第1話・楽できたのは昨日まで
思い起こせば三ヶ月前
突然の辞令から聞いたことのない特殊機関への出向を命じられた神成。
翌日から特殊急襲部隊SATの訓練に送り込まれ、ハンドガンからサブマシンガン。アサルトライフルなど様々な銃器の扱いを即席で教え込まれた。
体力に自信のあった神成もついていくのもギリギリの厳しい内容をなんとかこなすと、早々に国際便に押し込まれてしまう。
そして着いた場所は英国ロンドン。
ヒースロー空港ロビーに出ると周囲を見渡した。
連絡によると出迎えに誰かが来ているらしい。
人混みの中で視線が誰かと合った。
黒いスーツに黒い手袋。温和な笑顔を向けて手を上げた。
「お待ちしておりました。ミスター・
運転手は丁重な挨拶をした。
「どうも……すみませんねえ、ここまでお出迎えなんて」
「お気になさらずに。では行きましょうか。ああ、お荷物はお持ちいたします」
案内された車のキャリーバッグをトランクにしまうと後部座席のドアが開けられた。神成は座席に座り込み、座り心地の良いシートにゆっくりと腰掛ける。
車は目的地に向かって走り始めた。
ロンドンの街の景色を楽しんでいると運転席の後ろに新聞が差し込んであるのに気がついた。
客へのサービスか、前の客の置き忘れなのかどちらかわからないが神成の目を惹きつけたのはある事件の見出しだった。
"現代に甦った切り裂きジャックか?
神成は新聞を手にとった。
事件は最近、英国で多発する連続殺人事件の事が書かれている。
被害者は必ず臓器の一部が取り出されていることから犯人は、"コレクター"と呼ばれていた。
ロンドン市民は戸締まりを厳重にし、金持ちはボディーガードを増やしているらしい。だが、事件は収まる気配を見せていないのが現状だった。
「ああ、やだやだ」
神成は新聞を閉じた。
「物騒な事件です。市民を脅かすのはテロだけではないわけですよ」
新聞を読んでいた神成に気がついた運転手がミラー越しにそう言った。
"
長旅のせいかいつのまにか寝てしまった神成は、運転手に起こされて目を覚ました。
視界に入ったのは、石造りの大きな城だった。
「ここ間違いじゃない?」
言われた運転手は、神成に渡されていたメモを再び取り出し、GPSと照らし合わせた。
「いいえ、間違いございませんが」
郊外の、しかも貴族が暮らすようなデカイ城が捜査機関の本拠とはいうことがあるのだろうか?
「あ……」
気がつくと神成を乗せてきたロンドンタクシーは走り去っていった。
ひとり残された神成は心細くなりつつも周囲を観察した。
よく見ると、目立たないところに監視カメラがいくか設置されている。おそらく神成が来ていることを気がついてはいるのだろう。
「ふう……行ってみるか」
神成は、荷物を抱えて取り敢えず大きな扉の前に立つ。
反応はなかった。
髑髏と蝙蝠を模した気味の悪いドアノッカーをつかもうとした時だった。ゆっくりと扉が開いていった。
「ミスター神成?」
顔を出したのは不気味な扉とは不釣り合いな美人だった。
赤いフォックスフレームの眼鏡の下は珍しいグリーン・イエローの瞳だった。
ブロンドのロングヘアは後ろにまとめられて美しい顔立ちがより引き立っている。
品の良いスーツとタイトスカートもよく似合っていたがシャツだけは仕事で着るにはどうかと思うほど真っ赤だ。だが美人なののと神成の好みであるのにも間違いなかった。
「はい! 神成朝斗です! 日本から派遣されてまいりました!」
神成は、キャリーバッグを置いて思わず敬礼してしまう。
メガネ美人は、神成の勢いある挨拶に最初、キョトンとしていたが、しばらくしてクスっと笑った。少し大きめの八重歯が見え隠れする。
「お元気ですのね」
「はっ! それだけが取り柄であります!」
「まあ、そう堅苦しくなさらないでください。まずは、お入りください。ご案内いたしますので」
メガネ美人は笑顔でそう言った。
「はい! 失礼致します!」
神成は、中に入ると扉が勝手に閉じていく。
「私は、局長秘書のヘルミナ・ハーカーです」
「
「日本の警官の方は皆、神成さんのようにお元気なんですか?」
「じ、自分が特別であります!」
「まあ……」
ヘルミナ・ハーカーは、笑い上戸らしく。神成の言葉にいちいち楽しそうに笑う。
感じの良い人だなぁ……
神成は、ヘルミナ・ハーカーに見とれていたときだった。
「こいつか? こいつが例の奴か?」
神成が声の方を見た。すると、柱の陰から神成を見つめる目があった。
「え?」
一メートル程の背丈に緑色の肌。鋭く尖った耳とギョロリとした眼球。その姿は、絵本に出てくるコボルトかゴブリンだ。神成は思わず目をこすってもう一度、柱の方を見た。すると奇妙な小人の姿は消えていた。
「どうしました?」
神成の様子に気がついたヘルミナが尋ねてきた。
「いや……柱が変なモノに見えて。あの、ここ何か動物を飼っています?」
「いいえ、ペットはいませんけど」
「ですよねぇ……」
そう口にした時だった。ヘルミナの右肩に何かが乗っているのが見えた。虫ではない。だが虫の羽を持った何かだ。なんと服を着ている。
神成は、目をこすって見直すと、小さな"何か"は姿を消していた。
「あれぇ……?」
ふたたび神成の様子に気がつくヘルミナ。
「神成さん?」
「えっ? いや、やっぱり、長旅で疲れているのかなぁ……ちょっと、おかしなものが見えて」
「おかしなものですか?」
「いや、疲れているだけです。気にしないでください。あははは」
「……では行きましょうか。局長がお待ちです」
ヘルミナはそう言うと踵を返して歩き出した。
「あ、はい!」
やばい! 絶対、おかしな奴って思われたよ! 印象悪くなったよ!
