5-4 ~灰色月曜日~
月曜日。仕事にせよ学校にせよ週の始まりの曜日。さあ今週も張り切っていこう、という者と、ああ今週も始まったかと憂鬱になる者と真っ二つに感想が分かれる日でもある。
カニス・アルフォートは大きなリュックを背負い、下を向きながら通学路を歩いていた。表情は、暗い。
事の発端はかかりつけの病院で、担当医に病状を宣告された事であった。最近行なった精密検査の結果について、緊急で病院から呼び出しを喰らったのである。
「凍止症候群?」
「体の機能が凍り付くように止まってしまう病気です。現在の医学では治癒法も見つかっていなければ早期発見の手立てもない。定期的に治癒術と薬を投与しても持って数年、です」
「そんなっ……! どうして、どうして僕が……!」
耳を疑った。嘘だと信じたかった。だが、事実だった。
自身の余命を宣告されてから、カニスの世界はすっかり色褪せてしまった。これまで言われるままに真面目に受けていた治療も意味がないと知ると、どうでも良くなってきた。だから翌日、それでも治療を続けようと諭す医師と口論になってしまった。
(でもやっぱり反抗するのは良くなかったかな。ジャナル君にも聞かれちゃったし)
などと考えながら教室の戸を開けると、いきなり複数の影に囲まれた。
「随分と余裕のある登校だな。カニス?」
「!」
見上げたとたん、カニスの目に飛び込んできたのは、先日停学になったチンピラ学生3人組。
「ひさしぶりだなあ。長い長い停学期間だったぜ。その間お前に会いたくてしょうがなかったぜ」
「そーそー。お前のせいで一週間も停学になったんだぜ、俺ら。どう落とし前つけてくれるんだ?」
「やっぱ当然慰謝料だよな。い・しゃ・りょー。さーてと、ちょっと向こう行こうな」
本能的にカニスは立ちすくんだ。嫌だと言いたいのに声が出ない。頭の中が真っ白になってパニックを引き起こしているうちに、カニスは強引に腕を引っ張られ、3人組に連れて行かれた。
そして、気がついたときには散々殴られ、床の上に倒れていた。うっすらと目を開けると、空っぽになった財布がそばに落ちているのが見えた。
無情にも始業のチャイムが鳴り響く中、カニスはよろよろと立ち上がった。
別に涙は出なかった。ほんの一週間だけ平和だっただけの話で、こういった事には慣れている。いつもの事だった。
そのままフラフラと歩きながら、教室への道を引き返す。教室の前に来た時にはHRは始まっていた。
「おや? カニス・アルフォートは欠席ですか」
担任のジピッタの声だ。
「センセ、あいつの出席なんて取るだけ無駄っしょ? いてもいなくても変わんねーし」
「そーそー。いるだけ無駄ァ?」
チンピラ学生の声が廊下まで聞こえてきて、カニスは入室をためらった。
「こら、君たち。君たちがそうやって問題を起こすからこっちまで迷惑がかかるんだよ」
「だったらさあ、あいつ消しちまった方が早くねー? あの時俺らやセンセが処分喰らったのって全部あいつのせいじゃん」
あの時……課題で制作した雷の力を宿した剣・サンダーブレードが3人組に奪われて、それをジャナルとアリーシャが取り返しに行った事件の話だ。
剣を取られた時はもうどうしようもないと思っていた。だから、ジャナルとアリーシャがそれを取り返してくれたと聞いた時には、驚いたものの、嬉しかった。今の今まで自分の事を気に掛けてくれたり、自分のために何かしてくれたことなど、カニスの学園生活の中には存在していなかったからだ。
「卑怯だよな。自分じゃ何もせず、戦える奴けしかけて、そんで後になってしゃしゃり出て総会にチクってさ。あいつ、自分ひとりじゃ何も出来ねーし」
カニスは胸に何かちくりと刺さる物を感じた。
確かに3人組に剣を奪われた時、自分は何も出来なかった。後で聞けば自分が作ったサンダーブレードの雷によって、裏庭は黒焦げになったそうだし、ジャナルやアリーシャも傷を負ったと聞かされた。さらにジャナルは結果的に追試を蹴ったので、それに対しての処分を受けた事も後になってから知った。
「ほらほら、静かになさい。いない人間の事などほうっておけば良いだろうに」
ジピッタの冷ややかな声が廊下へ響く。
「君たちがどうしようとも勝手だがな、表沙汰にはしないでくれたまえ。ああ全く、影が薄くて何のとりえもない生徒の面倒など見たところで何の得になるのだか。正直、邪魔以外の何者でもない」
教師にあるまじき発言が、カニスの胸を深くえぐる。
自分の作った剣のせいで人が傷つき、自分の不始末を助けようとしたせいで大事な友人が余計な処分を受ける羽目になった。なのに、自分はその責任を取ろうともしなかった。土曜の事だって親と担当医に八つ当たりし、自分の保管ミスでフォードの店で銃の誤発が起きた。
気がつけばカニスは走り出していた。長い廊下を駆け抜け、階段を下り、玄関を抜けてもまだ走った。胃の中がものすごく気持ち悪くなったが、構わず走った。とにかくこの場から逃げたかった。
