第5話『魔法使いの昼』
「う~ん、暇だな」
昼から店を開けているが、シープコプコフは閑古鳥が鳴き通しだった。店の掃除と品出し、棚整理が終わってから、注文や修理の無い時間は、こうして店番をしているのだが、生憎と言っていいほどに客足はない。
そもそも、取り扱っている商品は、トールの趣味の延長のようなものばかりで、一般的な客の琴線に触れることは少ない。日用品を買いに来るご近所さんや、通行人が物珍しさに隙間から覗くのが精々だ。
時間を持て余していては、煙草の吸い殻が増えるばかりである。
――たまにこういう日があってもいいか。
気分を入れ替えいっそ暢気に構える。昼飯の内容でも考えながら、窓の隙間から外を眺めていた。すると人影が一つ現れた。嫌な予感がした。
その人影がやってきたのは、空からである。
箒に跨り、黒衣のフレアワンピースに、ツバ広のとんがり帽子。魔女の出で立ちの『彼女』とトールは、のっぴきならない関係にあった。
バンッと勢いよくドアが開け放たれる。もちろん手で開けたのではない。独りでにドアハンドルが回り、見えない力がドアを引いたのだ。カツカツと踵を鳴らしてやって来た彼女は、ドアのサッシに凭れかかり、相変わらずの人を見下すような吊り眼で、トールを睨んだ。箒は手に持たず宙に浮いている。
「サラ、ドアくらい普通に開けられないのか?」
「いやよ、貧乏くさい。久し振りね、トール。相変わらず暇そうにしてるわね。この店、通り沿いに無くて探すのに苦労したわ」
トールが、『サラ』と呼んだこの若い女は、かつてトールが一緒に旅をした勇者一行の一員だった。正真正銘の魔法使いというわけだ。あの頃は、まだあどけなさの残る少女だったが、今は一端のレディとなって高慢そうに腕組みをしている。
「辛気臭いし、とんと流行ってないみたいね」
「まぁ流行ってないなりにやってるよ。本当に久し振りだな。元気だったか」
「元気だったかですって? 全く白々しいわね。あれから私たちがどれだけ苦労したか」
「それは別れる時に散々謝っただろ。勇者様だって許してくれた」
「それはあの人が底なしのお人よしだから。私は一度だって許したつもりはない」
「ケンカがしたくて店に来たのか?」
サラがふんっと鼻を鳴らすと、一陣の風が店を駆け抜けた。風は棚に並んでいる商品を乱雑になぎ倒し、一瞬で店をめちゃくちゃにした。
「……随分なことをしてくれるじゃないか」
「粗雑な店が綺麗になった」
二人の間に険悪なムードが流れる。
「用があってきたんじゃないのか? 営業の邪魔をするようなら帰ってくれ」
トールが、なぎ倒された商品を並べ直しながら言うと、サラは急に黙った。何かあったのかと手を止めて様子を窺う。
「……マエストロが倒れた」
「え?」
サラの表情は暗い。マエストロとは、サラの魔法の師匠のことだ。
「もうじきお迎えが来るのかもね。もう歳だから」
「そんなことあるか、二百九十歳も生きれば、もうあの人は人の理の範疇に無い」
「魔王との戦いが終わってから、すっかり老け込んじゃって、以前のような覇気は感じられないわ」
「まさか」
トールは信じられない思いだったが、サラがこうして恨んでいるはずの自分の元にまで来るということが、何よりの証拠に思えた。
「……世界樹の雫から作ったエリクシールの予備がまだ倉庫にある。急いで持って行こう」
トールには薬剤を扱う知識もあった。それは勇者一行としての旅で培ったものだ。
「あれは直前に調合しないと、効き目がなくなっちゃうじゃない。混ぜ合わせるタイミングだって素人には扱えない。第一急いでって言ったって」
「お前の箒なら文字通り一っ飛びじゃないか」
トールの提案にサラは、とんでもないと顔をしかめた。
「いやよ、あんたなんか私の高貴な箒に乗せたくない」
「師匠が危篤なのにそんなこと言っている場合か」
「魔力を使えない上に魔法を毛嫌いしてる奴なんか乗せたくない」
自分の意志を曲げない強情さも相変わらずだった。
「お前の好き嫌いなんか聞いていない。俺は世話になった方に礼を欠くことはしたくない」
「勝手にいなくなったのに何が礼よ」
「だったらお前は何故ここに来たんだ。エリクシールならもしやと思ったんじゃないのか?」
「そんなこと……私は……」
サラは冷静に見えて、師匠が倒れたことに、かなり動揺しているのかもしれない。だが優しい言葉をかけてやれば、サラはそれを撥ね退けてしまうだろう。トールは、サラが答えを出すのをただ黙って待った。
「……乗るなら手は肩。腰に手を回したら空の彼方で振り落とすわ」
「わかった。準備する」
