第21話・死はすぐに応じる

「心臓……渡せ」

 近づいてくるナイア・ラトテップの言葉がタチアナの頭の中に響く。

 黒いフードがめくられるとその下からは不気味な黒い仮面が現れた。表面に奇妙な紋様が刻まれた仮面には目の部分がわずかに開けられていて、そこから金色の眼が覗いていた。

「神成、銃貸して!」

「は、はいっ!」

 神成は、自分のP226をタチアナに放り投げた。それを受け取ると躊躇なく仮面の額を狙って引き金を引いた。細かい破片が宙に舞っていく。

 二発目の銃弾が仮面を撃ち抜く!

 致命傷を与えたとタチアナは思ったのもつかの間、ナイア・ラトテップは平然とその場に立っている。されには銃痕を軽く指で触ると仮面の破損部分は元に戻っていた。

 防弾か? いや……違う。そんなものではない。

 黒衣の男ナイア・ラトテップは、そのままタチアナに向かって歩みだした。

「どいてください! タチアナさん。この俺がなんとかします!」

 神成が黒衣の男の前に立ちふさがった。

"収集家"ザ・コレクター! 連続殺人容疑及び死体遺棄の容疑で身柄を確保する!」

「よせ! 神成!」

 ナイア・ラトテップを捕まえようと装甲で覆われた腕を伸ばした時だった。突然、ボディの一部から青白い火花が飛び散った。同時に急激に身体が重くなる。「え?」

 外骨格スーツハルクに搭載されているバッテリーの電流過負荷で電子回路がショートした。それによって可動部分の多くを動かしている小型のシリンダーピストンが一斉に止まったのだ。

 外骨格スーツが固まったように動かせなくなる。

「あわわ……」

 神成はそのままひっくり返った。同時にクリアーシールド越しに映し出されていたヘッドアップディスプレイの表示も消えた。

「神成!」

 タチアナが叫ぶ。

 神成が非常着脱ボタンを手探りで必死に探しいるとその横をナイア・ラトテップを通り過ぎていくる。邪魔者を排除したナイア・ラトテップがタチアナに再び目標を定めたのだ。

 近づいてくるナイア・ラトテップに向かって慌てて両手を向けたタチアナは、呪文を唱えた。指先から炎が燃え上がるとナイア・ラトテップに向かってまるで石があるかのように飛びかかった。

 だが、攻撃の炎は、ナイア・ラトテップに達する直前で方向を変え、外骨格スーツハルクを装着したまま床に転がる神成に向かっていく。

「え? なんで……?」

 外骨格スーツの装甲が炎に包まれてた。

 タチアナは、コントロールの効かなくなった自分の魔術に焦りだす。何しろこんな状態は初めての事なのだ。油断していたタチアナの眼前にいつのまにかナイア・ラトテップが接近が両手でタチアナの顔を掴んだ。

"心臓……返してもらうぞ"

 タチアナの頭の中にナイア・ラトテップの声が響いた。

 恐怖で身体が固まる。

 以前にようなことがあった。それはいつの事だったのか……

 次の瞬間、タチアナの意識は飛んだ。


  *  *  *  *  *


 目を覚ました神成は見慣れない部屋の中に立っていた。

「どこ?」 

 儀式をしていた広間でもなく、装着していたはずの外骨格スーツもなくなっている。

 見渡すと部屋には少しサイズの小さなベッドに縫いぐるみがいくつか置かれている。どうやら子供部屋らしい。

 部屋の外から何か騒がしい音が聞こえた。耳を澄まして聴いてみるとそれが叫び声だとわかった。

 声を聞きつけ慌てて部屋を出るとそこは狭い二階の廊下だった。

 声は下から聞こえてくる。神成は手すりから身を乗り出し声のする方を見下ろした。そこにいたのは二人の男と子供がいた。そのそばには女がひとり血を流して倒れている。

 入り口に立つ男の方には見覚えがあった。

"収集家"……ザ・コレクター?」

 男は子供を抱えると"収集家"ザ・コレクターに差し出した。

「やめろ!」

 叫んだ神成は急いで下に行こうと階段を降りた。だが、どういうわけか階段は延々と続き一階へはたどり着けない。

 じれったくなった神成は、階段から思い切り下に向かって飛び降りた。だが飛び降りた神成が着地したのは元の二階の廊下だった。

「なんで?」

 階段の下では、男が子供を抱きかかて"収集家"に差し出そうとしている。


「無駄だ」

 背後から声がした。振り返ると炎の球が浮いていた。

 魔術の類か?

 銃を抜こうとした神成だが、タチアナに渡してしまったのを思い出した。

「これは記憶の中の出来事。結果はすでに起きたことであり、何も変えられない」

 炎の球はそう言ってゆらゆらと揺れていた。

「話せるのか?」

 炎は人の形になったかと思うと上等なスーツを着込んだ老人に姿を変えた。

「あんた、誰だ? 幻か?」

「私が幻だとしたら幻に尋ねる君は相当に錯乱してるといえるな」

「そうかもしれないが、それを確かめる為に聞いてる」

「私はクトゥグア。"古き神"とも呼ばれる事もあるが、君らには"火の精霊"と名乗った方がしっくりくるかな?」

「"火の精霊"? あんた、もしかしてタチアナさんの魔術に関係している人?」

「君らの言うところの"魔術"の手助けをしている」

炎の精霊サラマンダーってことか?」

 老人は神成の質問に答えずタバコを取り出して一本咥えた。タバコの先にはいつの間にか火がつき、老人は当たり前のようにタバコを吸っている。

「失礼、何だったかな?」

「だからあんたが、炎の精霊なのか?サラマンダーって……いや、もういいです」

「私が何者かという答えについてはここで語っても理解できないと思うが、君らが"収集者"ザ・コレクターまたはナイア・ラトテップと呼んでいるモノとは敵対している存在ということは伝えておこう」

