絡まる因果と崩れる絆
6-0 ~4年前 コンティース南の森大攻勢作戦 ~
「すまない。完全にこちらの落ち度だ」
拠点の医務室。ジャナル、イオ、カーラを前に担任教師であるトムが頭を下げた。
3人とも泥と傷だらけで、表情も青ざめていたり放心状態になっていたりと、空気が見るからに痛くて重い。
「……死ぬかと思った……」
ようやくジャナルが気の抜けた一言を呟いた。
「だな……生きて帰れただけでもラッキーだったな……」
イオもそれに同調する。
「あたいらはこの程度の傷で済んだけど、ヨハンは……」
自分の腕に巻かれた包帯に触れながらカーラがうつむく。
そして、流れる沈黙。
事の顛末は、街の南の森が複数の魔族に支配され、その土地を取り戻すべく自警団を中心とした討伐隊が結成されたことから始まる。
その討伐隊には一部の帝都軍人、傭兵、冒険者、そして自由志願という形で戦術学園の生徒も参加していた。
当然ながら戦闘の経験の浅い学園の生徒達に実行部隊へ編成されることはなく、彼らの役割は森の外での哨戒任務だった。魔族達は森の奥にある遺跡で籠城しているし、森の中は魔族の放った魔物達が防衛ラインを引いている。討伐隊が討ちもらした魔物が森の外へ出た場合の対処という、いわゆる「もしもの時の保険」くらいの配置なので、任務としては比較的安全、しかも魔族の本陣からかなり離れた距離の位置だったので、戦闘になる可能性自体ほぼゼロに近いとも言われていた。
集められた学生は数人のグループに分けられ、下の学年から街に近いルートを哨戒することになった。ジャナル達は当時4年生。魔族どころか魔物にも遭遇することもないルートをただ注意深く歩く、それだけの任務だった。そのはずだった。
だから想像もしていなかった。魔族の一体に「そこ」を狙われたことを。
「俺は逃げろって叫んだけど、ジャナルがテンパって魔族に斬りかかって、そこへ便乗してカーラも突撃するわで、完全に統率が取れなくなって俺、どうしたらいいかわかんなくなった」
「でも、イオは逃げなかった」
「お前らが勝手に動くから、逃げるにも逃げられなかったんだよ!」
そこから3人の記憶は曖昧で、というよりも慣れない強敵との実戦で、完全に頭から冷静さが消失してしまい、作戦も連携もあったものじゃない。あっという間に返り討ちになった。
そのまま止めを刺されそうになったその瞬間、傷だらけのジャナル達は見た。
少年とは思えないほどの鬼気迫った表情のヨハンが、ものすごいスピードで魔族の背後から剣の一撃を振るうところを。
そしてその一撃だけで、魔族を討ち取ったところを。
「マジで目を疑ったけど、あれ、ヨハンが倒したんだよな……」
「あんな状況でも確実に急所をしとめるチャンスを狙ってたんだって思うと、あいつどんだけ化け物なんだよ……」
「イオ! 命の恩人に化け物はないだろ。ヨハンいなかったら、あたいら死んでたんだから」
カーラがイオをキッと睨みつける。
「あー、はいはい、俺が悪うございました、と。まあ本当に化け物だったら今頃ぶっ倒れてはないだろうな」
「本当に悪いと思ってないだろ!」
医務室にあった枕がイオの方に投げつけられる。イオはそれをカーラに投げ返そうとしたが、それはトムによって止められた。
「まあ、それだけ元気があれば大丈夫だろ。それからヨハンの事だが、先ほど家の人とかかりつけの医師から連絡が来た。命に別状はないんだと」
「かかりつけ? ヨハンって専属ドクターでもいるのかよ! なんかすげえ」
「……いや、ジャナル、かかりつけはそういう意味じゃないぞ」
トムが苦笑する。
「でも、あの時のヨハン、すごく苦しそうだった。あたいら、あんなヨハン見るの初めてだったんだ……」