言うやいなや、トールは倉庫へ向かった。倉庫の隅の奥深くにしまっていた、かつて勇者と旅をしていた時の荷物を引っ張り出す。たんまりと埃を被っていたせいで、思わず咳込んでしまったが、懐かしさがトールの記憶を鮮明に刺激した。 トールにとってそれは、あまり思い出しなくない類の記憶でもあった。
「準備が出来た。行こう」
トールは肩掛け鞄を一つ提げ、店に鍵をかけて、オープンのプレートを裏返してクローズにした。サラは既に、箒に横向きに腰掛け、宙に浮いている。
「それじゃ俺が乗れないだろ」
「あんたのために私が何かするのは我慢できない」
「じゃぁ飛び乗れって言うのか?」
サラは、尚も顎を上げたまま、トールの視線の高さに浮いている。トールはやれやれと嘆息すると、一転、飛び上がって箒によじ登った。
「ちょっと乱暴しないでよ!」
「お前が降りてこないんじゃ、こうする他ないだろ。嫌なら協力しろ」
「この!」
サラは顔に血を登らせ、トールがまだ箒に跨っていないにも関わらず、箒を空へと急上昇させた。あっという間に、箒の高度は屋根や風車の高さを越えた。
「ちょっと待った! 分かった、慎重に乗るから箒を止めてくれ!」
こんなところで振り落とされては、大怪我だけでは済まない。慌てるトールの懇願に、サラは気を良くして、箒を宙に制止させた。
――この性格は変わらないな。
旅をしている時から、トールとサラはこんな感じだった。七年前、サラは勇者一行としては古参で、後から入ってきたトールは、先輩面をされたものだ。知識にも優れ、魔法を扱えることで、トールは随分と下に見られた。
――七年も前の話なのに、俺はまたあの人たちと関わるのか。
道具屋をやっていると、縁というものを強く感じる。それは物と物の縁でもあるし、人と人との縁でもあった。縁もゆかりもなくては、仕事も生活も成り立たない。
それは勇者達の敵である魔族も一緒のことだった。旅をしてみて初めて知ったこと、感じたこと、学んだことは多かった。魔族は魔力の使えない人間を虐げる存在でもあったが、中には心が打ち解けられるほどに、道具に興味を示すものもいた。
トールの作る道具に、驚いたり喜んだりする様は、人と何ら変わりはなかった。
トールはそんな相手と戦うことが出来なくなった。それで旅の途中で、自分だけ離脱したのだった。そのことをサラは責めている。
血みどろの戦いを止められるのなら、誰だって抜けたい気持ちはあっただろう。勇者との旅は、世界を救うという、赫灼と燃え盛る気高い使命感の炎に、身を焼き尽くされていなければ成せない偉業だ。彼らがいなければ、トールの今日のハナサキペトラオウスミカでの人生は成り立たないだろう。
離脱したことに後悔こそないが、旅の出来事を思い出す度に、心臓に砂をかけられるような思いが染み出してくる。トールの勇者一行としての旅の期間は短かったが、今でも鮮明にそのことを思い出せる。
サラの箒は滑らかに速度を増し、あっという間に雲の上へと飛んでいた。
空を飛ぶなんて離れ業を、軽々とやって見せる『魔法』は、やはり心地良いものではなかった。遮る物のない温かい太陽の光は、埃まみれの罪悪感を上から優しく撫でた。その優しさに責められている気がして、トールは雲の先の景色をじっと見た。
マエストロの住んでいるのは、『青の穴』と言われる、ハーフブルームーン石灰で出来た洞窟だった。遥か昔、空から落ちてきたとされる、巨大隕石の硬い内壁をくり抜いて、作られた居住区は、神秘的に青く光る聖気を孕んでいて、ありとあらゆる病気や怪我を治す効力がある。そこに住む魔法使いたちの長寿の秘密の一つでもあった。
中には快適な居住スペースが造られていた。サラが先だって、師の元へ向かう。
サラは、扉を魔法で片っ端に開けていくと、中にいた他の弟子たちは何事かと驚き振り返った。しかし、サラは構わずに、ずんずんと中へ進んでいった。その最深部に辿り着き、薄暗い広間の中に、煌々と光る巨大な繭のようなものの前に二人は立った。
「マエストロ、私です。サラです。トールを連れてきました」
サラがそう告げると光が反応して、繭を構成している糸一本一本が呼応するように解けていった。蛹が成虫に羽化するような美しさに、トールは思わず息を呑んだ。その繭の中に、
「ふわぁぁぁ~。どうしたサラ? 何か用か」
大欠伸に、両手で伸びをした老爺がいた。マエストロだ。おかしい。随分と元気そうだ。
「おい、ピンピンしてるじゃないか」
「…………」
サラは唖然として言葉を失っていた。
「なんだ、トールもいるのか。随分とまぁ久しいではない……」
「マエストロ! 体は大丈夫なんですか? いきなり倒れたから私、びっくりして飛び出したのに」
