第9話・抑圧からの解放

 二人が乗った車は、ユースティティア・デウスの本部に戻った。

 地下の駐車場に車を停めるとタチアナは、そそくさと車を降りてしまう。

「まってくださいよ、先輩」

 鼻血を押さえながら後を追う神成。

 タチアナは、無視してエレベーターに乗り込む。神成が入った時には、エレベーターは閉められる寸前だった。

「怒らないでくださいよぉ、タチアナ先輩」

「怒ってない」

「怒ってますよ」

「怒ってるでしょ! 殴ったし」

「あれは手が滑ったんだ」

「ど、どう滑ればあんなパンチが決まるんですか!」

「奇跡じゃないのか?」

「んなわけないでしょ!」 

 エレベーターは目的の階に着くと扉が開いた。

「どこへ行くんです?」

「先輩、どこへ行くんです?」

「証拠を分析してもらう。今から寄るところは、いわばユースティティア・デウスのCSI(科学捜査班)だ」

 ガラスの仕切壁にが並ぶ部屋では白衣を着たスタッフたちが忙しなく作業をしていた。その様子は、いかにも科学捜査班らしい感じがする。

 神成が、あれを見るまでは……。

「え……?」

 並んだ水槽の中には、見たこともない獣の首が浮いていたり、異様に巨大な眼球が入っていたりした。

「先輩! なな、なんですか! あれは」

「気にするな。キミも今に慣れる」

「気にするなっていっても……」

 水槽の中の首はまだ生きているかのようにギロリと神成の方を向いた。

 駄目だ! 慣れる気がしない!

