傍観者になりたかった

綾僉百

幼少期〜青少年期

青年は傍観者でありたかった


どこまでもずっと続く人生という長いようで短いような時を、違う立場で見ることを望んでいた


初めは、両親の離婚だった

理由はなんなのか当時の記憶は遠い昔に消え失せていて

いつの間にか母親と兄弟はいなくなっていて、幼い青年は狭いアパートの一室で父親の帰りを待っていたような

唯一残っている最も古い記憶は


暗い部屋、小さな窓

その窓から見える、真っ赤な空

おそらくそれは、日光と大気中の何かが起こした錯覚だったのだろうけど

夕焼け空よりも青く、夜空よりも赤い不思議な色の空が恐ろしく感じたのを青年は覚えている


その次の記憶は大きな建物

俗に養護施設と呼ばれる場所で、青年は自分の手から離れていく父親の手を寂しく感じた

その時の父親は、いったいどんな顔をしていたのだろうか

父親は幼い青年を施設に入れると、振り返ることなく去って行った

施設には沢山の子供がいた

青年は人見知りで臆病な為、周りの人間全ての顔色を伺い時には媚びるように生活を送る

時たまにどうしようもない程に感情が暴走して、施設の職員達は困ったような顔していた

10数年ほどそこで過ごし、中学生になった青年はあることをするようになった


青年は自らの腕に刃物を当てた

うっすらとついた傷から出てきた赤い雫を目にしても、青年は何も感じなかった

次に、首に紐を巻いて少しぶら下がってみた

少しだけ息が苦しいけど、他には何も感じなかった


次第に他人と行動を共にすることが出来なくなった

学校に行くフリをしては、そう遠くない川岸に腰掛けてぼんやりと水の流れを見つめていた


時折面会に来る父親の目の前では「良い子」を演じてみせた

もはや青年には彼が本当の「父親」なのかさえ分からなかったのだけれど、彼に捨てられたら今度こそ本当に「独り」になってしまうから

それでも荒んだ感情は日々歪さを増していて

いつの間にか青年は、「自分」がわからなくなっていた


「自分らしく」とは何なのか

分からずに施設の職員に尋ねてみた

「それは、自分がよく分かってるはず」

職員はそう言った

青年はその意味が分からない。わからないから問うたのに、もっとわからなくなる答えが返ってきてしまった


消えたいと思うのが。死にたいと思うのが

傷つけたいと壊したいと、何もかも自分の人生も未来も全てを傍観したいと思うのが

周りの言う青年の「自分らしさ」というのなら

何故周りは「それ」を否定するのか


「自傷なんて構って欲しいだけ」

違うよ、これしか苛立ちの吐き出し場所がないんだ

他人を傷つけてはいけない

ものを壊してはいけない

ならば、この体の中で暴れ回る痛苦しい感情を。衝動を何処にぶつければいい?

他人でも無く物でも無い

「自分」にぶつけるしかないじゃないか

青年の思考を理解する人なんて、結局何処にもいなかったけれど


ある夏の日、施設の職員に言われた

「お父さんと暮らしたい?」

青年は頷いた

学校に通わず部屋に閉じこもり、本を読み漁る青年は施設の集団生活も人との会話も億劫で憂鬱で

遠くへ行くことの多い仕事をしていた父親の元なら、一人の時間が増えるからと

そんな青年の甘い考えは、見事に裏切られたのだけれど


父親と再会して共に暮らすことになったのは、遠い地方の山中にある父親の実家だった

青年が小学生の頃に亡くなった祖父の遺影に手を合わせ、青年は描いていたものと違う新生活に内心ガッカリした

新しい学校は、青年の父親と叔父の母校で

全校生徒が百人にも満たない小さな学校

青年は新参者として微妙な位置に置かれたが、特に何も感じなかった

世間体を気にする父親は青年を施設に入れていたことを誰にも教えなかったし、青年も誰かに言うつもりはなかった

学校でぼんやりしながら、青年は居たであろう母親と兄弟のことを考える

今はどこにいるのだろうか

どんな生活をしているのだろうか

どうして自分だけ、母親に置いて行かれたのか

答えの出ない疑問を繰り返し、青年は退屈な日々を送る


父親の実家での生活は、想像以上に青年の精神に苦痛を与えた

自分だけの空間を与えられず、何かと干渉してくる祖母や叔父

青年の名前を呼ぶこと無く「あれ」や「それ」、「お前」と呼び青年をこき使う父親

施設での生活が長くて、俗に家族と呼ばれるものとの距離感が掴めない青年は少しずつ精神を崩していく

何となく目に付いた刃物を、何となく自らの腕に当ててみた

血が流れ、それを青年は無表情で見下ろす

祖母が何かを言っていた気がする

父親は顔を真っ赤にして青年を蹴っ飛ばし、髪を掴んで頬を打った

青年の鼻から血が流れ床を汚す

父親は何かを言い残し家を出ていった

あの日のように、一度も振り返ることは無い

いつの間にか祖母も日課の散歩に出たようだ

帰ってくるまでに血を綺麗に拭かなければ

青年はノロノロと動き出し、自らに言い聞かせた

「まだ、大丈夫」

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傍観者になりたかった 綾僉百 @momo-ayamina

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