話を元に戻すと、ヨハンが魔族を一撃で撃破した直後、どうにか去った危機に安堵する3人だったが、次の瞬間苦しみながらその場にうずくまるヨハンが目に入った。
あまりにも苦しそうなヨハンの姿に、ジャナル達の頭からは魔族に襲われて死にかけたことも、ヨハンが決めた最後の一撃もきれいにどっか行ってしまった。呼びかけてみるものの、ヨハンは何かに耐えるかのように必死で首を横に振っている。呼吸も乱れ、額から脂汗がじわじわとにじんだ。
仲間の魔族が斃されたとなると、ここに留まるのもまずい。この場を離れようとヨハンをどうにか起こし、ジャナルとイオでヨハンの両脇を抱えながら自分たちの拠点を目指した。歩くたびに身体に激痛が走ったが、そんなこと言っていられなかった。
「そのあとすぐに巡回中のトム先生と合流できたのはラッキーだったとしか」
「……まあ、そこでもしお前らの後をつけてきた魔物がいて拠点の位置を把握して敵側に情報が流れたらどうするんだ、という点を見落としたことに関しては反省すべきことだが、まだその辺は授業でも教えてなかったからな。幸い、あの魔族の単独行動で助かったが」
傷だらけの生徒たちを見たトム先生はすぐに応急処置にとりかかった。何せ想定外の状況である。傷の多いジャナル、カーラ、イオの順に処置を施している間に、ヨハンは意識を失っていた。
一見症状が悪化したのかに見えたが、ヨハンの手には錠剤の入った小さな小瓶が握られていた。トムが注意深くそれを観察すると、それは一錠だけで発揮する超即効性の睡眠薬だった。
状況的にそれはヨハンの持ち物で、他の者が応急処置をしている隙を見て本人が飲んだと判断できたのだが、彼がなぜこのタイミングで自らを強制的に眠りに追い込んだのかが不可解である。
「一番考えられるのは、苦しみから解放されるために無理矢理意識を手放したという線だが、明らかにそこまでやるか? ってなる。医師もそんな無茶は推奨しないだろ」
「だよな、普通は症状に合わせた薬でしょうし」
トムの言葉にイオが同調する。
「だから、俺は医師にきいたんだ。ヨハンは普段からあんな強力な睡眠薬を持ち歩いているのか、と」
「そしたら?」
ジャナルはゴクリと唾を飲み込んだ。
「あいつ、魔族アレルギーだったんだよ。本人は学校側に報告してなかったようだが」
魔族アレルギー。
魔族は、「邪気」という特有の生体エネルギーを纏っており、人体には有害なものであるため長時間浴びると体調不良をきたす事がある。そのあたりは個人差があるのだが、人によっては少量で命に関わるレベルの重体になるパターンもある。
「それと睡眠薬とどう関係が?」
「極めて稀なケースなんだが、アレルギーの薬がヨハンの体質に合わなかったんだと。だから治療はほとんど経過観察で薬の処方はほとんどしてないらしく、睡眠薬は微弱な邪気でも眠れなくなる時のために用意したものだと。だからと言ってさっきのような状況で使う物ではないんだが」
「そんな……」
3人は押し黙った。
急襲してきた魔族を撃退した一番の功労者が実は魔族アレルギーだったという事実。
相当な無茶をさせてしまった、という後悔がぐるぐると回る。
だから、もう同じ過ちは犯さない。今すぐには無理でも、ちゃんと強敵と戦えるように強くなろう。
自分の身を守るためにも、余計な犠牲を出さないためにも、的確な行動を冷静にとれるようにするためにも。
……そう心に誓った3人だったのだが。
「え、ちょっ、ヨハン!? なんで居るんだよ?」
「来たから居るが?」
翌朝。あれだけ容体を心配されていたヨハンは、いつも通りでまるで昨日のことなど何事もなかったかのように登校してきた。
「というか、身体大丈夫なのかよ!?」
