6-1 ~気が付けば逃亡者~

 少年は深い深い闇の中にいた。

 まるで心の奥底を象徴するような暗い闇。

 少年が一歩一歩気を配りながら歩いていると、頭の中に声が響いた。

 一つは女の悲鳴。そしてもう一つは獣のような咆哮。

 そして、肉をえぐる音。沸きあがる血の匂い。狂気へと変化する悲鳴。それらが流れ込むかのように頭の中に入ってくる。

(やめろ)

 耳をふさいでもそれを振り払う事はできなかった。

 少年は逃げ出そうとして、ブーツに何かがぶつかったのに気がつき、足元を見た。

(!)

 それは人間の死体だった。しかも一体だけではない。いつの間にか十数体の死体が少年を中心に転がっているのだ。

(イオ! それにカーラ!)

 死体は、全て少年のクラスメイト。知っている顔であった。

(一体誰がこんな事を)

「俺とお前だよ。」

 先ほどの悲鳴とは違う声。

「お前の中に流れる血が、皆を殺すんだ」

「誰だ!」

 足元からうっすらとその姿が浮かび上がる。

「お前は!」

 それは、少年もよく知っている人物であった。そういえば床に転がっている死体の中で、彼の物だけがない。

「安心しろ。お前もすぐに逝かせてやるよ、わが同胞」

 目の前にいる彼は、禍々しく、そして冷ややかな笑みを浮かべながら少年に向かって剣を振り下ろした。

「!」


 少年は勢いよく跳ね起きた。体中ひどい汗で、服や髪が肌に張り付いた気持ち悪い感覚があったが、気にしていられなかった。

(夢……?)

 荒れる呼吸をどうにか落ち着かせようとしながら、少年は今の状況を認識していた。まだ夜明け前の薄暗い室内に、見慣れた家具のシルエットが見える。ここは確かに自分の部屋だ。

 そうと分かっていても、彼はまだ落ち着くことが出来なかった。

 夢とは思えなかったどす黒い、血と死体の世界。全てが生々しく、絡み付くように彼の心を支配していく。

(俺は、俺は!)

 次第に激しくなっていく動悸に、少年は胸をかきむしった。爪が痛み、血を流すほどかきむしっても、それは収まりそうになかった。




 ジャナル・キャレスが喫茶カルネージに軟禁されてから1週間がたつ。

 否、軟禁と言うのは果てしなく大間違いである。正確には、行く当ても逃げ場もないジャナルが勝手に転がり込んできたものだから厳密に言うと居候に近い。

 だが、じっとしていられないジャナルにとって、この生活は退屈極まりなかった。

何せ、与えられた部屋は簡素なベッドと机が置いてあるだけで、窓もシャッターが下りたまま、開ける事は許されなかった。部屋に出ることが許されるのも風呂とトイレの時のみ。気が狂いそうな程退屈な時間がただただ過ぎていくのみだった。

「暇そうだな」

 何もない空間から女の声が響いた。ジャナルはそれに驚くこともなく、「実際暇なんだよ」と答える。

「で、隠れてないで出て来いよ。今どうせ誰もいないんだし」

 不機嫌そうにジャナルが言うと、何もないはずの空間から凶器にもなりうる鋭い爪が現れ、続いてすらりとした細い腕が現れる。そして、妖艶だが異様に青白い肌の美女が姿を見せ、最後にトカゲのような尻尾が床に着いた。

 見た目どおり、この女は人間ではない。

 自称『制する魔女テンパランサー』という、魔族の女だった。

「相変わらす覗き見かよ。魔族ってのはシュミ悪いな」

「監視、と言ってほしいな。そもそも私の目的はお前ではなく『アドヴァンスロード』の方だ」

「俺にとっちゃ同じだよ」

 ジャナルはベッドの上に胡坐をかいたまま、ふてくされた。

「ったく、あの時だってずっと俺を監視してただろ? おかげでイオは死ななくて済んだけどさ」

「あの時? ああ、お前の前に姿を現したときのことか」

 あの時。友人のイオがウイルスに侵され、瀕死の状態にさらされた時のことである。打つ手なしと絶望しかけたところで魔女は現れ、力を貸してくれたおかげで最悪の事態を避けられた。

