第8話『透明と熱と模様』
「三回目にしちゃ筋が良いな」
「ありがとうございます、何となくコツが掴めてきました」
トールは、街外れのガラス工房『ファンタズマゴリア』に、買い付けに訪れていた。ファンタズマゴリアでは、様々なガラス工芸品を扱っているが、今トールが体験しているのは、切子グラスの研磨加工だった。
買い付けに来る度に興味をそそられ、少し前から器づくりの体験をさせてもらっている。まだ満足のいく作品は出来ていないが、いずれ愛飲する焼き芋焼酎を入れるロックグラスを作る予定だ。美しいカットの模様や、クリスタルガラスの鮮やかな色が、酒の味をいっそう引き立ててくれることだろう。
「一つデザインを描いてきたんですが、見てもらえますか?」
トールは、鞄に入れてきたスケッチブックを工房の主人、カイエンに見せた。
「ほう、なかなか良いデザインを描くじゃねぇか。素直に直線じゃなく螺旋状に模様を入れているところが面白い。テーマは雪解けを迎えた春、ってとこか? だが初心者が雪華文様に手を出すたぁちと生意気だな」
「ははは、カイエンさんの作品にかなり影響を受けています。それにちょうど俺の好きな酒が造られるのが春隣の季節なんですよ。雪室で甘みの増したサツマイモが、じっくりと芯まで丁寧に焼き上げられて最高の香りを放つんです。それで難しいとは思ったんですが、曲線を使って植物の芽吹きを表現したくて」
トールの構想を聞いて、カイエンは嬉しそうに皺を作った。
「馬鹿野郎、酒が飲みたくなる話をするんじゃねぇ。だがまぁお前好みのやりがいのある創作になるだろうよ。だがな、器の完成は酒の蔵出しには間に合わねぇだろうな」
「気長にやりますよ。カイエンさんは、今度のコンテストに出す作品はどうなんですか?」
トールの言葉に、カイエンはガリガリと頭を掻いた。
「今、アイディアに煮詰まっててな。小賢しい技術のことばかり頭に浮かんできやがる。昔は誰にも真似できねぇデザインや技術を極めようとしていたが、今は仕事上がりに呑む酒が旨くなるように仕事している。ありゃぁ天恵に近かったが、法王の祝典のグラスを作った時のような、閃きが来るといいんだがな。こればっかりはやり続けていないと見えてこない。もがいて足掻いてをしなくちゃいけない時期もある。まぁ苦しいこともあるが、そんなのも含めて楽しいからやってられるんだがな」
そう言うカイエンの顔は、充実とし表情に気力が満ち溢れ出ている。
カイエンは、トールより年上の四十半ばで、職人としても脂の乗ってきた時期だった。ここからどういう職人になっていくかの、岐路に立たされているところだ。
カイエンの作品は、どれも独創性に富んだ絶佳の名器だった。山林を彩るのびやかな大輪の華は、咲き乱れると称するに相応しく、豪華絢爛で見るも鮮やか。そうかと思えば、難解な数学の公式のような、複雑に絡み合った美しい幾何学模様を巧みに施すこともある。
緻密で繊細な技を散りばめた作品の数々は、集めることを生きがいにしているコレクターも多い。目玉が飛び出る程というのではまだ足りないくらいに、売値は高価だったが、幾ら金を積んででも手に入れたくなる、魔的な魅力があった。
それより少しグレードの下がる、日用品と調度品の間くらいの作品を、トールはシープコプコフに並べている。カイエンのガラス器は人気が高く、入荷を心待つ顧客も少なくない。そうなるとトールの仕入れのセンスも問われる。トールは、売れ筋よりも、自分の気に入ったデザインのものを買い付けるようにしている。
カイエンの工房へ訪れるたびに、新しい作品を手にすることが出来て、客が買っていくまでの僅かな間でも、店の中でグラスの美しさを愛でられるのは、店主だけが浸れる至福の時間となる。
「発想は、常に新しいものに触れていないと生まれない。新しいとは最近の、若いって意味じゃねぇ。自分にとっての新しさだ。故きを温ねて新しきを知るという言葉もある。常にインスピレーションを与えてくれるものに触れていることで、自分の感性もまた新しく生まれ変わるんだ。受け入れがたい感性もある。だがそこをどう捉えていくかが自分の伸びしろだ」
カイエンの唇には、火傷で爛れている部分がある。広くガラスの芸術品を扱うここで、自ら息を吹いて器を作っている証拠だ。そこからこぼれる擦れ声で聞く彼の人生哲学は、耳を抜けて想像を巡らせる。
「新しい道具が発明され、取り扱うことになると、使いこなしてやるという意気込みと同時に、古い道具の有用性を考えます。生活を本当に便利にしていくには、ただ新しくて使い易いものを手に取るだけでなく、少し遠い目線をもって、役割を明確にしていく必要があります。そんなことばっかり考えているんで、うちには売れない在庫が山ほどあるんですが」
トールは、気楽だが力なく笑った。
「人間が常に最良の選択肢を選べる訳じゃねぇ。時には立ち止まって見直すことも大事だわな。そうだな、古いものから新しいものにリーンカーネートさせるのもいいかもな。一新するんじゃなく、飽きの来ない古き良きを大事にして、かつ驚きとパッションを大事に……うん、いいヒントになりそうだ」
カイエンの眼の色が変わった。
「いい作品が出来るのを楽しみにしてます。カイエンさんのファンはたくさんいますから」
「期待はプレッシャーにはなるが、いい発奮材にもならぁ」
良い作品を作るときは、必ずこういう顔つきになる。トールも日々勉強していくことの楽しさを感じつつ、キラリと光る職人の心意気に、刺激のある時間を過ごした。
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