「あいつと敵対しているなら力を貸していもらえるって事?」

「もう貸しているさ。しかしながら今のところ力及ばずといったところだがね」

「なんとかならないんですか?」

「なるよ。だから、その為に君をここへ呼んだのだから」

「呼んだって、そもそもここは一体どこなんですか? 見たところ普通の家のようだけど」

「タチアナ・バリアントの精神世界」

「つまり、タチアナさんの心の中……ってこと?」

「そのとおり」

「そうだ! タチアナさんが危ないんだ。早く何とかしないと」

「安心させるというわけではないが、今、私と君は一瞬の時間の中にいる。外の世界からするとコンマ1/10000秒の流れだ。タチアナはまだ無事だよ。とはいえ、このままでは危ういのだがね」

 神成は周囲を見渡した。

「ここがタチアナさんの心の中なら、あれは何です?」

 下の何度も繰り返される一階の光景を指さした。

「タチアナに心の中に強烈に刻み込まれた記憶。本人に自覚はないが、それがタチアナのあらゆる思考や行動に影響を与えている」

「なぜ、過去の記憶に"収集家"コレクターがいるんです?」

「確か彼女が君に言ったろ。子供の頃、奴に心臓を奪われかけたのだ。下の光景はその時のものだ。その強烈な記憶が他の記憶を押しのけてリピートされ続けているのだ。それはずっと抑え込まれて心の奥深くにしまわれたものだった。しかしながた先程、聞かされた話によって掘り起こされてしまった。悪い事にこの記憶が足枷となって私の力を十分に使いこなせずにいるわけだ」

「聞かされた話って?」

「彼女は、心臓の半分は奪われたのではなく父親の意志で差し出されたのだということだよ」

「ちょっと待って……それじゃタチアナ先輩は、実の父親から生贄に差し出されたってこと? 先輩が不完全な心臓でも生きていられるのはお父さんの魔術のおかげだって言っていたのに……」

「その事実はともかく、今、彼女の意志が揺らいでいてる。そして、それが彼女の使う魔術に大きく影響している」

「さっきは、すごい炎を出していましたよ」

「見た目だけだよ。魔力を貸している私が言うのだから間違いない」

「俺はどうすればいいんです?」

「彼女に真実を見せて考えを変えさせろ。そうすれば私の力のすべてを引き出せる。さすればナイア・ラトテップも倒せるであろう」

「考えを変えさせろって……」

「今、タチアナは、自分が信じていたものに裏切られて、とても混乱している。それを変えるのだ」

 クトゥグアと名乗る老人にそうは言われたものの、実際のところどうすればいいのか神成は思案した。

「ねえ、クトゥグアさん。あんたの魔力で一階へ降りれるか? 俺、さっきから行こうとしても駄目だったんだけど」

「ああ、もう降りていけるよ。すまんが実をいうと私が君の話をする為に細工をしていただけなのだ」

「ふざけるなって怒鳴りたいところだけど今はそんな場合じゃないから止めとく」

「何か方法を思いついたのかね?」

「まあね。事実っていうのは主観のよって大きく変わるものなんだぜ」

 神成はクトゥグアにそう言うと一階に向かった。

 一階に降りるとナイア・ラトテップとタチアナの父親との間に割って入った。

「それ以上、近寄るな!」

 神成がナイア・ラトテップに向かって怒鳴ると不思議なことにナイア・ラトテップの動きが止まってしまった。ラトテップだけではない。タチアナの父親も動きが止まってる。

 だがどういうことなのか父親に抱きかかえられた子供の頃のタチアナだけは瞬きをしている。動けるのだ。

「君、タチアナかい?」

 子供はうなずいた。

「おいで」

 神成は、父親からタチアナを引き離すと自分の腕に抱えた。

「さてと、この後はどうするか……」

 ナイア・ラトテップもタチアナの父親も動きが止まったままだったが、いつ動き出すとも限らない。神成は、小さなタチアナを抱えて家の奥へ逃げた。

「どこへ行くの?」

 タチアナが不安げに訊ねる。

「あの二人から逃げるんだよ」

「なんで? 逃げるの? パパだよ」

「それは……とにかく今は危ないんだ。どこかに逃げないと」

 家から逃げ出す為に廊下の窓を開けた。そころがすぐ外は谷底になっていて足を置く地面さえ見当たらない。

「嘘だろ……?」 

 物音が近づいてくる。おそらく、ラトテップか父親のどちらかが神成たちを追ってきたのだろう。

 神成が奥の廊下に逃げ込もうとするとタチアナが神成の服を裾をひっぱって止めた。

「そっち、だめ」

 奥の廊下には照明がなく、深い暗闇に覆われている。

 そういえば、タチアナ先輩は暗がりが苦手だったな……そう思いだしながら他に逃げ場所はないかと探すといつの間に出来たのか白い扉がすぐそばにあるのに気がついた。

 タチアナを抱えて白い扉の部屋にげ込むと、そこは、神成が最初にいた子供部屋だった。

 不思議に思ったが、そもそもこの家は、タチアナの幼い頃の記憶の中だ。いちいち疑問に思ってもしかたがない。

 二人は部屋の奥へいくとじっと息を潜めた。

 次第に近づいていた足音は神成たちがいる部屋の前で止まった。

 神成は子供のタチアナを自分の背後へ隠すと部屋の中に武器代わりになるものがないか探した。だが結局、何も見当たらなかった。

 ドアが静かに開かれていく。

「あんたは……」

 子供部屋に入ってきたのはタチアナの父親だった。


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