第11話・最強の者が勝つ

 突然、周りが見えなくなった。

 暗闇に覆われたタチアナの鼓動は、激しくなり、息が苦しくなっていた。

 ここから逃げ出したい。そう思ったが身体が思うように動かない。

 助けて……だれか助けて

 暗闇の中、伸ばした手がそばにいる誰かに触れた。神成だ。  

 タチアナは、そのまま神成にしがみついた。

「せ、先輩?」

 戸惑う神成の事など考えずに、ただは抱きついた。

「タチアナ先輩、単なる停電ですよ」

 神成の穏やかな声がタチアナの耳に届いた。

「……ごめん、このままでいさせて」

 身体の震えは止まらない。

 恐怖から逃れたい。

 その気持ちだけがタチアナの心を支配していた。

 「タチアナさん、大丈夫ですよ……大丈夫」

 神成の温かい手が背中に触れるのがわかった。

「大丈夫、大丈夫です」

 ずっとこのままでいて……

 ずっと。

 タチアナも神成の背中に手をまわそうとした時だった。

 電気が戻った。

 蛍光灯の灯りが廊下とそこで抱き合う二人を照らした。

 神成の顔が思いの外近い。タチアナが、こんなにしっかり彼の顔を見たのは初めてだった。

 タチアナは今の状況を理解した。

 途端に恥ずかしさがこみ上げ、慌てて神成を突き放す。

「あ、ありがとう」

 停電の間、ずっと神成に抱きついていたのだ。それを思うと神成の顔を見ることができない。

「と、とにかく静かにして……」

 タチアナは顔を上げることができなかった。

「はい! わかりました!」

 勢いのいい神成の返事が聞こてきた。どうせお得意の敬礼でもしているのだろう。

 タチアナは一度も神成の顔を見返すことはせず、自分の部屋に戻った。

 中に入るとドアに寄り掛かかってため息をついた。

 肩に神成の手の暖かさがまだ残っている。


 ああ……なんてこと。

 これじゃ、明日は神成の顔をまともない見れないじゃないか。


 タチアナは両手で顔を覆った。

 ”後の祭り”とはThat ship has sailedこのことだった。

 


 ******



 翌日、駐車場で顔を合わした二人だったが。

「昨日は……その、ごめん」

 案の定、神成の顔がまともに見れない。

 タチアナは気まずくなり謝ってしまった。

「いいえ、元はと言えば俺が騒いだからなんで。気にしないでください」

「そ、そうか」

 そうだよ! そもそもキミが騒がしくしたからじゃないか!

 なにに、なんでボクが謝るんだ?

 タチアナは、心の中でそう叫んだが、言葉にはだせない。

「タチアナさん?」

「えっ? ごめん!」

「はぁ?」

「あ、いや……その、何だい?」

「今日は、どうするんです? またどこか、捜査に向かうんでしょ?」

「そ、そうだね。あの……あの像の鑑識結果はまだでていないから、先に出処を探す」

「何かわかった事でもあるんですか?」

「ちょっと、気になることがあってね」

「俺もありますよ。今日のタチアナさんは何かおかしいっすよ」

「え? いや? そう……?」

 誰のせいだと思ってるんだ! ってゆうか、キミには何も気まずさがないのか?

 タチアナは心の中で叫んだ。

「ちょっと、風邪気味なのかも……昨夜は少し寒かったし、ゴホっ」

「運転しましょうか?」

「い、いや、いいよ。キミはまだ、道に疎いだろ? ボクが運転するから」

「なんか、すみません。俺、早く覚えるようにしますから」

「いいから、乗れよ」

 二人は車に乗り込むと地下の駐車場から出た。

 地下駐車場の坂を勢いよく登ると、坂の頂上付近に車の底を激しく擦らせた。

 サスペンションが沈み込み、車体が揺れる。

 これをやらないと、気が済まないのかいな……?

