最終章 『最悪』の結末

7-1 ~因縁因果に決着を~

 病院では、魔物の襲撃で混乱に陥っていた。

 医師たちは入院患者の救出にあたるが、襲撃による建物の崩壊に巻き込まれて行方知らずになってしまった者もいるわ、そうでなくても街中から負傷者が運び込まれてくるわ、おまけに自分達の身も守らねばならないわで、とにかく慌しい。

 そのうち、自警団の治療と入院患者の救出とどちらを優先させるかで口論を起こす者達まで出て来て、事態は悪化する一方であった。

 

 


 学園内に至っては、既に魔物の巣窟と化していた。そんな中で果敢に戦っている生徒がいる。

 ヨハン・ローネット。

 長い黒髪を優雅に舞わせ、迫り来る魔物を次々と剣で叩きのめしていく。

 周囲が屍だらけになった所で、彼は声を荒げて叫んだ。

「隠れているのは分かっている! 出て来い!」

 辺りが慎と静まり返り、数秒の沈黙のあと、ヨハンに向かって鋭いナイフが飛んできた。

 難なくそれを弾き飛ばすと、わざとらしい拍手が響いた。

「お見事」

 拍手の主は、なんとニーデルディアだった。普通なら驚く場面だが、ヨハンは相も変わらす表情を崩さない。

「ヨハン・ローネット。デルタ校史上最強の剣士とも言われている天才児。けれど、貴方には致命的な弱点がある。そうでしょう?」

「何が言いたい」

 ここでようやくヨハンが見るからに不快そうな顔をした。それでもニーデルディアは話を続ける。

「おやおや。言われなくても分かっているでしょう。それに貴方は私の正体にも気づいているはず。現に今、私を斬り殺したい衝動に駆られている。そうでもしないと自我を保っていられないから」

 ニーデルディアの身体を中心に、禍々しい邪気が広がっていく。そこにいるだけで胸が悪くなっていくような、嫌な空気だった。

「総会長として、人間として生活していた時には邪気を抑えていたんですけどね。今やそれも不要となりました。結構疲れますよね? 魔族が人のフリをし続けるのって」

「黙れ」

 ヨハンが呻くように抗議した。邪気に当てられたせいか、額から汗が滴り落ちている。

「おや? それは心外ですね。私は貴方に同意を求めているのですよ。魔族の放つ邪気というのはね、人体には毒でね。これくらいの量をまともに浴びると呼吸困難になってもおかしくないんですよ。逆に低級魔族の場合は精神に異常をきたします。狂ってしまうか、催眠状態になるか、どちらでしょうかね?」

「黙れ!」

 全身が震えているのが自分でも分かった。

まるで、自分自身の奥底に閉じ込められている、決して暴いてはいけないものを無理矢理引きずり出されようとしている奇妙な感覚。

「お前らのような邪悪で卑劣な輩と一緒にするな」

 ヨハンの心は揺らぎに揺らいでいた。ニーデルディアの言葉に、自分を蝕む邪気に、そしてそれに動揺する自分自身に。

「さて、戯れはこれまでにしておきましょう。私はこれから人間を一掃せねばなりませんし、貴方のご学友も来たみたいですしね」

「逃げるのか!」

「はい。何だったらこっち・・・に来ます? 待遇は保障しませんが」

 いたずらっぽく笑いながらニーデルディアは姿を消した。

「ヨハン! そこにいるの?」

 入れ違いでカーラの声が聞こえてきた。

「いたいた! もう、置いていくなんてひどいじゃないか。心配したんだぞ」

 どうやらカーラは、ニーデルディアとの会話には気づいていないようだった。ヨハンは少しだけ安心した。

「今、自警団の人と会ったんだけど、状況的にあんまり良くないみたいなんだ。勿論戦ってくれるなら協力して欲しいらしいんだけど。って聞いてる?」

 ヨハンが会話にめったに相槌を打たないことは周知の事実だが、この場合は上の空で耳に入っているのかも怪しい。

(あの魔族、本当に俺を挑発するためだけに正体を現した)

