第3話『大海へ誘う風』
ドンドンドンドンドン! ドンドンドンドンドン!
激しく戸を叩く音で、トールは目を覚ました。寝ぼけ眼で時計を見るに、時刻は夜中の三時。トールの寝室は、店の二階にある。それでもここまで音が聞こえてくるなど、相当な急用だとトールは思った。
寝巻のまま階段を下りて、小灯りの光輝石を木槌で軽く叩いて点けた。光輝石とは僅かな衝撃を与えるだけで、闇を照らすほどの光を放つ結晶石のことだ。鉱石の良く採れるこの辺りの光源は、大体これを使う。店の入り口の覗き戸を開ける。すると、
「やっと来やがった! 頼む、すぐ店を開けておくれ!」
ものすごい剣幕の婦人が、目を血走らせながら店の外でがなっていた。
「今、何時だと思ってるんです? 店はもう閉めていますよ」
トールは、うんざりした声で告げたが、婦人はそんなものお構いなしだった。
「だからこうして頼んでいるんじゃないかい! あんたにとってはたくさんある毎日の中の一つかもしれないが、私にとって今日は今日しかないんだ! 助けると思ってここを開けてはくれないかい! もう道具屋を三軒回ってあとはここしかないんだ!」
こんな時間に叩き起こされた同業者を不憫に思ったが、店の前でこんなに大声で頼み込まれたんじゃ近所迷惑だ。トールはやれやれと嘆息しながらも、店を開けてやることにした。
鍵を開けると同時に飛び込んできた婦人は、トールを撥ね退けて店を物色した。暗闇にも関わらず、目が爛々と輝いてるのが分かる。獲物を狙う夜行性の肉食獣が、最初に思い浮かんだ。機敏な動きで棚を隈なく見る。
トールが店の本明かりを点けてやると、婦人は「ギャッ」と、聖なる光を恐れる悪魔みたいに、一瞬顔をしかめたが、すぐに物色を再開した。どうぞお気の済むままにと諦めたトールが、暖を取るために石炭ストーブを点火していると、
「あった! これだ!」
婦人が見つけたのは、一隻のポンポン船だった。それは、トールが玩具屋で一目惚れして買っておいた、ディスプレイ用の品だった。
玩具と言えど精巧にできており、水には浮くし、蝋燭に火を灯せば蒸気の力を使って進むことも出来る。
船はガラスケースに入っているので、婦人は手を出せずケースに張り付いていた。
「この色! この形! この大きさ! 私のイメージにぴったりだ! 前に見かけたことがあった気がしたが、この店だったのか! 店主! これを私に売ってはくれまいか!」
「お客さん、下の札を見てください。非売品って書いてあると思いますが」
トールは、眠い目をこすりながら言った。
「そんなのはわかっている! それを頼むと言っているんだ! こいつにはもっと相応しい場所があるんだ!」
婦人は、今度はトールに詰め寄った。
「いったい何に使うつもりなんですか?」
「小説のネタに決まっているだろう! この顔に見覚えは無いか!?」
「いえ、特には」
「な、なに!? 売れてきてはいるが、私もまだまだということか……。見られないほどの見た目じゃないと自負しているのだが。……ショックだ。はっ化粧をしていないからか!?」
きっと長いこと寝ていないのだろう、婦人の眼の下には、クッキリとした青黒い隈が出来ていた。深夜のせいもあるのか、テンションが少しおかしい。
「主人。『グッドフェローの冒険』という本を読んだことは無いか?」
「あぁ、あの小人がシマリスと共に旅する冒険譚ですね。読んでいますよ。新刊が出なくてやきもきしていますが」
「私はその作者のアーガレット=F=マキムゴールというものだ」
「そうですか、あなたが書いていたんですね」
トールは、婦人の言葉に驚いたが、婦人の様子を見て、内心、得心がないことはなかった。
グッドフェローの冒険は、小人のグッドフェローとシマリスのウィルスライの、小さき二人の織り成す、山あり谷ありの冒険の随所に、いつも手に汗握る怒濤の展開が散りばめられている。思わず肝を潰されそうな苦難に屈せず、二人が立ち向かい乗り越えていく様は、読んでいて勇気を貰える。更に、まるで作者が見てきたかのような、葉の一枚一枚の色や、匂いが伝わってくる瑞々しい表現に、物語にすっかりのめり込んでしまうのだ。
トールは新刊が出るたびに、夜な夜な続きが気になって、つい夜更かしをしてしまい、ハラハラドキドキしながらページを捲り、読み終えた時は、心地よい疲れを感じるほどだ。
その物語の嵐のような勢いが、婦人の雰囲気に、とてもマッチしていた。
「確か、小人のグッドフェローが、相棒のシマリスのウィルスライの故郷に辿り着いて、別れのシーンで物語が止まっていましたね」
「そうなんだ。私はあれでグッドとウィルの冒険は終わったつもりだった。でもそれだけじゃないんだ。グッドの一人での旅立ち、そして新たな出会いのシーンが頭から離れない。