「そうだよ! あたいらどれだけ心配したか!」
教室に来るなりジャナル達に囲まれるヨハンだが、訳が分からず首をかしげた。本人は心配されていたということすら全く想像もしていないようだ。
「一晩寝たら治ったが?」
「回復早すぎるわ! 魔族アレルギーって聞いた時はびっくりしたのに!」
「魔族アレルギー?」
再び首をかしげるヨハン。その反応を見て、ジャナル達はさすがに様子がおかしいと感じ始めた。
「……お前、昨日の事は覚えているよな?」
イオが恐る恐る質問する。
「魔族を討ち取ったことの話か? ちゃんと覚えているが」
「その後の事は?」
「倒れたことは覚えている。さすがにそこら辺は曖昧な記憶になっているが」
「……お前、あれだけ苦しんでたのになんでそこまで淡々としてるんだよ」
「俺がどういったところで事実は変わらない。それよりさっきのは何なんだ、魔族アレルギーって」
「お前の事だろ!」
「俺が?」
ヒヤリとした沈黙が走る。どういうわけか話が噛み合わない。
「……なるほど、
やがて、ヨハンが何かに納得したかのようにぼそりと呟いた。
「なら、俺は魔族アレルギーでいい」
「いやいやいや、ちょっと待て! 突然付けられた設定みたく言うな!」
これ以上このまま会話を続けたところで余計話がややこしくなると判断したジャナル達は、いったん話を切り上げ、大事な事柄はまとまった時間の取れる休み時間に聞くことにした。
昼休みの校舎裏(とりあえず人が居なさそうな場所を選んだ)。
「まず、確認しておくが、お前はなんであの時苦しんだんだ?」
イオが質問した。他の2人に質疑応答をさせるとかえってややこしくなりそう、という彼の判断だった。
「体調不良になったからだ」
「……言い方が悪かった。お前が苦しんだ原因を、お前自身は把握してるのか?」
ヨハンは数秒だけ考えて、「ああ」と答えた。
「それ、魔族アレルギーではないんだな?」
ジャナルが横から質問する。
「一応その解釈でも間違いではない。魔族を見るとひどく気分が悪くなる点では同じだからな」
「うーん、答えになってるような、なっていないような」
医師は、ヨハンは魔族アレルギーだと言った。だが、本人はその病名に覚えがあまりない。
となると医師がトムに嘘をついているか、ヨハン本人に病状を伏せられているかのいずれかになるのだが、嘘をつく理由が思い当たらないし、もし魔族アレルギーが本当であっても患者であるヨハンを差し置いて、いくら担任教師とは言え家族でもない相手に病名を告げる理由も分からない。あと、一応トムが嘘をついていた、という線もなくはないが、あの担任は嘘をつくのはあまり得意ではないし、人の嘘にもあっさり騙される性格なので、この仮説はあっさりと消えた。
「……つまり、お前らは俺が体調不良を起こした本当の理由を知りたいんだな?」
「それは呼び出された時点で気づいてくれ」
イオが頭を抱える。
「あ、あのさヨハン、デリケートな話題だし言いたくなかったら言いたくないでもいいんだよ? ただ、あたいらはヨハンの事を頼りにしてるし、ヨハンももうちょっとあたいらを頼って、困ったことがあったらもっと助け合うべきだとは思うんだ」
微妙な空気を打破すべく、カーラが口を開いた。
本人はヨハンの意思を尊重するスタイルを通したいのだろう。本当にこちらを信頼しているし、信頼されたいと願っている。
さすがにヨハンもそこは察したようで、少しだけ目を閉じて考えた。
「……少しだけ長くなるが、いいか?」
「え? 本当に?」
「ああ」
そしてヨハンは10秒ほど黙り込んだ後、
「心的外傷」
と、一言だけ呟いた。
心的外傷。もっと一般的に聞きなれた言葉でいうならばトラウマ。