 実際、ヨハンはカーラの話などまともに聞いていなかった。

「カーラ、俺はジャナルを討つ」

「えっ!」

 突然の宣言に、カーラは絶句するしかなかった。正気に戻るまで数十秒かかった。

「なんで? どうしてそんな事言うんだよ! 今は襲撃からどうにかする方が先だろ!」

「あいつが奴の狙いだ。あの魔物達は単なる陽動に過ぎない」

「だったら」

 あたいも行く、といいかけたカーラをヨハンは手で制した。

「こういう役目は一人でいい。憎き魔族の企みを止めるのはこれしか方法はない。それにジャナルの呪われた力」が完全に解き放たれれば、俺は」

 俺は、きっともう戻ってこれない。これは口に出して言わなかったが。

「ヨハン、何言ってるの?」

 カーラの目から涙が溢れる。何事にも動じないヨハンだが、さすがにこれには少し罪悪を感じた。

「これ以上お前と話すと決心が鈍る」

「っ!」

 声を上げることなくその場に倒れるカーラ。ヨハンが彼女のみぞおちに一発喰らわせたのだ。

 そのまま物陰に運び込んで周囲の安全を確認し、ヨハンはこの場を離れた。

「しかし、これほどの邪気とは」

 注意深く、黒いコートの袖を捲る。その下にある素肌を見て彼は「異常」を悟った。

「あまり時間が無いかもしれない」

 既に彼の覚悟は決まっていた。例えそれが悲しい結末に繋がる事になろうとも。




 学園が混乱に陥っている中、例の立入禁止の裏庭で、一人静かにたたずむ若い女がいた。

 学園教育総会顧問錬金術師・ルルエル・セレンティーユである。

 彼女の視線の先にあるものは、ただの草むらだ。あのチンピラ3人組が強奪したサンダーブレードのせいで少々焼け焦げた跡が残っているものの、特に珍しい風景ではない。

だが、彼女は食い入るようにその一点を見つめている。かつて、その場所にあったものを心の中で描きながら。

「あれはつい最近撤去されたようだ。もう置いても意味がないからな」

 背後でルルエルに話しかける男の声がする。だが、彼女は振り向きもせず、「そう」と返事した。

「2年も壊れたあれを放置する方がある意味凄いわ。査定からマイナスしなきゃ。で、どうしてここが分かったの?」

「たまたまここへ来たらお前がいただけだ。学校に居残ってセキュリティに引っかかって出られなくなるのを回避するためという実に安っぽい理由で無断で作られた、地下通路を使ってな」

 背後からタバコの煙の匂いがした。

「もう遠回しに言うのはやめだ。魔物を手引きしたのはお前だな?」

 男の口調が鋭くなる。

 ルルエルは答えなかった。が、男は構わず続けた。

「物的証拠はない。だが、魔物の襲撃のタイミングが絶妙すぎる。ディルフが捕まり、それをジャナルが救出に向かえば、学園や自警団の連中の意識はそっちに向くしな。そういう風に仕向けたのはニーデルディアの危険性を命がけで訴え、皆の戦意を煽った総会員・お前だ」