錬金術科の校舎裏で、カニスは力尽きてへたり込んだ。呼吸の音がおかしい事に自分でも気付いていたが、気にしないことにした。
(数年後じゃなくても良かったんだ)
目からは涙が零れ落ちて、地面に吸い込まれていく。
(いつ死んだって良かったんだ。僕みたいな人間は)
1時間目と2時間目の間の休み時間。学園内の地下倉庫で、2人の男が人目を避けるように密談をしていた。まあ、避けようとしてもこんな埃っぽい場所にくる者はいない。
「イオ・ブルーシスの作戦は失敗。まあ、体があの状態だ。口封じの必要もないでしょう」
「だな。だが我々には立ち止まっている暇はない。次の作戦にさっさと取り掛かる必要がある」
そういって片方は着ていた白衣から黒い小瓶を取り出した。
「錬金科の倉庫から見つけてきた。通称「死神の誘惑」。これに取り付かれたものは精神的に自虐的になり、しまいには自殺衝動に駆られる。これをターゲットに使おうではないか」
「だったらなんで最初からそれを使わなかったんですか」
尤もな意見である。いちいち暗殺計画を立てたり誰かを脅迫するよりも、ターゲットが勝手に自殺してくれた方が遥かに楽だ。
「いやいや、こいつは言うほど万能じゃないんでな。心に傷を負っていたり悩みがあったりとある程度負の感情を抱えていなければ作用しないんだよ。いくら能天気でアホなジャナル・キャレスでも友人が倒れたんだ。今なら精神的にも負に傾いているはず」
「なるほど。実行するなら今ということですか。くっくっくっ」
「そういうことだ。手段は色々派生するのだよ。ふっふっふ」
どうでも良いがこの2人、教師より悪代官の方が似合っているような気がする。
ジャナル達剣術コース8年生の授業は、今日も自習だった。
担任のトムが帝都へ出向いているので、ここの所ずっとこの調子だ。
今の時間は教室であらかじめ用意されたプリントの問題を解くようになっているが、ほとんどの生徒は身が入っていない様子だ。単なる集中力の問題もあるが、一番の原因は金曜の午後からずっと空っぽになっているイオの席。
彼が意識不明の重体となった話はあっという間に広まっていた。皆、突然の悲劇にぽっかりと穴の開いたような喪失感を抱いていた。教室の雰囲気も暗い。
そんな時、突如教室のドアが乱暴に開かれ、槍術コース担当のメテオスが入ってきた。
「プリントを回収しに来た。……なんだ、ちっとも進んでないではないか。これだからお前らはクズなんだ」
相変わらずこのクラスを敵視しているのか、理不尽なイヤミをネチネチと呟きながらメテオスは教壇の前に立つ。
「で、今日の欠席はイオ・ブルーシスか。全く、クラス委員が欠席とはいいご身分だな」
「先生、イオは」
「知っている。病院送りらしいな。情けない」
事情を説明しようとした男子生徒を遮り、メテオスは冷たく言い放った。
「全くたるんでいる。出来損ないとはいえ、お前らは戦士科の人間だぞ。これが戦場なら病院に送る前に切り捨てられているぞ」
不謹慎ともいえる暴言に、生徒たちの不快指数は一気に跳ね上がった。
(事情も知らないくせにっ!)
中でも怒りが頂点に達していたのがジャナルだった。死への恐怖と苦しみにもがき、今も意識不明のイオに対してその仕打ちは非情を通り越して、酷い。
気がつけばジャナルは席から立ち上がっていた。
「どうした? ジャナル・キャレス」
「あんた、自分で何言ってるのか分かってるのか!」
ジャナルの怒りは尤もだが、メテオスはそれを切り捨てるかのように聞き流し、何も答えなかった。心なしかジャナルに向けられた視線は殺意がこもっているように見える。
「イオは助かるかどうかも分からないんだぞ! それなのに教師がそんなこと平気で言うのかよ! 少なくともトム先生はそんなこと言わない。いつも俺らの事心配してくれてるのに」
「何だと?」
トムと比較された事が不服なのか、メテオスの眉がピクリと動いた。が、すぐに平静を取り戻す。
「これはある筋の情報だが、イオ・ブルーシスが重体になった件はお前が関与しているらしいな」
「なっ!」
絶句するジャナルをよそに、メテオスは続けた。
「聞けば現場にお前とイオ・ブルーシスの武器が落ちていたそうだし、双方の武器には血が付着していた。医師の鑑定によるとそれはモンスターの物ではないらしいな」
「それはっ」
確かにあの日の戦いは、流血沙汰にもなるほどのものだった。だが、ジャナルもイオも本心ではそれを望んではいないはずだ。だが、それをきちんと証明する手立てがない。
「後で職員室へ来い。どういうことか説明してもらおう。おい、副委員でいい。次の時間までにプリントを回収して私の所へもってこい。いいな」
反論の余地と隙を全く与えずにさっさと去っていくのがメテオスのスタイルである。
残された生徒たちはしばし唖然としていたが、やがてジャナルの方に不信感と疑心に満ちた視線が向けられていく。
「え? ちょ、おい、違うって! なんでメテオスの方を信じるんだよー!」
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