「今思えばタイミングが良すぎだっての。それに何の説明もしていないのに状況分かってたから変だと思ったんだよ」

「お前、あながち馬鹿ではないな。」

「ほっとけ!」

 ジャナルはベッドの上に寝そべり、子供のように足をバタバタさせた。

「あー! ストレス全開! なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだよ!」




 いきなり展開がすっ飛んだので、順を追って説明しなければならない。

ことの始まりは、ジャナルが軟禁される3日前。つまり今から約10日前。

 カニスの件ですっかり打ちのめされた学園に、さらに追い討ちをかける知らせが届いた。

 ジャナル達、剣術コース8年生の担任・トム・テリートスの死である。

 トムは教師としても戦士としても優秀で、生徒だけでなく教師からの信頼も厚かった。学園中の人間、特に教え子たちは、その事実をすぐに受け入れられなかった。否、未だ受け入れられない者がほとんどであろう。

 グラウンドで行なわれた追悼式では、多くの者が悲しみ、涙した。遺骨は近日中に遺族の元へ届けられ、学園の敷地に彼の慰霊碑が建てられるそうだが、遺された者たちの傷が癒えるのはいつの事になるのか。それは誰にも分からない。

 そして、そんな悲しみの中で沸いて出たのは、なぜトムは死んだのかという疑問である。

 戦術学園の教師はその肩書きが示すとおり、戦いにおいてはプロフェッショナルであり、その実力は帝国の兵隊を遥かに凌ぐ。いわゆるエリート中のエリートである。

 そんな人間をどうやって、しかも裏通りとはいえ、帝都という大都会の中で誰にも騒がれずに殺すとなると、到底無理な話である。

またもや緊急の職員会議は開かれ、この日の授業は1時間で終った。

「だから私の言った通りでしょう! 早めに手を打っていればこんな事にはならなかったはずです!」

 声を荒げて発言するのは、槍術コース8年生担任のメテオスであった。

 彼は、早い段階からジャナルの持つ『アドヴァンスロード』の危険性を訴え、力ごとジャナルを抹殺すべきだと主張していた人物だ。

「彼は総会長を探りに行って帰ってこなかった。誰がどう見たって総会長に抹殺されたのは明白でしょう!」

 興奮のあまりメテオスは机をバン! と叩く。誰も反論できる者はいなかった。

「私はごめんです。何を考えているのか分からない総会長の企みに巻き込まれるのも、奴のように犬死するのも。このまま放って置いたら大惨事にだってなりかねない」

 メテオスは、カニスの件を『アドヴァンスロード』の暴走が原因で引き起こした惨事と処理していた。実際は『アドヴァンスロード』はほぼ無関係で、全ての原因はメテオス達がジャナル抹殺に使おうとした『死神の誘惑』(しかも偽物)である。

不幸にも事件に巻き込まれたカニスが、今現在登校できない状態である事をいい事に、都合よく事件の要因を捏造したのだ。誰もそれを疑わない事が、もっと恐ろしい。

「しかし、だからと言って我々の手で生徒を抹殺すると言うのは」

「ためらったせいで被害が拡大しても同じことが言えますか? 自分の手を汚す事を恐れている場合ではないでしょう? それに」

 メテオスが続けようとしたとたん、会議室の扉が勢いよく開いた。

「誰だ! あっ!」

 そこにいたのは二十歳前後の若い女だった。だが問題はそこではない。教師一同は彼女の着ている学園教育総会の制服を見て凍りついた。

 何故、ここに総会の人間がここにいるのか。いや、それよりも今の会話の内容を聞かれていたらそれこそ只事ではなくなる。

「良かった、皆さんここにいて。丁度先生方皆に聞いてほしいことがあるし。あ、お茶出しは結構です。私、帝都産の紅茶しか口に合わないんで」

 不安と緊張で一気に張り詰めていく中、女はそれを全く気にする事なく無遠慮に室内に入ってきた。

「な、何ですか、あなたは?」

 教師の一人が恐る恐る女に声をかけた。

「ルルエル・セレンティーユ。見ての通り教育総会の人間で、もっと詳しく言うと、役職は顧問錬金術師。仕事内容は、ってそんなことどうでもいいっつーの」

 1人ノリツッコミを披露するものの、教師たちはそれを寒いと感じる余裕すらなかった。

「……コホン。で、私がここにきた理由は、あなた方に警告しに来たからです」

 先手を打たれた。全員の表情が強張った。警告の内容はおそらく、自分たちがついさっきまで話していた『アドヴァンスロード』の事に違いない。そして要求してくる物も、きっとそれだ。更に逆らえば命の保障もないというような脅迫もあるのだろう。

 が、その予想は大きく外れた。

「ニーデルディア総会長の手に渡る前に『アドヴァンスロード』にとり憑かれた者を始末するんです」

 室内がどよめいた。

「はいはい、皆さんお静かに」

 女は手をパンパン叩いて周囲を黙らせた。

「ど、どういうことだ?」

「言葉通りになります。かろうじて生き延びた同僚の情報によると、総会長の目的は『アドヴァンスロード』を手にして国家を転覆させることです。だから必ずニーデルディアはここへ攻めて来るはず。『アドヴァンスロード』に取り付かれた不幸な男子生徒を捕獲しに。そうなる前にその生徒を始末する。シンプルイズベストでしょう?」