それにちっぽけな小人のあの子が、世界という名の大きな大海に出ることで、私は停滞している自分も羽ばたかせたい。あの子が旅を続けることで、私ももっと遠くに行ける気がするんだ。それに切ない終わり方は、性に合わないからね。グッドには幸せになってほしい。
九巻が書き終わった時は、これ以上のものは書けない気がしたがね。続きを書くのはあの子を出汁に、私の物語を書いているようで気は引けたが、やっぱり私は書くことが好きだ。神様がくれた、想像力という果ての無い海に、潜ったり泳いだりダイブしたりするのが大好きなんだ」
アーガレットは実に、瑞々しい表情でそう語った。好きなものに対して一生懸命で、その上、自分の作ったものを、我が子のように愛している。
「あの子をこのポンポン船に乗せて、広い海を旅させたい。主人、どうか頼む。この通りだ」
アーガレットは腰を折って深々と頭を下げた。その真剣さは、本当に書いていることが好きで、真っすぐに自分の世界を見つめている証。トールの心は、アーガレットの強い思いに、すっかりほだされてしまった。
確かにこんな小さなケースに入れて眺めているより、必要な者の元にあった方が、この船も本望だと思った。願わくばこの船が、アーガレットの言う想像力の大海を、波を切って進んで欲しいものだ。
「わかりました。でも、せっかく手離すなら、こいつが役目を終えるまで大事に扱ってもらいたい。あなたの勢いじゃ帰りの道中に何かあるかもしれない。梱包するんで、その椅子にかけて待っていてください」
「本当かい!? いやぁ嬉しいねぇ。これで心置きなく続きが書ける!」
アーガレットの顔が、少女のように綻び、世話しなくはしゃいだ。椅子に座っても尚、足をバタつかせ、手はパンパンと膝を叩いている。トールは苦笑しつつ、店の奥へ梱包材を取りに行った。
――面白い人もいるもんだ。
本を読んでいても、作者の生い立ちなどは、さほど気にしない方だったが、作家という生き物に初めて会って、その満ち満ちるエネルギーに、トールは素敵さを感じた。稀に見かける、煌めきを持った人。もしかしたらそれは刹那的なものかもしれないが、だからこそ美しさを分けてもらえる気がした。
梱包材を取り、売り場に戻ると、アーガレットは椅子にかけたまま、腕組みをして眠っていた。眉間に皺を寄せ、苦悶の表情で歯ぎしりをしている。時折ビクンと体を震わせては、何やら聞き取れない寝言も呟いていた。
トールはやれやれと嘆息したが、良いアイディアを思い付いた。
店にあるお香の一つを取って焚いた。このお香は、クープドーアといって、夢見を良くする効果がある。
自分の決めた道に、必死に打ち込む者への、せめてもの労いの気持ちだった。たゆたう煙と香りにまどろむ。トールは、自分も眠かったことを思い出して大あくびをした。
レジ裏の椅子に腰掛け、梱包をしながらアーガレットを見守った。石炭ストーブの温もりと共に、微睡むには打ってつけの甘い香りが、店内を包む。
――涙。拭ってはまた零れる涙に、少年は確かな別れを感じていた。海の風は頬を流れる涙のようにしょっぱい。辛くはないけど少しだけ寂しい。
片時も離れたことのないあの毛皮のぬくもりを、忘れてしまう時は来るのだろうか。楽しかった冒険も、たくさんのあたたかな出会いも、この先に待っている保証はない。けれど少年は新たな決意と共に旅に出る。小人の世界があることを信じて。
風が吹いている。
気がつくと、朝陽が窓から差し、夜が明けていた。トールもいつの間にか、ウトウトと眠ってしまっていたらしい。
アーガレットは、もうそこにはいなかった。代わりに多すぎる代金と、置手紙があった。トールは置手紙を読んで、その内容が胸にストンと落ちた。
――風は時に嵐となり、船を沈めてしまう荒々しさを持つが、季節や出会いを運んでくれる尊いものだ。大海へ誘う風は、私を遠くに運んでくれる。――アーガレット=F=マキムゴール
トールは、うすぼんやりとした夢の記憶を思い返した。あれはアーガレットがグッドフェローの物語を夢見たものなのかもしれない。
と、うっすらと滲んだ文字に気付き、置手紙を裏返して見てみる。
――P.S.お陰で良く眠れたけど、その代り締め切に間に合わなくなるから、今日も徹夜になる。御代はあるだけ払うから、気付け薬に棚にあるポーションも頂いた。
トールはギョッとして店の棚を見た。そこには綺麗さっぱり、一本も残らず気付け薬のポーションがなくなっていた。
――嵐のような人だったな。
トールの口元に思わず苦笑が浮かんだ。
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