 沈黙。

「それにニーデルディアは狡猾で鋭い。部下である総会員一人を見逃すほど間抜けなはずがない」

「わざとそういう風に仕向けたかもよ?」

「だとするとなおさら怪しいだろ。答えろ。お前とニーデルディアはグルなんだな?」

 再び沈黙。今度は少し長かった。

「参ったわ。お手上げ。まさか君に見抜かれるとは思わなかった」

 文面上では大人しく観念しているように見えるが、口調は刺々しかった。

「だが何故だ? 何故ニーデルディアに加担する? 奴にとっては全ての人間は駒や道具だ。お前もそれは分かっているはずだろう?」

「分かってるわよ、それくらい」

「だったら何故だ!」

 用済みになれば始末される。生き延びたとしても人がルルエルを裁くだろう。それくらい誰でも簡単に予想できる。

「理解できないって顔ね。見なくても分かるわ。けどね、私は自分の選択を貫き通すし、曲げたり譲ったりもしない」

 そこまで言ってようやくルルエルは振り返って男の方を見た。その顔は泣いているようにも憎んでいるようにも見えた。

「これで私とあんたは完全に敵同士。邪魔者は消えてもらうわ、フォード・アンセム!」

「そういう所は変わってないな」

 男・フォードはタバコを携帯灰皿の中にもみ消して捨てると、かつての恋人と改めて向き合った。

 最早、話し合いの余地は無かった。ルルエルはなんとしてもフォードと戦うつもりだろうし、フォードはなんとしてもルルエルを止めたかった。

「……起動・ジャスティスト」

 フォードの手に、背丈ほどの巨大な武器が握られた。

「本当にこれを相手に戦う気か?」

 刃の部分が巨大で、槍なのか刀なのか分かりにくい具現武器トランサー・ウエポン・ジャスティストを構えながらフォードは問いかける。

「お構いなく。ディルフ君の時は余裕だったから」

 対するルルエルの武器は例のマテリアルアーツだ。今は細身の双振りの剣に姿を変えている。

 とはいえ、対格差がありすぎる。一般生徒と大差ないディルフと違い、フォードは身長が190近くあり、かなりの筋肉質である。

 おまけに彼の在学時の成績はトップクラスで、並の人間では歯が立たないと言われるくらいの腕力の持ち主だと言われていた。

 それでもルルエルに退く気が全くないのは明らかだった。

むしろ、何か勝算があるのか、体格差のハンデなど気にしていないように見える。

「負けたら恨みっこなしで勝者に従う。面倒なのは嫌だし、それでいきましょ」

「同意した!」

 先に仕掛けてきたのはフォードだった。巨大な刃を軽々と扱い、ルルエルに向かって振り下ろす。

 ルルエルは剣を構えたまま後方に避け、すかさず攻撃に転じるが、やはり力の差というハンデは大きく、あっさりと弾かれてしまう。

 こうなると必然的に彼女は防御と回避に専念せざるを得なくなってしまう。それなのに、表情は焦りや動揺といったものが一切感じられない。押されているのに極めて冷静である。

「さっすが。ディルフ君とは大違い」

 ルルエルは、双剣を盾に変形させた。体が半分隠れるくらいの大きな盾だ。

「それで防ぐ気か!」

 フォードは大きく振りかぶってからジャスティストを横に薙ぐ。盾ごとふっとばす気だ。彼の腕力を持ってすれば容易い事であった。が、

「かかった!」

 ジャスティストの刃がルルエルにもう少しで届きそうな所で、盾から無数の棘が伸び、フォードの手足を貫いた。

「ふっふっふ。引っかかった~」

 ルルエルはこのチャンスをずっと待っていたのだ。変化自在の武器・マテリアルアーツだからこそ、そして武器の特性を知り尽くしているルルエルだからこそできる戦法である。

「勝利を確信した瞬間が最も危険な瞬間。いい名言だわ」

「それはお前にそっくり返す」

「えっ!」

 手足を貫かれたのにもかかわらず、フォードはジャスティストを強引に振り回し、盾から伸びる棘を斬り落とした。続く一撃で、盾本体を吹き飛ばし、最後にルルエルの首に刃を突きつける。

「決まりだ」

 武器が手元から離れた以上、ルルエルの負けである。

「殺せば?」

 不貞腐れ気味に、ルルエルはぼやいた。

「あいにく殺人犯にはなりたくない。お前こそさっきの攻撃わざと急所を外しただろう」

「自分の手で直接汚すのが嫌いなだけ。生理的に気持ち悪いから。……あーあ、あれだけ大怪我させればすぐ大人しくなると思ったんだけどなー」

「勝手な奴」

 フォードは武器をしまいながら苦笑した。その後、少し目を閉じてから空を見上げた。

「話してくれるな、何もかも」




「29、30!」

 空から襲い掛かる魔物を魔法で片っ端からぶっ飛ばすアリーシャ。周りは魔物の死骸と血溜まりが散乱している。既にヒロインの居場所でも役割でもないような気がするが、アリーシャは一対多数という状況を見事ひっくり返した。体力と魔力の消耗も半端ではなかったが。

「割とてこずったな」

 アリーシャの横に、いつの間にか『制する魔女テンパランサー』がふわふわと宙に浮いていた。

「いきなり勝手に現れんなぁ! あんたが出てくるだけで私の魔力はどんどん減っていくんだから!」

 成り行きで魔女と契約を結んだとはいえ、魔女の召喚はものすごいエネルギーを消耗する。しかも勝手に実体化する当たり、始末が悪い。

「安心しろ。一部の魔力はこいつらの死骸から回収している。質はかなり落ちるがこの際仕方ない」

「で、何の用? 現れたからにはこの状況を打破するアイデアでもあるんだろうな?」

 アリーシャは苛立っていた。こっちは一刻も早くジャナルと合流したいというのに。

「ニーデルディアはここから西、距離約200の位置にいる」

「分かんの?」 

「今から奴を討つ」

 一瞬、何を言われたか理解できず、アリーシャの思考が止まった。

「ちょ、ちょっと待った! 今はジャナルの方が先でしょ! それに相手は魔物を統率できるほどの力の持ち主だし、私一人ではかなり分が悪いって!」

「30もの魔物を斃してピンピンしているような人間のセリフにしては弱気だな。いいか、よく聞け。奴の目的は「アドヴァンスロードを手にすること」だ。そして私の目的は「アドヴァンスロードを永遠に眠らせること」だ。ここまでは分かるな?」

