第6話『こだわりなき料理人に傑作は生まれない』

 大衆食堂『リンガールベル』の料理人が使う包丁の種類は、多岐に渡る。牛刀、骨スキ、ペティナイフ、菜切、出刃、麺切り、鱧しめ、柳刃等々。その数多ある刃物の研磨するのも、トールの仕事の一つだった。日々調理に汗を流す料理人の、魂ともいえる包丁たちの手入れを任されるのは、緊張を孕む良い仕事が出来る。

 月に数度ある、料理人たちの休みに合わせて、その全てを一日かけて研ぐのである。手はふやけ、砥石の匂いが指にこびりつくが、堂に入る集中の極みのような時間が、トールは好きだった。真摯に仕事に向き合う姿勢と、生まれ変わったかのような包丁の出来栄えが、料理人からも好評で順番待ちが絶えない。

 この日も任された仕事をこなし、包丁を届けたところだった。

「信じられねぇ」

 ポツリと呟かれたその言葉が耳についた。声の主は、リンガールベルの向かい側に店を構える小料理屋『ヒイラギ』の主人、マガツだった。

「全く、信じられねぇな」

 マガツは、独り言にしては大きな声で悪言を吐いている。

「俺に言っているのか? マガツ」

 トールは、眉をしかめて尋ねた。

「お前にじゃないよ、道具屋。しかし、どうしてか料理人の魂が、つい思ったことを呟いちまう」

 マガツは、厭味ったらしく腕組みをして、トールに冷たい視線を送った。

「何がそんなに不満なんだ?」

「料理人たる者、道具を他人に預けることなかれ。こんなことは初歩中の初歩。誰もが知ってる常識のはずなんだけどな」

「道具屋の俺が調理道具の手入れを任されているのが、そんなに気に食わないのか? 店のやり方はそれぞれ異なる。状況に応じて役割を決めるのは、お前の常識にはなくても他は違うぞ」

「道具屋なんぞに料理人の矜持は分かるものか。こだわりなき料理人に傑作は生まれない」

「やってもいないお前にも道具屋の矜持も分かるまい」

 二人の間に火花が散る。トールが、リンガールベルの包丁研ぎの仕事を担ってから、こういう小競り合いが起こるようになった。大抵マガツが先に噛みついて、トールが牙を立て返す。業種は違えど、ライバル心のようなものが二人にはあった。

「リンガールベルの料理人たちは、日々大量の調理に追われて、休みの日もぐったりするくらい働いている。お前みたいに趣味の延長のような、小賢しい小料理を気分で振舞うような余裕はないんだ」

「心に余裕がなければ良いものは生まれない。あくせく働くだけがそんなに偉いのか」

「アーティストを気取っているならお門違いだぞ。第一似合わない」

「なにぃ!?」

「なんだ」

 完全に火が点いてしまった。二人が額を突き合わせ、ピリピリバチバチした視線をぶつけていると、耳元でバーンと、大きな鍋を叩く音が響いた。

「ケンカはおよし。いい男が二人そろってみっともない」

 割って入ったのは、ヒイラギの女将のハツだった。凛とした眉がキリッと吊りあがっている。毎度のことながら、怒った顔は美鬼のように怖い。

「トール君が通るたびに、いちいち絡むんじゃないよ。トール君も付き合ってやんなくていいんだから」

「こいつが悪いんだ」「こいつが悪いんだ」

 いがみ合う二人の声は、ぴったりとハモっていた。それが更に苛立ちを掻き立てる。眉間を手で押さえ、やれやれと嘆息するハツ。そんな一つひとつの所作にも、ハッとする美しさがあった。

 ハツは、血の気の多いマガツには勿体ないくらいの美人で、二人が何故夫婦になったかは、街の七不思議の一つだった。街にいる年頃の奴等からは、引く手数多だっただろうが、よりにもよってハツはマガツを選んだ。相性だって決して良いように見えない。マガツを叱り飛ばしているのは何度も見るし、ケンカもしょっちゅうだった。

「あんたも意地張ってないで、トール君に助けてもらっちゃどうだい? 頼みたいことは山ほどあるだろ」

「こいつに俺の要求が呑めるとは思えない」

 腕組みをしてマガツは鼻で笑った。

「頼んでもいないくせに随分な口ぶりだな」

「だったら言ってみようか? 俺が欲しいのは、つまみ一つで温度を自在に調節できる石釜に、野菜や果物を粉々に砕くジューサー、水を入れておくだけで氷が作れる製氷機、内圧を高くに留めておける鉄鍋。他にもまだまだあるぞ。欲しいものはあげればきりがない。俺の独創的な発想に道具の進歩が追い付いていないんだ」

「そんな最先端の技術が欲しければ、ボヘヌス遺跡の発掘屋とでも仲良くすることだな」

「ふんっ。やっぱり道具屋風情に頼む代物ではないじゃないか」

「なにぃ」

 マガツの言い草に、トールはカチンときた。

「いい加減にしな! あんた、そんな夢のような『キカイ』よりも先に、パスタマシンが壊れてること忘れていやしないかい? それがなきゃメインの料理も作れやしないじゃないか」

