第7話『職人という厄介な生き物』
道具屋をやっていて最も嬉しくなる瞬間は、道具を大切に扱ってくれるお客に巡り合えた時だ。すぐに部品の交換や修繕を頼みに来るお客は、確かに店の売上には貢献してくれるが、道具の効率を最大限に発揮できるように、構造や機構を学び、壊れやすい箇所や劣化の早い箇所をつぶさに聞いて、自分なりの調整を施し、道具に馴染んでいくお客もいた。
シープコプコフの工房で、注文した足踏みミシンを、念入りに点検している青年、タカヲもそんな後者のような客の一人だった。
タカヲは洋裁師だった。自ら描いたデザイン画を型紙に起こし、現地に行って吟味した生地を仕入れ、縫い糸の一本一本にも、並々ならぬこだわりを持ち、一点ものの服を仕上げる。当然、価格は高くなるが、他にはない斬新なデザインと、手入れさえすれば一生着られる確かな品質が、タカヲの売りだ。若いのに大したもんだと、トールはいつも感心している。
タカヲが今見ている、『シグルド』と呼ばれる足踏みミシンは、トールが方々から部品を揃えて組み上げた、オーダーメイドだった。針の進むスピードから、ボビンの位置まで、タカヲの細かな注文を聞いていくと、必然的にそうなった。丹念に仕上げたミシンは、一段と輝いて見えた。
「いい出来です。これならいい服がたくさん作れる」
タカヲは、満足そうにミシンを評価した。モノの試しにと言って、あっという間に革の手袋を一双、仕上げてしまった。
「そう言って貰えて嬉しいよ。俺もベストの仕事が出来た」
タカヲの求める水準は高い。次々出て来る新たなアイディアは、始めに立てていた完成のイメージに、新たな用途を加えることになり、時には一から構造を見直さねばならなくなった。構想がまとまるまでには、何度となく議論を重ねた。
トールは仕事をする上で、何事においても抜かりの無いようにと努めているが、その堰を切る一杯いっぱいの仕事をタカヲには要求された。くたびれた分、達成感はひとしおだった。
「やっぱり良いものは良いです。仕事をする上で、手足となる良い道具に巡り合えたことは、必ず良い仕事にも繋がる。こだわって作ってもらったなら尚更です」
タカヲは感慨深そうに呟く。
道具は、行く先を見据えて仕立てることが大前提だ。手にしたお客が、最良の仕事をするために手足となって、時に補助し、時に道を切り開いてくれなければならない。
道具は、使い手の心情などを計ってくれる心は無いが、振り分けられた役割を、ただ単純に果たし、淡々と仕事をする。手に馴染ませ、愛情を持って手入れをしてやれば、それに応えてくれる道具は、寡黙で割り切った関係だが、不変であり、信頼のおける大切な相棒だ。
「トールさんも物を作る人間として、ここだけは譲れないってとこはありますか?」
真っすぐに見つめるタカヲの眼差しは、いつも真剣そのものだ。物事を真芯で捉え、引きつける魅力は、若くして才能を開花させた賜物だろう。
「俺はしがない道具屋だ。高い水準の技術を要求されることもあれば、ただ単に消耗品を買いに店を訪れる客もいる。求められることは、一つの道を究める職人のそれとは違うと思うよ」
「それでも聞きたいんです。トールさんは俺が見込んだプロフェッショナルだと思うから」
「そうだな、しいて言えば君の言う通り、良いものは良いっていう、本物感みたいなところを大事にしているかな」
トールが何気なく出した答えだったが、タカヲの顔は宝物を見つけた冒険家みたいにパァっと表情が明るくなった。
「そうなんですよ! 人間には誰しも、良し悪しを判断する秤みたいなものがある。多分、心臓のどこかか脳の片隅に、ときめきや煌めきを感じる器官があると俺は思うんですよね。人によってその秤に乗せられる重さは、変わってくるのかもしれませんが、真贋を見極める力は、皆に備わっているんだ。それは人が培っていた長い歴史が物語っています」
タカヲの情熱は、舌の上を軽快に踊った。
「例えば洗練されたデザインとして、軍用のトレンチコートなどが挙げられます。防寒に優れているだけではなく、スタイリッシュなシルエットは、着た者を硬派な印象を与え、ファッションにおいても、定番のスタイルを築き上げました。実用性だけでなく機能美にも優れ、長年にわたって愛され続けています。そう言った本当に良いものは、使い道がサブリネーションされてエキスパートだった用途が一般的になり……」