いたって呑気そうなマエストロに、サラが挨拶を遮った。サラが駆け寄ろうとすると、マエストロは手で軽く制して、髭を撫でた。
「お前さんはいつもやることが大袈裟なんじゃよ。魔導士たるもの常に冷静に物事を判断し、事の顛末が分かるまで動くなといつも教えているじゃろ」
「……早とちりだって言うの」
相当心配していたのだろう、サラは床にへたり込んでしまった。
「なんじゃ、だらしのないことだ。サラ、寝起きで腹が減った。何かこしらえてくれ」
大層な心配をかけたというのに、マエストロはなんとも大胆不敵だった。
「もうっ信じられない! ……わかりました。すぐなにか持ってきます」
そんなマエストロの調子に、それ以上何も言う気がなくなったサラは、項垂れながら厨房のある奥へと消えていった。
「マエストロも人が悪い。元気なら心配をかけるようなことをするもんじゃありませんよ」
「ははは、お前さんの顔が見たくなってな。一芝居打ってしまった。あれから七年。人間にとっては感傷も薄らぐほどの時は経った。あの子にもそろそろ古いシコリを解消して欲しくてな。あの通り高慢ちきなところと不器用さは変わらんのだよ。賢者の名を継ぐ者としてはまだまだ恥ずかしい弟子じゃ。この世の理を凌駕する素質があってもあれでは今の世は渡っていけん」
「確かにサラは鼻持ちならないところがありますが、それでも聡明さを持ち合わせていますよ。知識は豊かで想像力や応用力にだって富んでいる」
「それでもこれから必要とされるのは、人と人との距離感、いわゆる普通さや、常識なんかじゃ。『持てる者』が、ただ優れているとは限らん。お前さんのように、自分に出来る精一杯をやり切るという堅実さ、実直さ、献身さがなければ、『持たざる者』とは対話が成り立たぬ。いずれはその力を、脅威とみなされることだってありうる。あの子には儂のようになって欲しくないんじゃ」
先を見据えるものこそが賢者たりうる。マエストロが旅の道中で、サラにそう言った光景を良く覚えている。あの時もサラの早とちりが原因で、一悶着があった。
「でもサラのあの性格は、そう簡単に直るモノじゃないですよ。もっと長生きして教えてやってください。ところでエリクシールを持ってきたんですが、せっかくだから呑みますか?」
「おぉ、そんな貴重なものを持ってきてくれたのか。良薬は口に苦しというが、お前の薬はいつも甘く感じた。更なる長寿に向けて少し頂いておこうかな」
トールが、バッグから薬を出して調合していると、サラが食事を運んできた。
「本当に元気そうですね、師匠。私は何のためにハナサキまですっ飛んでいったんだか」
恨みがましい視線でマエストロを睨んでいたが、盆の上には温かいスープがあった。
「久し振りにトールの顔が見れて良かったじゃろ? お前は昔のことを思い出す度にトールのことを話題にするんじゃから」
「それだけ気に食わない奴だったってだけです! 誤解を招く言い方はしないでください!」
サラは、火を噴きそうな勢いでマエストロに噛み付いた。
その晩は三人で食卓を囲み、昔話に花を咲かせた。出会う前、一緒に旅をした時、それから離れて行ってからのこと。話したいことは山ほどあったが、それに比べて語らえる時間は余りにも短かった。
翌日、トールはサラの箒で、ハナサキまで送って貰っていた。その間サラは、まるで虫を入れたまま靴を履いているかのように、ずっと顔をしかめていた。道中は、自分の早とちりで、遠くまで連れてきたことが気まずかったのか、サラは無言に徹していて、街が見えてくるまで、口を開くことはなかった。
しかし、街が見えてくると、ボソリと、
「……悪かったわね」
と、呟いた。
「お前の口から、そんな言葉が発せられる日が来るとはな」
「うるさいわね! 私だってこんなこと言いたくないけど、今回のことは完全に私の早とちりだったし、それに……」
「なんだ?」
「なんでもないわよ。あんたに謝られる覚えはあっても、私が謝る事なんて何一つないと思ってたのに」
後ろからなのでよく顔は見えなかったが、相当悔しそうな顔をしていたことだろう。
「お互いまだまだ未熟者と言うことで、水に流さないか?」
「図々しいわね、あんたの罪はこんなんじゃ消えないんだから」
「あ、もう一つあるじゃないか」
「?」
「めちゃくちゃにした店のことを謝ってくれ。片付けろとは言わないから」
振り返った彼女は、苦虫を奥歯で噛み締めて出てきた汁を、舌の味覚帯でダイレクトに受けてしまったような、それはもう嫌な嫌な表情を浮かべていた。
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