 そう言ってハツはマガツに釘を差す。

「それは……なんとかするさ。パスタが出せなければニョッキにすればいい」

 痛いところを突かれたのか、マガツは目を泳がせて言い訳した。

「なにが料理人の矜持だい、そんなもん犬にでも食わせな! あんたの料理を心待ちにしている人たちに申し訳ないと思わないのかい? 満足のいくものを万全の状態で作れないで、何が料理人だい! そんな中途半端を自分に許す人と、一緒になったつもりはないよ!」

 烈火の如くハツは赫怒した。マガツはバツが悪そうにそっぽを向く。

「なんだ、パスタマシンくらい直せないのか?」

「お前の手など借りたくはない」

「餅は餅屋というだろう。ハツさんに免じて診てやるから見せてみろよ」

 道具のこととなれば話は別だ。トールは一つ、相談に乗ることにした。だが、

「うるさい、あんなものなくたって俺の料理の味は変わらないんだ!」

「呆れた、男がそんなんでどうするのさ。お高くなんて止まってたら客なんて寄り付かない。あっという間にうちみたいな小さいお店、潰れちまうんだから。ちんけなプライドなんて持っておくだけ損だよ」

 マガツの意固地に、ハツもため息をつく。

「男にはなぁ張らなきゃいけねぇ意地ってもんがあるんだよ!」

「意地で商売が出来れば苦労しないよ!」

 今度は、マガツとハツが凄い剣幕で睨み合う。今にも噛み付きそうな勢いだ。とは言えトールも、壊れた道具を放っておけるほど薄情でもなかった。

「別に直したからってでかい顔はしないよ。ハツさん、パスタマシンを持ってきてもらえるかい?」

「やっぱり男は優しいのに限るね! ちょっと待ってて!」

「あ! お前、勝手に!」

 マガツの制止も聞かず、ハツは店の中へ飛んで行った。


「見たところだいぶ古いパスタマシンだが、これがなきゃお前の最高の料理は出せないんだろ? いくらニョッキは旨くても、パスタにしか出せない味だってあるはずだ。工賃は取らない。代わりにお前の作る最高のパスタを作ってくれ。ヒイラギの料理もしばらく食べてないからな」

 トールの提案に、マガツは渋い顔をして、何も言えずに黙っていた。

「あんた、トール君にここまで言わせて逃げるわけがないでしょうね?」

 その耳を引っ張って、ハツがまるで脅しをかけるように低い声で言った。その手をマガツは乱暴に払った。

「っ!……わかった。しかし注文は付けるぞ。仕事の出来が俺の認める基準に満たなかったらパスタは作らん」

「いいよ、俺も最高の仕事をするまでだ」

 トールは、すぐに修理に取りかかった。

 パスタマシンは、複雑そうに見えて構造は単純だ。カバーについているネジを外してしまえば、ローラーと幾つかのギアやカッター、ダイヤルがついているだけだ。分解は、ヒイラギに置いてあるドライバーで事足りた。

「年季が入った良い道具だ。手入れも抜かりがない」

「当たり前だ。そいつとは修業時代からの付き合いなんだ。おい、直るのか?」

 マガツは急かすように言った。

「そう焦るな。僅かな歪みや撓みが、お前の繊細な料理の食感を壊すことにも繋がる。ダイヤルやハンドルは問題ない。となると……ふむ、ローラーのシャフトが曲がっているな」

「曲がっているとどうなんだ?」

 ズイと迫って、さっきより不安の混じった声がした。

「パスタが上手いこと均等に伸びない。部品の交換が必要だな」

「本当か。通りでうまい歯ごたえが出せないわけだ……だがそのマシンを取り扱っている工場がまだあるかわからん。なんせ俺が、修業時代に務めていた店の料理長に、譲り受けて使っていたくらいだからな」

 よく使いこまれたマガツにとっての相棒。マガツの道具への向き合い方も見て取れて、嬉しい気持ちになる。

「しかし古い道具にしか出せない味というものもある。そうだろ? 道具屋は、道具の使う人、行く先を見定めて道具を提供する。俺は料理のことはからきしだが、その道具がどう働いてくれるかは想像出来る。大丈夫だ、このくらいは伝手がある。こういう金属加工に精通した工場を知っているよ」

 トールの言葉に、マガツは目を見開いて声を震わせた。

「本当か? 俺はまたいつものパスタを作れるのか?」

「しがない道具屋にでもやれることはあるだろう?」

「あんた、良かったねぇ」

 ハツは嬉しそうに、マガツの肩に手を置いた。

「二、三日中に仕上がると思う。部品が出来上がったら俺が取り付けるから、その時にパスタを食わせてくれ」

 すっかり破顔していたマガツだったが、安堵したことを悟られないように、わざとらしい咳払いをした。

「……まだ、完璧に直ったとは言えないから約束はしないぞ。作ってやるかは、出来栄え次第だ」

「全く、素直じゃないよ」

 ハツは嘆息したが、嬉しそうに相貌を崩していた。トールもつられて口元が歪む。


 三日後。修理の終わったパスタマシンで出来たスペシャルランチは、相も変わらずの絶品だった。まったく、料理の腕だけは一流だ。きっとハツもこの味に絆されたのだろう。

 こういう瞬間が訪れるからこの仕事は辞められない。トールは道具が結んだ縁に、深く感謝し、パスタを旨そうに頬張った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る