「ちょっと待った、ファッションのことは俺に言ってもわからないぞ」
タカヲのスイッチが入ってしまったのを、トールはいかんと思い、遮った。
「あ、すいません。ついしゃべり過ぎました。でも良いものは良いっていう感覚は、どこの業界でも共通だと思うんです。トールさんのするのは、間違いなくプロの仕事です。仕事に誇りと気品を感じます。そういう滲み出る魅力は、物を売る人間にとって、最も必要な条件であり課題でもあります」
タカヲは荒くなった鼻息を抑えつつも、一度点いた情熱の炎は簡単には静まらない。自分の感性を語るタカヲの瞳は、どこまでも純粋だ。
「こだわりが過ぎれば、それは独りよがりの自己満足になってしまうし、逆にそういう感覚が鈍ければ客の心は掴めません。まぁ僕みたいな前衛的なデザインばかり作る自己陶酔型のデザイナーは、ほとんどが自慰行為の搾りカスのような、自意識過剰な作品しか生み出しませんが。それでもそれを評価してくれるお客さんがいて、対価を払ってくれている。お陰でこうして服が作れるんですが」
タカヲは鼻を掻きながら、照れくさそうに笑った。
「タカヲくんは食っていくためにではなく、新しい服を作るために服を作る感じだな」
「そうですね、自分のアイディアを形にしたい欲求が、常に頭の中を駆け巡っています。これが才能ってやつなら、いつか何も感じなくなる時がくるのかな?」
若い彼にとって、今が全盛期ではないだろうかという不安は、常に頭の片隅に付きまとっているのかもしれない。それでも彼の眼には、まだ見ぬ新しい服を想像する可能性に賭ける光があった。
独自の世界を突き進む彼に、アドバイスができるとすれば、とトールは思った。
「もしその時が来たとしても、それまでに培った技術はなくならないよ。新しいジャンルを切り開かなくても新しいバージョンのものを作ればいいんじゃないかな」
トールの言葉に、タカヲは困ったような表情を浮かべた。視線が遠くなり、手はミシンを撫でる。
「トールさんの言うその二つは、僕にとって永遠の課題なんですよね。常に新しいものを生み出すか、実績のあるものをさらに改善していくか。どっちがクリエイターにとって有意義なのか、考えても良い答えは出ないんです。かといって批評家に評価されて結果が出た方が正しいって、結論を出すことはしたくないですよね。やりたいことはまだまだたくさんあります。それをこのミシンで試せたらって思います」
「生み出したいものがあるってのは素晴らしいことだ。脆く儚い感じもするけどね。俺もそういう感覚は大切にしたいと常々思っているよ」
「お互い突き詰めるとこまで行ってみたいものですね。ところでトールさんの一張羅ですけど、新しいものを仕立てる予定はないんですか? たくさん要望を聞いて貰ってご迷惑もかけましたから、ミシンの御代とは別に、僕なりにお礼がしたいんですが」
タカヲはワクワクと目を輝かせ、トールに聞いた。腕前とミシンの本領を見せたい、そんな感じだ。
「いいのかい? でもこれからもっと忙しくなるんじゃないのか?」
「俺もトールさんみたいに人との縁を大事にしていきたいんです」
「じゃぁお言葉に甘えようかな。でも、あんまり奇抜なのは勘弁してくれよ」
「任せてください。機能美を活かしたシンプルなデザインも出来るのが僕の強みですから。早速、生地からなんですけど、ファンタナシア産のアルテマウールなんてどうです? 保温性に優れてる上に、汗をかいても消臭効果があるし、なにより着心地が抜群にいい。染色するならお勧めの草木染めの工場があるんです。トールさんには淡い色が似合うと思うな。藍色か若葉色のようなちょっと渋い感じに。それに濃淡も自在ですし、虫除け効果もあって防虫薬も必要ないんです。それからボタンですが……」
――しまった。これは時間がかかるな。
こだわりの強い職人というものにも付き合い方がある。そんな一面もまた一興と思いつつ、トールは心の内でやれやれと嘆息し、本腰を入れて話を聞く準備をした。
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