5-5 ~破綻~

 そしてジャナルはというと、呼び出しには応じなかった。どのみち行った所で誰も信じてくれないだろうし、嫌な思いをするのは分かりきっていた。まあ、メテオスのせいで犯人扱いされた時点で十分嫌な思いはしたのだが。

 教室を抜け、屋上の柵の上に腕をかけて風景を見下ろしながら、ジャナルはぼんやりと考える。

「ああは言ったけど俺、イオの事情は何も知らないんだよな」

 何故イオはジェニファアを襲い、ジャナルまで殺そうとしたのか。だが、真相究明のために何をしたら良いのかさっぱり見当がつかない。

「俺がもうちょっと頭良かったらなあ。なんかこう、どんな難事件もカッコよくズバッと解決! みたいな感じの天才だったらこんな苦労しなくて済むんだけど……ん?」

 なんとなく錬金術科の校舎の方に目を向けると、カニスがフラフラと歩いているのが見えた。

「あいつ、早退なのかな? おーい、カニ……」

 いくらなんでも距離的に聞こえないだろう、というより今は授業中だというのに、無遠慮に大声でカニスを呼ぼうとしたとたん、ジャナルのすぐ真横を黒い影が横切った。

 それが黒いローブを羽織った人影のような気がすると認識したのはすでに通り過ぎた後のことで、黒衣の人影はものすごい勢いで屋上から急降下、そのままカニスめがけて飛んでいき、彼の身体に吸い込まれるかのように消えた。

「お、おい!」

 そのまま地面にカニスが倒れたのを目撃すると、ジャナルは猛ダッシュで駆け出した。この時、彼がもう少し周囲に注意していれば物陰に潜んでいた「犯人」を見つけられていたのかもしれない。

「何故だ? 何故奴の方に反応しない?」

 「犯人」は黒い小瓶を片手に、目を見開いていた。




 カニスが意識を取り戻したのはそれから約10分後、保健室のベッドの中だった。ベッドの側には心配そうにこっちを見ているジャナルがいる。

「本当に大丈夫か? なんかおかしい所はないか?」

「うん、たまになんだけど僕、歩いていると突然倒れちゃう事があるんだ」

「……いや、今の場合はなんか違うような。あ、何でもない」

 ジャナルは何か言いかけようとして、止めた。

 見た所、身体にこれといった異常は見られない。本当にいつもと変わらないように見える。

「あ、でもまだ起き上がるなよ。今、先生呼んでくるからそこでじっとしてるんだ。いいな? 絶対ぜーったい安静にしてるんだぞ! お前は病人だからな」

 しつこいほどに釘をさし、ジャナルは全力疾走で廊下を駆けていく。

 室内に取り残されたカニスはしばし呆然としていたが、ベッドから半身を起こして今いる状況を考える。

(ジャナル君、倒れた僕をここへ運んでくれたんだ)

 また助けられた。迷惑をかけた。そんな気分でいっぱいになる。

 結局自分は必要以上に誰かの助けがなければ生きられない人間なのか。それでいて、誰かのために何かをする事もできない人間。現にカニスはジャナルに対して、世話にはなったがその恩を言葉以外では返せていない。

(僕は、結局何のためにいるんだろう)

 それから数分後、保健室からカニスの姿が消えた。




「おい、見ろよ。あいつまだ学校にいたのか」

 下卑た笑いを浮かべながら、例の3人組の1人が言った。指をさした方向にはフラフラとした足取りのカニスがこちらへ歩いてくるのが見える。

「ったく、目障りな奴ー。目障りな奴は排除しないとなー」

 彼らにとって、カニスにちょっかいをかける理由などどうでもいい。ただ、弱い者をいたぶることで快感を得たいだけなのだ。

「よお、カニス。お前、帰ったんじゃねーのかよ?」

 呼び止められたカニスは表情一つ変えずに彼らの方を見る。

「おいおい、ずいぶん反抗的な顔だな。気にいらねえな」

 言うなり、リーダー格の男がカニスの頬を打った。小柄なカニスの身体は軽く吹っ飛び、廊下に倒される。そのとたん、彼が持っていた荷物の中から例の拳銃入りのケースが飛び出し、カニスの目の前へ転がった。