もちろん言葉の意味は分かる。ジャナルですら分かる。
単語だけ見ると、うかつに他人が触れていい事柄ではないことも、3人は理解できる。だが、そんなことよりも言いたくなるツッコミがあった。
「どこが長いんだよ! 説明より沈黙の方が明らかに長いだろ!」
「だから少しだけ長くなる、と言っただろう。正直、俺は喋るのが苦手だ」
「そういう意味で言ったのかよ!」
以下、ヨハンが黙っているシーンは尺がもったいないのでそこだけカットすると、
「俺には両親がいない。俺は母方の祖父母の手によって育てられた。親は、俺が生まれて間もないころに魔族に殺された。俺の目の前で」
「……なんだ、ちゃんと説明できるじゃないか」
実際は連想ゲーム並みに単語をつらつらと並べたような説明で、どうにか繋ぎ合わせてようやく正解ができたというレベルのものだった。
「医師は最初アレルギーを疑ったのだが、一般的な症状とは微妙にずれているようで、何度も薬や検査を試した結果、ある日、心的な要因もあるんじゃないかという話も浮上して、そこで俺はそうなんじゃないか、と確信した。目の前で両親が殺されたという心的外傷が本当の原因だと」
「なるほど」
まだ憶測の域に入っているような気もしないでもないが、一応筋は通る。
ただ心的外傷が原因となると、アレルギーのような薬が存在しないため、これといった効果的な治療法も症状を抑える方法も確立されていない。
それを思うと……と考えて、カーラの表情が暗くなる。
「心配するな、カーラ」
「え?」
驚いて顔を上げると、ヨハンの強いまなざしが飛び込んできた。
「魔族を根絶やしにすれば、俺は苦しまなくても済む。両親の無念も晴らせるし、一石二鳥だ」
「ものすごい極端だな!」
イオのツッコミが飛んだ。
「魔族は人類の敵。根絶やしにしたところで誰も困らない」
「いや、それはそうだけどさ……」
「だから俺は強くなる。全ての魔族をこの地から消すために」
ヨハンの声には力強い意志がこもっていた。きっとそれはどうあっても揺るがないだろう。
「……そうだな」
ジャナルが感化されたようにつぶやいた。
「よし、俺ももっと強くなる! 今だってヨハンに全然勝ててないんだし、俺も将来は冒険者になるんだ。そしたら魔族とどっかで遭遇して戦うことだってあるかもしれないしな」
「いやジャナル、お前ちょっと影響されすぎだろ。何こっぱずかしい事言い出してるんだ」
「意思表明のどこが恥ずかしいんだよ。せっかくヨハンもやる気だしてるんだからさ」
こういう空気が苦手なイオに対して、カーラが真っ向からたしなめる。
「あたいはいいと思うよ。このメンバーだったら何でもできそうな気がするし、頑張れる気がする」
「はあ……もう俺もそれでいいや……」
「ほらイオ、もっとしゃきっとする!」
「カーラの言うとおりだぞ、お前もなんか一言表明しろっての」
「いーやーだー」
とたんに騒ぎ声であふれる校舎裏。元々の言い出しっぺのはずのヨハンが3人のやり取りを無言で眺めている中、予鈴が鳴った。
「あ、そろそろ行かないとな。次、体育館だっけ?」
「グラウンドだよ! 遅れるとトム先生から怒られるからさっさと行くよ」
慌てて次の授業に向かおうとする一行。
「……ヨハン? どうした?」
ヨハンが不意に立ち止まった。
「さっきの事で言うべきことがあった」
「は?」
まさか、ここへきてさらに重大な事が出てくるのだろうか。3人は身構えた。
ヨハンはそんな3人の顔をじっと見つめると、
「結果的にややこしい嘘をついてすまなかった」
「それ、今言うことか!?」
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