 再び、室内が騒がしくなったが、ルルエルは構わず続けた。

「現実、帝都にある本部では大変な事になっています。もう学園教育総会に囚われている必要はありません。総会長に意見した者は皆始末されてしまいましたから。……と言うわけで、ぐずぐずしてはいられません! 相手は戦士科の教師を余裕で殺せるほどの力の持ち主ですよ。おまけに恐ろしいほどに頭の回転も速い。ここにいる全員が結託した所で太刀打ちできるかどうか。これ以上犠牲者が出ないよう、校長先生、ご決断を」

 一気に畳みかけるようにしゃべるルルエルを前に校長は押し黙った。事態は思っている以上に深刻化していた。

 やはりメテオスの言う通り、自分は甘かったのかもしれない。だが、躊躇している暇はない。

「分かった。自警団にも協力してもらい、まずは彼の身柄を確保する」




「いきなりだもんな。寮に自警団の連中がやってきて逮捕状見せられるし。カニスの件の重要参考人とか言っておきながら殺気がビンビンしてたしなあ」

 『アドヴァンスロード』に関係なく、ジャナルは元々危険察知の能力に関してはかなり優秀であった。伊達に2級とはいえ魔獣ハンターのライセンス所持者ではないのである。

 嫌な予感がしたジャナルは自警団に詰め寄られたその時、隙を突いて逃げ出したのだが、相手もかなりしつこく追いかけてくる。あっという間に街中に「凶悪犯が逃げた!」と言わんばかりの騒動にまで発展した。

 その間にも指名手配書がばら撒かれ、いきなり死角から矢だの暗器だの飛んで来たりと、手口もどんどんエスカレートして行き、これでは逮捕と言うよりほとんど賞金首だ。このままだと寮にも帰ることも出来ないし、かといっていつまでも街中を逃げ回るのも限界がある。

 いっそ街の外に逃げようとも考えたが、出入り口は既に厳重な警備で固められていて、すぐに無理だと判断した。強行突破を試みた所で何のメリットもない。

 2日目になると、何故か自警団だけでなく、学園の生徒にまで狙われた。相手は全く面識のない下級生だ。イオのように脅されているわけでも、カニスのように操られているわけでもない。ジャナルはますます不可解な気分にさらされた。

 街中を逃げ回り、家がないわけではないのに野宿する羽目にもなってしまい、彼は精神的に滅入っていた。かといって捕まるわけにも行かない。

 唯一の幸運は、自警団たちが本気を出していない事であった。その気になれば召喚精霊・千里眼ヨーイツを駆使してジャナルの居場所や逃走ルートを看破できるに違いない。

 ただ、千里眼ヨーイツは扱いが大変難しい高等な魔法で、熟練した召喚術士でもものすごい体力と魔力に負担がかかる。むやみやたらに使える手段ではない。彼らはそう判断したのだろう。

 どうにかこの状況を打破したい、せめて寝食だけはきちんと確保したい。そのためには信頼できる協力者がいる。

 で、行き着いた結論が、誰かにかくまってもらうと言う、少し情けない策であった。

 その上で、誰にかくまってもらうのが一番いいかと考えた結果、フォードのいる喫茶店である。あの家は割と広いし、何よりも食べ物に困らない。万一フォードが渋っても、リフィは絶対に自分の味方をしてくれると確信していた。

 追っ手の目を盗み、どうにか店の裏口へ転がり込んできたジャナルを見て、フォードは唖然としていたが、結局ジャナルの思惑通り、リフィの強い要望によってかくまわれる事に成功した。ただし余計な行動を起こさないよう部屋に軟禁という形で。ここまでが今までの経緯である。




「まあ安心しろ。私の『力』でお前の周囲の魔力は鎮圧させている。千里眼ヨーイツも全てシャットアウトだ」

 魔女の身体は重力を遮断し、ふよふよと漂うように宙に浮いている。『アドヴァンスロード』とは正反対に、万物に働く『力』を減少させる、これが彼女の持つ『力』であった。

「はあ。いつまでこんな生活が続くんだよ。さすがに退屈になってきた」

 ジャナルが不満に感じているのは退屈だけではない。何らかの意図によって狙われている危機と、それを打破できない状況にイラついていた。それらをどうにかしない限り、問題は解決しないのだ。

「あー! 帰りたい! 学校行きたい! 普通の生活送りたい!」

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