早足で前を歩くヘルミナの後ろで神成は落ち込んでいた。
やがて古風な装飾とは不釣り合いなエレベーターがある場所までやってきた。
ヘルミナは、エレベーターのボタンを押すと扉はすぐ開いた。
中へ入ると目的の階のボタンを押す。扉が閉じるとエレベーターが動き始めた。
「神成さん」
「はい? なんでしょうか」
「ここでは、少し不思議なものが見えることがあるますけど、皆、悪いものではないので気にしないでくださいね」
「はい、そうしま……えっ? 不思議なものって何ですか?」
エレベーターが到着し、扉が開いた。ヘルミナは何も答えず先にエレベーターを降りた。
そこは城の外観からは考えられないほど、近代的なオフィス、いや、近代的を通り越して超近代的なオフィスだった。
デスクや椅子のデザインはもちろん、ホログラム映像を映し出しているデスクもある。壁には何の用途かわからない装置が並んでいる。こうなってくるとオフィスというよりも何かの作戦司令室だった。
奥に中二階になったガラス張りのオフィスが見えた。ただしガラスは曇りガラスになっていて中の様子は見えない。おそらく瞬間調光ガラスであろうか、一瞬表面の色合いが変化した。
「あそこです」
階段を上り、ドアを開けると受付のような場所になっていた。奥にはもうひとつ扉があった。
「そちらのオフィスで局長がお待ちです」
そう言うとヘルミナは奥の扉を指した。
「失礼致します。日本から来た神成さんをお連れしました」
扉をノックして中に入ると、今時珍しいカイゼル髭の中年男性が椅子に座っていた。
「ありがとう。ミス・ハーカー」
役目を終えたヘルミナはオフィスから出ていく。名残惜しそうにその姿を横目で追う神成だった。部屋から出る時に神成が軽く会釈するとヘルミナはニコリと笑って扉を閉めた。
「ようこそ、神成くん。待っていたよ」
カイゼル髭の男は椅子から離れると愛想よく笑いながら握手の為の手を差し出した。
「私が、ここを統括している者だ。"エム"と呼ばれている」
神成が握手の手を握り返す。しばらくシェイクハンドは続いたが、エムは握った手を中々話さない。気まずい顔をする神成に気がついたエムが慌てて握っていた手を離し、咳払いした。
「
自己紹介をする神成にエムがふたたび咳払いをする。
「神成くん。ここでの肩書は日本警察での階級である巡査長ではなくなるからそのつもりで」
カイゼル髭こそ古臭かったが、その毅然とした態度と知的な風貌には捜査機関を統括するにふさわしい雰囲気をかもし出していた。少なくともその時はそう感じた。
「し、失礼いたしました!」
「注意ではないから気にしないでいい。ここでは捜査官として働いてもらうことになる」
「そのことなんですが……少し質問が」
「なんだね?」
「私、日本では交番勤務でして……あ、交番というのは、日本の警察が各街々に設置している施設でして……」
「交番の事は知ってる」
「そうですか……えーと、つまり自分が言いたいのは、犯罪捜査の手伝いはした事はあるものの、主導捜査の経験はないのですが」
「大丈夫だ、君とコンビを組む相手についていけば、そのうち分かってくる。それに、ここの捜査は、他の捜査機関とは大きく違う。他の捜査機関でのキャリアがあったとしても、経験のないものも大差ない」
「はあ……そういうものですか」
「そういうものだよ。"郷に入っては郷に従え"。君の国のことわざにもあるだろ?」
そう言ってエムは、カイゼル髭をつまんで歪みをさり気なく直した。
右手中指にはめられた奇妙な指輪が気になる。
「後で君のパートナーを紹介する。まずは捜査官の装備を整えてくれたまえ」
そう言うとエムは、インターフォンで外のヘルミナを呼び出した。
「ミス・ハーカー。神成捜査官に装備品の支給手続きを頼む」
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