紙とペンと祖母

家宇治 克

拝啓 愛しい孫へ

 授業で言っていた。

『紙とペンは最強の道具だ』と。


 先生が言っていた。

『紙とペンがあれば何でも出来る』と。


 しかし修也しゅうやにはそれが、その言葉がにごって見えていた。勉強が出来る、文字が書ける、頭が良くなって、大学に行ける。そんなことは修也にとってどうでもいい事だった。

 先生がクラスに言い聞かせている時、修也はおもむろに手を挙げた。


「先生、どうして紙とペンが最強なんですか?」


 気がついた時には質問していた。

 先生は困っていた。クラス中の視線が修也に集まった。修也はそんなことを気にしていなかった。

「えぇっと、さっきも言ったんだけど、紙とペンがあれば文字が書けるでしょ?そうすれば勉強して、学校に行けるでしょ?いい学校に行けば、いい人生を送れるのよ」

 修也は淡々と、反論した。

「文字が書けなかったら勉強どころじゃありません。学校に行けなかったらどうすればいいんですか? いい学校に行かなかったらダメな人生になるんですか? どうして先生がそんなことを知ってるんですか」

 先生は黙ってしまった。小学生の生意気な質問に、何も言えずに俯いていた。

 修也は極めつけに吐き捨てた。


「紙とペンこそ、全く使えないですよ」


 ───────────────────────


 修也は身体中が痛かった。

 放課後に校内をうろついて、自分のランドセルを探していた。

 垂れた鼻血も、腕についたアザも、修也を否定する様に痛かった。

 学校中を歩いていると、先生とすれ違った。先生はあからさまに嫌な顔をして通り過ぎた。

 修也は鼻を擦り、鼻血を服で拭き取って、ゴミ捨て場に行った。


 黄昏時のゴミ捨て場に修也のランドセルはあった。ランドセルのフタは開いていて、ゴミが詰まっていた。近くに落ちていた教科書やノートは踏みつけられ、痛々しく裂かれていた。


『お前には必要ないだろ』


 そう言いたげなランドセルからゴミを捨て、教科書のページを一枚一枚丁寧に拾った。

 涙は出てこなかった。微塵みじんも辛いとは思っていなかった。そして、自分が悪いとも思っていなかった。


 ランドセルに教科書を詰め、折れた鉛筆を筆箱に戻す。泥にまみれたそれを背負い、修也は何事も無かったかのように家路に着いた。

 赤く染まる太陽に自分の影が伸びていた。

 まるで大人のように背の高い影はじっと修也を見つめていた。

 修也はその影を見つめ返した。しかし、何も面白くなかった。


 家に帰ると、母が台所で「おかえり」と言った。修也は「ただいま」と言うと、そのまま部屋にこもった。

 ランドセルを捨てるように置き、部屋の隅にある勉強机に向かい、机上の写真に微笑んだ。


 祖母の写真だった。

 写真の祖母は紫陽花あじさいに囲まれてにこにこ笑っていた。

 去年の夏に撮った写真だった。紫陽花が綺麗に咲いた記念に撮ったものだった。

 大好きな花に囲まれた大好きな祖母は、にこにこ笑っていた。


 修也はいつか母にもらった便箋を引っ張り出すと、鉛筆を握って手紙を書いた。



 はいけい おばあちゃんへ



 手紙の最初はそう書くんだよ。と、祖母から聞いていた。



 元気ですか。ぼくは元気です。

 今日はきゅう食をおかわりしました。二はいもおかわりしました。



 母が夕飯に呼ぶ声がした。

 しかし、修也は祖母への手紙に夢中だった。



 今日、先生が、かみとペンはさい強だと言ってました。でも、ぼくはそう思いません。

 それを言ったら、クラスの友だちにたたかれました。強科しょもすてられました。



 あったことをそのまま書いた。

 修也は体についたアザを見つめた。



 だって、かみとペンでなんでもできるなら、ぼくはおばあちゃんのおへんじをうけとれるからです。

 ぼくが、おばあちゃんに、会いたいって言えば、会えるからです。

 それができないのに、さい強なんてうそだと思いました。



 修也は筆が止まった。

 依然として母が修也を呼んでいた。修也は返事をしなかった。



 おばあちゃん、ぼくはおばあちゃんに会いたいです。どうしたら会えますか。どうしておへんじをくれないんですか。

 おばあちゃんはぼくのことを、大好きだって言ってたけど、ぼくの方がおばあちゃんのこと、とても大好きです。

 また川にあそびに行きたいです。

 またおばあちゃんと、花火が見たいです。

 またおばあちゃんと、いっしょにねたいです。



 修也の目からポロン、と涙が零れた。

 殴られても、無視されても、全然涙が出なかったのに、修也は祖母への手紙で泣いた。

 目を乱暴に擦り、手紙の続きを書いた。



 もうすぐ、おばあちゃんの好きなあじさいが、さきます。そうしたら、おばあちゃんに会えますか。

 ぼくはまたおばあちゃんに会えるのが楽しみです。おじいちゃんもよろこんでくれるかな。


 修也は書き終えた手紙を四つに折ると、引き出しに隠したライターを持ってベランダに出た。

 あっ、と気がついて修也は手紙に書き足した。祖母から教わった手紙の書き方、最後の方を忘れていた。

 そして、きっと次こそ返事が来ると信じて追伸を書いた。



 夏休みに入ったら、ぼくも天国にあそびに行ってもいいですか。

 大好きなおばあちゃんにすっごく会いたいです。

 おへんじまってます。


 しゅうやより けいぐ



 そしてベランダに出て、ライターで手紙の端に火をつけた。

 ぐにゃりと燃えて動く手紙を見つめ、「届きますように」と固く手を握った。

 手紙が燃え尽きると、部屋に母が入ってきた。


「ご飯って言ってるでしょ!早く来なさい!」


 修也はうんと頷いて母の背を追った。

 修也の傷に母が気づいた。

「どうしたの。誰にやられたの」

 心配する母がほんの少し、祖母と重なった。修也はわんわんと泣き出した。

 母が涙目で修也を抱きしめた。


 ベランダの手紙の灰が、風に流されていった。

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紙とペンと祖母 家宇治 克 @mamiya-Katsumi

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