「だったら尚更ジャナルの方が先でしょーが!」

「馬鹿者。邪魔者を始末する方が先だ。どの道奴を倒さねば解決にもならんからな。幸い奴は「アドヴァンスロード」の対となる私の存在には気づいていない。実行するなら今しかない」

 魔女の言うことは危険性という点を除けばきわめて正論。そして迷っている時間もない。

 結局、魔女の意見が当然のように通り、アリーシャはニーデルディアのいる学園の西に向かった。

 実際、ニーデルディアの居場所は魔女の言ったとおり学園の西側に位置する魔術科の校舎2階のベランダにいた。

 まさか自分の使っている校舎にいるとは。あの部屋は確か3年生の教室だが、中にいる生徒は無事逃げ出せたのだろうか。アリーシャは物陰から様子を伺っていた。

 当然討つとなると奇襲だ。それも相手が戦闘態勢に入る前に倒す必要がある。

 いや、倒すなんて生易しいものではなく、暗殺する気でないとまず成功しない。

 当たり前といえば当たり前だが、殺人は正当防衛や相手が重犯罪者であること以外は犯罪である。尤もこの場合、ニーデルディアは重犯罪者もいい所で、彼を討つ事は正当防衛なのだから誰もそれを責めたりはしないだろうが、いざ暗殺となると、正常な精神を保つこと事態相当困難な事である。

 勿論アリーシャに殺人の経験など、ない(半殺しなら山ほどある。主にジャナルに対して)。

 今、一人の少女が平和のために、その禁忌を犯そうとしている。普通の人間なら躊躇する、しかし躊躇を許されない禁忌を。

(絶対仕留めてやる。ぶちのめして粉々にして、死体が残らないくらいに。となると破壊力抜群のアレで……いや、殺傷力のある魔法の方がいいかも。それも、血の雨が降るくらいの凄いやつを。)

 もとい、躊躇など全くしていなかった。アリーシャは勢いよく飛び出し、杖を振り上げる。

「行け! 火精霊(サラマンデル)!」

 杖の先から巨大な火の玉が生まれ、ニーデルディアに向かってまっすぐ飛んでゆく。次の瞬間、ベランダが耳を割くような音と共に爆破された。

「ふむ」

 ニーデルディアは宙に跳んで攻撃を回避していた。爆風を利用して空中で体勢を整える。

「こんな小手先の召喚術で倒せると思っ……なんだと?」

 そのままテレポートで逃れようとするが、何故か上手く発動しない。

「お前の魔力は『鎮圧』させた」

 空中に、鋭い眼光でニーデルディアを見据える、制する魔女の姿が見えた。

「貴様は!」

 ニーデルディアの言葉が途切れた。魔女の姿に気をとられた僅かな隙に、真横から大きな影が迫っている。

 反射的にそちらを見ると、金色の竜が大口を開けているのが見えた。

「魔女も火精霊(サラマンデル)も囮! 討て、皇龍(こうりゅう)!」

 アリーシャの叫びと共に、眩いほどの怪光線が竜の口から発射され、ニーデルディアの身体を真っ二つに貫き、上半身と下半身に分かれた身体はそのまま地面に落下した。

「やった! ……うっ……」

 疲労で一瞬意識が途切れ、その拍子に皇龍(こうりゅう)と魔女の姿が消える。魔力はとっくに限界を超えていた。

 地面にへたり込み、荒れる呼吸を整えるアリーシャだが、すぐに立ち上がり、神経を研ぎ澄ませた。

 殺気に近い気配を感じる。

(まさか!)

 そんなはずはない。最強の召喚術により胴体を真っ二つにしたのだ。生きているはずが無い。だが、ふと地面を目にやると、そこにあるはずのニーデルディアの死体が忽然と消えていた。

「後ろですよ」

 振り返ったとたん、見なければ良かったという無駄に近い後悔をした。

「まさか学生召喚師が魔界の二大秘術師とも言われる制する魔女テンパランサーと手を組んでいたとはね。しかし魔族が人間の味方をするとは。そもそも彼女はとうの昔に死んだはずなのに」

 アリーシャは凝視したまま動けなかった。

「ああ、この身体ですか? 刺激が強いのは大目に見てやってください。それとも血や贓物の方がお好みですか?」

 そういう問題ではない。ニーデルディアの首から上、手首足首から先の部分は確かに人間のものと違わないが、それ以外の部分、即ち胴体にあたる部分は濃度の高い邪気を含んだ黒い霧。覆われているのではなく、霧そのものがニーデルディアの身体なのだ。

「あ、あんたは一体!」

「人間の小娘にしてはやりますね。さて、どうしましょうか」

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