 神成は思った。

「おい、何をしている。早くこい」

「は、はい!」

 促されて神成は早足で駆け寄った。

 タチアナは、仕切り部屋の前で神成を待っていた。神成が来るとドアをノックして中に入る。

 中にいた白衣を着た女性が振り向く。メガネをかけたアジア系の美人だった。

「おや、あんたが直々にやってくるなんて珍しいわね」

「やあ、シェイ・ウォン。ちょっと軽いトラブルにあってね。新人の案内も兼ねて久しぶりに来てみたんだ」

「軽いトラブルねえ……ちょっと焦げ臭いけど関係ある?」

 シェイ・ウォンは、まるで品定めをするように神成を見た。

「現場で押収した証拠品を調べてもらいたいんだけど」

 タチアナは、持ってきた像と右手首を取り出した。

「おお、これはまた……」

「急いで欲しいんだけど、どうかな?」

「ふ……ん。わかった、なるべく早めにやっておく」

 シェイは、ゴム手袋のまま像を受け取ると何かの測定の上に置いた。

「ところで噂の新人ってのは彼?」

 タチアナは黙ってうなずいた。

 シェイに神成は愛想笑いをしながら軽く頭をさげた。

「へえ……どのくらい経つ?」

「まだ初日」

「で、燃えそこなったってわけね」

「もうその話、伝わってるんですか? 報告もしていないのに」

 驚く神成にシェイは肩をすくめる。

「いや、だって君、焦げ臭いよ」

「え?」

 神成は慌てて上着の袖を嗅いでみた。

「一体、どのくら持つのかしら?」

「さっき、爆発に巻き込まれた」

「う……ん、すごい。それで無事なら奇跡が起こりそうよね」

 感心するシェイ・ウォンは、ひとりうなずいていた。

「それより、それ、できるだけ早くしてね」

「はいはい。でも、そんなに重要なの?」

「"人形使い"の隠れ家で見つけた」

「ああ……今、追ってる魔術士ね。わかった。できるだけ早くやる」

「ありがとう。ほら新人、少し休憩するからついて来て」

「は、はい!」

 タチアナは神成を連れて出ていった。

 その二人の後ろをシェイ・ウォンを見送る。

「まるで、飼い犬とご主人様ねぇ」

 シェイはそう、つぶやいた。



 休憩室にタチアナと神成がやってくると、そこにいた捜査官たちが一斉に二人を見た。その視線にさすがに神成も気づく。

「タチアナさん? 俺たち、なんか注目されてませんか?」

「気にすることないよ。それより、少し休憩しよう」

「あ、俺が飲み物持ってきます」

 そう言って神成は、早足でカウンターに向かった。

「ちょっと、ボグが何を飲むのか聞いて……まあ、いいか」

 しばらくするとカップを二つも持った神成が戻ってきた。

「はい、先輩。カプチーノです」

 そう言って神成はカップをタチアナに手渡した。

「先輩のはキアロで、俺のは普通のです」

「ありがと……」

 二人はそばにあった空いた席に座った。

「キミ、ボクの好みを知ってたのか?」

「え? 偶然でしょ?」

「偶然でキアロは選ばない」

「なら、奇跡でしょ」

 そう言って神成は紙コップを口にした。

 疑わしい目つきで神成を見るタチアナだったが神成は気にせずカプチーノの味を楽しんだ。

「ところで、新聞に載っていた死体の内蔵を抜き取る連続殺人犯のコレクター収集家って、もしかしてタチアナ先輩が追うコレクターと同一人物ですか?」

「ボクはそう思っている。新聞の見出しにある犯人を指す”コレクター”が組織の追っている魔術士”コレクター”と同じ名称だったのは偶然だと思う。組織が情報をリークする事はありえないからね」

「そいつは内蔵を何に使ってるんですかね?」

「わからない。偏執的人格によるものか、あるいな何かの魔術実験のためなのか」

「被害者に共通点は?」

「皆、6月後半から7月後半までの生まれ。つまり蠍座」

「やはり無差別というわけではないんだ……」

「犯人が蠍座の被害者を選ぶのには何か意味がある筈なんだ。それがわからない」

「ところで先輩も蠍座?」

「そうだけど……キミが何故知ってるんだ?」

「え? ああ、だってタチアナさんも10年前に、ほら」

「ああ、そうか。さっき話したね」

「蠍座って、12星座の中でも抜群の集中力と繊細さと優しさがある星座なんですって」

「そ、そうなのかい……?」

「でも本当に優しいなら俺の顔に二発もぶち込みませんよね……あっ」

 タチアナが気まずそうにカプチーノを飲む。

「す、すみません。うっかり口が滑りました!」

「いい……キミの言うとおりだし」

「タチアナ先輩はすごいです。本当に」

「今更いいよ。なんかわざとらしいし」

 プイっと横を向くタチアナ。

 急に子供っぽくなったタチアナに神成が焦る。

「いや、その、先輩。機嫌直してくださいよぉ」

 その時、タチアナの携帯電話が鳴った。

「すまない、少し席を外す」

 聞かれたくない内容だったのか、タチアナは携帯電話を持って席を立った。

 携帯電話を耳に当てながら離れていくタチアナの後ろ姿を見送る神成。

「くそっ! また余計な事を言って……俺ってバカ」

 すると、見覚えのある捜査官たちが席に近づいてくる。

 昨夜、食堂で会ったホークス捜査官とワシントン捜査官だ。

「やあ、神成」

「どうも」

 にやけながら挨拶してくるホークス捜査官に神成は、素っ気ない挨拶を返した。

「その顔、どうした?」

 ホークスが鼻血の跡に気がついて尋ねてきた。

 神成は、ハンカチを取り出すと慌てて拭き取る。

「さては、初日から何かあったな」

「べ、別になにも……」

「それに君、何か焦げ臭いな」

「俺はしないけどね。鼻が悪いんじゃないんすか?」

「いや、確かに焦げ臭い」

 顔を近づけるホークス。

「どうやら賭けに勝ちそうだ」

「それより、ちょっと教えてくれないかな?」

「いいぞ、なんだ?」

「俺の部屋に小鬼たちゴブリンが出るんだ。追い払うにはどうしたらいい?」

「僕は妖精やら魔法など信じない。聞くなら他の奴に頼むんだな」

「あれ? この組織って魔術の専門じゃなかったけ?」

「くだらない。全ては科学で説明できるっていうのに。組織は方針を変えるべきだ」

「まあまあ、落ち着けよ、ホークス」

 ワシントンが興奮気味のホークスを諌めた。

「神成君はまだ知らないと思うけど、デウスの一部には極度の魔術派と極度の科学信望派があるんだ。だいたいが折り合いをつけてやってるんだけど、この二つは真っ二つに意見が別れている。ホークスは科学信望派」

 そう言ってワシントンは、肩をすくめた。

「ちなみに僕は中立派。デウスの多くの職員と同じだ」

「へえ……」

「部屋に小鬼ゴブリンが出て困っているんだろ? ここではよくある話さ。小鬼たちは好奇心が強いからね。僕が小鬼を追い出す方法を教えてあげるよ。とっておきなのがあるんだ」

 相棒のワシントンはそう言ってニヤリとした。


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