?」
「あぁ、だが雑音が耳につくんだ」
「ディスクか櫛歯自体に調律が必要かもしれません。少し鳴らします」
「かまわないよ」
正面の蓋を開けて、側面にある二つのゼンマイを回した。ダンパーを外しゆっくりとディスクが回る。やわらかく金属を弾く演奏が響いた。
アーカーディル。天界で戯れる天使たちを想像して作ったとされるこの曲は、結婚式などでも良く演奏されることのある曲だった。高らかな連弾は、華やかさと気品と温かみを覚える福音。
その音に少しだけ陰りがあった。
トールは、三枚のディスクを外して一枚ずつ手に取った。ディスク自体に多少歪みを感じたが、演奏に差し障る程ではない。次に櫛歯を見た。少し反りがある。音質が悪くなったのはこのせいだろう。
「一度分解して、櫛歯の調整をするので、持ち帰らせてください」
「一度任せると言ったからには信頼しているよ」
オルタは、信頼を預けるように確と頷いた。
「よろしければこのオルゴールを生まれ変わらせてみようと思うのですが」
「直す以上のことは頼んでいないよ」
オルタの声色が変わった。トールは食い下がって提案を説明する。
「磨いたり弱っている部品を交換するだけです。思ったより修理は手が掛からないで済みそうなのでこれは僕からのサービスと言うことで……」
「そういうところが成長していないのではないか? トール君。私がそういうことを良しとしないことを、君が理解していないでどうする」
と、オルタはトールにぴしゃりと言って諭した。
「必要なことを必要なだけ、ですね。すみません。差し出がましいことを言いました」
――ドジったな。
借りを返さなければならないと言う気持ちから、つい欲が出た。何もかもを見透かされている気がして、トールは苦笑した。
後日、霧雨が降る中、傘をさしたトールは直した櫛歯を取り付けに、再び紅楼館へ向かった。このところ首が回らないほどに忙しく、シャッコーに乗って街中を駆けずり回っていた。そのせいで直した朝一番に、櫛歯を届けることが出来なかった。その道すがら、喪服を着ている人たちが嫌に目についた。どこかで葬式でもあるのか、その時はそう思っただけだった。
「嘘だろ」
喪に服していたのは紅楼館だった。行き交う人に、オルタが亡くなったことを聞いた。トールは呆然と立ち尽くした。忙しさを理由に、すぐにでもここへ来られなかったことを深く悔いた。短くも鮮明なオルタとの記憶が頭に過る。自分は一体何をしていたんだ。
紅楼館の中で、葬儀を行っている大人にまぎれ、黒いタックワンピースを着た、あの幼女がいた。手にはトールの直したオルゴールがあった。
トールは自分の無力を痛感して項垂れる。雨がしとしとと降っている音だけが、鼓膜に響いていた。その時、
「おじしゃん!」
幼女から声を掛けられて、トールはハッと我に返った。雨に濡れながらも、幼女はトールの元にやってきてせがんだ。
「おばあしゃんにオルゴールをきかせてあげて」
「わかった。今いくよ」
幼女に手を引かれ、トールはあのオルゴールの前に立った。櫛歯の抜けている棚型オルゴールは、魂の抜け殻のようにも思えた。参列者がトールと幼女の後ろ姿を、横目で見ても粛々と行き交っている。トールは、丁寧に一分の間違いもないように、修理した櫛歯を取り付けた。
すると、そこへオルタの息子の現市長が現れた。
「母に言われてオルゴールを直した道具屋か?」
「はい」
「なら、それを取り付けたらさっさと帰ってくれ」
「でも音が出るか確かめないと」
市長は顔をしかめている。
「君はその曲を知らないのか? 母が亡くなったんだぞ」
察してくれ。そこまでは言わなかった。
「……わかりました」
歯痒かったが、トールは市長の言う通りにすることにした。
「修理代は後日使いを寄越す。今日は帰ってくれ」
市長は冷たくそう言い放つと、カツカツと踵を鳴らして去って行った。トールの胸に、やり場のない虚しさが満たした。硬く拳を握っていると、その手に温かい感触が包んだ。
「おじしゃん」
幼女がトールの手を引いている。純粋な眼に悲しみが映っている。
――この子はわかっているんだ。
「うん。鳴らそう」
自分に言い聞かせるように、トールは呟いた。二つのゼンマイの感触は、前よりも重い気がした。ゼンマイを撒く音が刻々と胸に刻まれていく。ダンパーに手をかけて行き交う人を仰ぐ。持ち主に愛されたこのオルゴールの音色を、皆にも聞かせたいと思った。
手をそっと放すと、この前聞いた時よりも、もっと華やかで澄んだオルゴールの音色が、館内に響いた。参列者たちが音に振り返り、すぐに市長が駆け寄ってきた。
「君! すぐに音を……」
「だめ!」
幼女は両腕をいっぱいに広げて市長を止めた。その真剣な眼差しに市長も足を止めた。そして、市長の肩に手を置く婦人がいた。市長の妻だ。
「お義母さんの好きだった音色よ。皆に聞いてほしいわ」
市長はその言葉に思考し、しぶしぶだが頷いた。曲は、僅かにニ分にも満たない短い演奏だったが、実に美しく響いた。その短い時間でも、オルタの好きだったこの音色に包まれて、参列者たちには、オルタと一緒にこの曲を聴いた時の思い出が甦った。
故人を悼み、はらはらと流れていく悲しみと労いの涙。その中にトールの悔し涙も交じっていた。
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