 神成は思った。

「どこへ向かってるんです?」

「現場で像を見つけただろ? あれの出どころに心当たりがあるんだ。その筋の骨董屋なんだけど、そこに言って話を聞いてみる」

 車が、大通りに出ると途端に道が混み合い始めた。

 タチアナはアクセルを緩めて車の流れにのる。

「ところで、タチアナさんって暗闇が苦手なんですね」

「悪かったな」

「いや、誰にだって苦手はあるますから。けど意外ですね。魔術とかを使えるから、暗闇が苦手なんて想像できなかったですよ」

「魔術に暗闇は関係ないよ。昼間でも使えるしね」

「でも意外だ」

「ボクは……怖いんだ」

「えっ?」

「暗闇が怖い。とてもね」

「ああ……なるほど。でもそれって子供みたいですね」

「思い出しちゃうんだ。子供のころ、心臓を奪われそうになった時のことを」

「あ……すみません」

 神成はそれ以上何も聞けなかった。

 車内が沈黙に包まれる。

 その後、現場に到着するまで一言も会話をしなかった。

 やってきたのはロンドンの中華街だ。

 観光地から少し離れた通りに入ると、一軒の店の前で停まった。

 中に入ると中国陶器や掛け軸が並んでいる。 

 神成が品物を物色していると誰かがそばにやってきた。どうやら店主のようだ。

「お客さん、何をお探しあるか?」

「あ、俺は、違うんで」

 説明しようとする神成の横にタチアナがやってきた。

 先程までにこやかだった店主の顔つきが変わる。

「買うのやめた方がいいよ、この店、インチキな紛い物を売りつけてくるから」

「おお、久しぶりあるね。”黒髪の魔女”さん。でも、営業妨害はいただけないね」

「営業妨害? ここにある表の品物はほとんど偽物じゃないか。それと、その嘘っぽい訛りは止めたほうがいいよ」

「ははは、あんたは相変わらずはっきり言うね」

 店主は大笑いして、神成の肩を叩く。

「新しい相棒さんも困る時あるでしょ? この人、時々、無茶するから」

「ああ、そうなんですよ。昨日も焼け焦げになる寸前でした」

 タチアナが神成を睨む

「あ……いや、そんなことはありません」

 慌てて否定する神成。

 タチアナは、遮るように神成の前に出ると証拠品の像が写った写真を見せたた。

「これに見覚えは?」

 店主はポケットから取り出した老眼鏡をかけると写真を覗き込むように見た。

「ああ、これはテスカトリポカの像ね」

 店主はメガネを掛け直しながらそう言った。

「テスカトリポカ?」

 神成が小首をかしげる。

「テスカトリポカは、古代アステカの神よ。信徒に生贄を要求する怖い神さまね」

 店主が説明した。

「アステカ人がテスカトリポカに捧げたのは心臓だよ」

 タチアナが付け足した。

「心臓って……見返りを求める神って、悪魔とどこが違うんですかね?」

「神とはそういうものだよ。聖書ではイサクが生贄にされるところだった」

 タチアナは、店主に向き直した。

「この写真の像を買った奴を知りたい」

「それがこの店の商品だった証拠でも?」

「ないよ。強いて言えば直感ってやつかな? でも心当たりがあれば何か教えて欲しいかも」

「さあ、よく覚えていないね」

 タチアナはため息をついた。

「しかたがない……」

 タチアナは、両手を広げると何かを唱え始めた。

 すると手のひらから小さな炎が立ち上った。炎は人の形になり、手の上にゆっくりと体を揺らしている。まるでダンスを踊っているかのようだ。

「火災保険入ってるかい?」

「よせよ。放火だぞ」

「証拠は残らない。消防署の鑑識は出火元さえ見つけられないさ」

「わかった! わかったよ。だから、アイルアランドギャングみたいな真似はやめるよろし!」

 タチアナは肩をすくめた。

「売れたのは、一週間くらい前だったと思う。確か、30代くらいの男で、身なりはよかった」

「他には?」

「カードを使った」

「カード?」

「ああ、そうさ。だからサインを入れたレシートの控えが残ってる」



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