第22話 幸運は勇者に味方する
部屋に入ってきた父親に小さなタチアナは不思議そうな顔で見上げた。
「パパ?」
「下がってな。タチアナ」
「でも……」
「いいから」
戸惑うタチアナを神成は半ば強引に自分の背後に隠す。
部屋に入ってきたタチアナの父親の表情は冷たく蝋人形のようだった。神成の背後にいる自分の娘を目で追っているが感情は感じない。
これがタチアナの記憶だとするなら、この男は、タチアナをこんな目で見ていたのだろうか? 神成は思った。
父親はタチアナを捕らえようと手を伸ばしが神成はそれを阻む。
「あんた、自分の子供を生贄にするなんて事を本当にやったのか!?」
神成は、胸ぐらを掴んだが父親の表情は変わらず感情も読み取れない。
もしかしたら記憶の中の存在故なのだろうかと神成は思う。
父親は何かの呪文を小声でつぶやきながら幼いタチアナを捕らえようと、さらに腕を伸ばす。
「こいつ!」
神成は壁に父親を押し付けた。
そのまま殴り飛ばそうと思ったが、心配げに様子を見つめているタチアナに気づきそれは我慢した。代わりに床に組み伏せるとベルトを外して後ろに回した両手首に巻き付けた。
「お兄ちゃん!」
小さなタチアナの声で振り向くと部屋の奥にはいつの間に入り込んだのか、黒衣の男が立っていた。
危険を感じた神成はナイアーラソテップに掴みかかった。
抵抗はなかった。タチアナの父親と同じく人形のようだ。
これもタチアナの記憶が作り出した幻影のようなものだからだろうか? 神成はそう思いながらその不気味な仮面を剥ぎ取った。
だが、そこには人の顔はなかった。
「なんだ……?」
仮面の下を見た神成は戸惑う。そこには何もなかったのだ。顔などはなく、ただ黒い闇があるだけだ。それを見て動揺していた神成の首にナイアーラソテップの手がかかる。
「うっ!」
神成の首が、ものすごい力で締めつけられる。
こいつは幻じゃないのか?
苦しさと痛みから逃れようと神成はもがいた。その拍子にナイアーラソテップの顔に手が触れてしまう。そしてどういう事なのか、その暗闇の顔の中に神成の手が吸い込まれていく!
「は、離しやがれ!」
気味の悪い暗闇の顔から逃れようと手を引っ張り出そうとするが、どうにも抜けない。その時だ。何かが腕を伝わって聞こえてきた。
”彼女に真実を知らせよ”
クトゥグアと名乗った老人が同じようなことを言っていた。
彼女とは……タチアナさんのことか? だけど真実をって一体なにを……?
薄れゆく意識の中、神成は思いを巡らせた。
タチアナの記憶、無表情な父親の顔、ここにいるはずのない
その時、神成は気がついた。
目の前のものは皆、幻だ! 全てはタチアナの記憶の産物にすぎないのだ。
そして一番重要なことだ。
幻には何もできない!
その機を逃さず神成はラトテップの手を振りほどいた。
「俺をどうこうしようったって無駄だぞ。お前はここには存在しないんだからな!」
ふいに首からナイアーラソテップの手が離れた。
気がつくとラトテップの姿は消えていた。
組み伏せた筈の父親の姿もない。
やっぱりそうか!
神成はその場にかがむと小さなタチアナの顔を見た。
「よく聞いて、タチアナ」
真剣な神成の表情にタチアナは不安げな表情を見せた。
「タチアナが見落としていることがあるんだよ」
別の事実を突きつけられたタチアナの記憶は混乱して客観的な思考ができないでいる。そこを俺が客観視できるように誘導してやれば、もしかしたら彼女は……。
「君の心臓を差し出したのはお父さんかもしれないけど、同時に
「うん……」
「やっぱりな」
神成は確信した。
「ナイアーラソテップと
「え?」
「君の心臓の半分を抜き取らせたのには何かの理由があったのかもしれない。もしかして君は心臓の病気か何かでそれを助けるためだったのかも。あるいは何かの呪いを避けるため。理由はいくらだって想像できる。そうさ。でなければ、ナイアーラソテップと敵対する
戸惑うタチアナはナイアーラソテップの方を気にしていた。
「あいつのことはいい。よく聞いて、タチアナ。ここにある全ては君の心が生み出したものなんだよ」
「私の心が……?」
「そうだよ。だから君がどうにでもできるんだ」
神成の戸惑うタチアナ
「いいかい、タチアナ。君が望めば暗い廊下だって明るくできるんだ」
倒れたナイアーラソテップが立ち上がってきた。
何やら先程より身体が大きくなっているようだ。
「こいつ……」
迫るナイアーラソテップに神成はタチアナをかばって身構えた。
だがその時、その神成の前に誰かが立った。
「タチアナ……さん?」
子供のタチアナではない。黒いスーツを着た今のタチアナだ。
「ありがとう。神成。もう大丈夫だ」
タチアナは振り向かなかったが背中越しにそう言った。
「タチアナさん……よかった」
「神成、危ないから少し私の方に近づいて」
「は、はい」
タチアナが呪文を唱え始めると炎が部屋中を覆った。炎は何もかもが燃え尽くしていく。
ナイアーラソテップも父親も……。
× × × × ×
ナイアーラソテップの手がタチアナの胸に伸びた時だった。
その手をタチアナに掴まれた。
「思い通りにはならないぞ」
驚くナイアーラソテップ。
「心臓を返してもらうのはボクだ!」
タチアナの手が燃え上がったかと思うとラトテップの手に燃え移った。
「ペータ・ミ・ホス
黒衣の化物に燃え移った炎があっという間に全身に広がりそのまま火柱になった。
先程の炎より明らかに勢いが違って見える。
「ベタズ・ソーリ
ラトテップが炎に包まれていく。
火の勢いは今までの中で最高だった。炎の中でラトテップがもがいているのが見えていた。
やがて炎が収まるとそこには黒い灰だけが積もっていた。
タチアナは黒い灰のそばに屈むと指先で灰をつまんだ。
「仕留め損なった……」
ナイアーラソテップの灰のそばでタチアナはひとりそう呟いた。
周りの騒ぎも収まっていた。
どうやら人形使いは形勢不利と見たのか逃げ出したらしい。魔術の消えたマネキンや奇怪なオブジェは全部動きを止めている。
捕らえられた一味が拘束され連れ出されていく。
作動できなくなった外骨格スーツの重みで倒れたままに鳴っていた神成は、特殊部隊の隊員たちに助け起こされていた。意識もこちらに戻ってきている。
外骨格スーツを外され座り込んでいる神成のそばにタチアナがやってきた。
「大丈夫かい? 神成」
「ええ、まあ。タチアナさんこそ大丈夫ですか?」
「うん。キミの魔術おかげでね」
「はあ?」
「キミの呪文さ」
「あの、タチアナさん。それってなんのことでしょう?」
「あの時、ボクに言ってくれたろ?」
神成は小首をかしげる。
「君が望めば暗い廊下も明るくできる……」
「あ……」
「あれは最高の呪文だったよ」
そう言ってタチアナはにっこりと笑った。
それは初めて見るタチアナの笑顔だった。
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