「いいモン持ってんじゃねーか」

 1人がそれを拾い上げ、中身を取り出す。

「ちょうどいい。俺がお前の課題の出来具合を見てやるよ」

 弾が込められ、銃口がまだ倒れているカニスの方に向けられる。

 無論これは脅しで本気で殺す気などない。ただ怯える様を面白がる、それだけのつもりだった。

「っ!」

 突如カニスが起き上がり、奪われた拳銃を掴んだ。

 普段のカニスなら天変地異が起きたってそんな真似はしない。ありえない。この異常に気付いた時にはもう、遅い。

 悠然と立ち上がったカニスは、体から黒いオーラを発しながら鋭い眼光で3人組をにらみつけていた。そこには弱気でいじめられっ子の病弱な少年の面影は微塵も、ない。

「お、お前、なんのつもりだよ!」

「そ、そうだぞ! カニスのくせに生意気な!」

「俺らに逆らうとどうなるか分かって」

 銃声。

 奪い返された拳銃が、リーダー格の少年の肩を撃ち抜いていた。

 絶叫する1人に、ただ凍りつくしかない2人。

 そして、カニスは冷ややかに笑っていた。

「やはり外の世界はいい。どす黒い感情エサが喰い放題だ。」

「な、何言って」

「さて、誰から始末してやろうか」

 パニックに陥るチンピラたちを前に、沸き起こる黒いオーラが一際大きくなった。




 ちょうど同じ頃、廊下の隅でメテオスとジピッタは作戦失敗という事実を前にあれこれともめていた。

「おかしい。死神の誘惑は狙った相手に確実に取り憑くはずなのに」

「だが現にあれはターゲットをスルーしました。本当に効果あるんですか?」

「何を馬鹿な。あれはものすごく高技術で作られた貴重な物だぞ。しかし、どうして」

 ジピッタが考え込んでいると、後ろからドタバタと慌しい足音が聞こえてきた。

「おーい、ジピッタ先生ー! げっ、メテオスもいる!」

 騒音に近い足音の主は、彼らのターゲットでもあるジャナルだった。

「大変です! カニスが」

 ジャナルが事情を話そうとしたとたん、ドーンともガーンとも聞こえる何かをぶち壊すような大音響がして、地面が揺れた。

「中庭の方だ!」

 いち早く窓から身を乗り出したジャナルは、中庭の方角から煙が上がっているのを発見した。

「俺、ちょっと行って来ます! あ、先生、カニスが保健室にいるからよろしく!」

 教師達が返答する前に、ジャナルは駆け出していた。

(何だろう。嫌な予感がする)

 ジャナルの脳裏に先日の体育館の屋根が大破した事件が蘇る。

 案の定、嫌な予感は的中し、中庭は想像をはるかに超える惨状だった。

 所々に設置してあるベンチや花壇の花は散乱し、地面には意識のある者ない者を問わず、傷を負った生徒たちが倒れている。

 そしてその中心に、身体から黒いオーラを撒き散らしている小柄な少年が、手に持っている拳銃に弾丸を装填していた。

「カニス? ……いや、もしかして、カニスじゃない。お前は誰だ!」

 見知っているはずの少年は、ジャナルの方へ顔を向け、冷ややかに笑う。

「誰かって、見れば分かるだろう? 悪魔だよ。」

「あ、悪魔ァ?」

 ジャナルは金魚のように口をパクパクさせながらカニス(仮)の方を見た。

 やはり、屋上で見た出来事は幻覚でもなんでもなかったのだ。あの黒い人影がカニスに取り憑いているのだとジャナルは瞬時に悟った。

「とにかく! どっから入り込んできたのか分からないけどカニスから出て行け!さもないと」

 彼の具現武器トランサー・ウエポン・ジークフリードが右手に握られる。

「斬り落とす!」

「どうやって?」

 カニスは剣を構えるジャナルを鼻で笑った。

「分かってると思うが、俺を斬ったら宿主であるこいつもただでは済まされないぞ。それでもやるのか?」

 威勢よく剣を取り出したのはいいものの、それが何の解決にもなっていないことに気付き、ジャナルは唇をかんだ。とり憑いた悪魔だけを斬るという芸当はジークフリードには出来ない。

「で、どうする? お前に俺は殺せなくても俺はお前を殺せるぞ。こんな風にな!」

 カニスが手を掲げると、全身を取り巻くオーラが束になって放出される。放出されたオーラはものすごい速さで地面をえぐり、そのまままっすぐ校外の方へ飛んでいき、敷地を取り囲む塀にぶつかり、爆発した。遠くの方から悲鳴が聞こえる。

「尤も、ニンゲン如きに負けるはずはないがな」

 ジャナルは剣を構えたまま、助ける手段が見当たらない事に動揺していた。これではイオの時と一緒だ。いや、放置すれば被害が広がる分だけもっと質が悪い。おまけに力の差がありすぎる。

 校内には避難警報の放送が流れ、街の方からは自警団出動のサイレンが鳴り響く。

 だが、ジャナルはカニスを置いて逃げることはできなかったし、思いつきもしなかった。

 一般的に、人に取り憑いた悪魔を退治する方法は3つ。

 1つは悪魔が取り憑いている依り代を破壊、もしくは使い物にならなくなるまで痛めつけて、出てきた所を叩きのめす。それも複雑骨折、内臓破裂くらいにまで痛めつける必要がある……のはさすがに却下。下手をしなくても身体の弱いカニスのこと、それだけで死んでしまう。

 2つ目は悪魔祓いの呪文。一見これが一番平和的に解決しそうだが、これはかなり高度な技術で、使える人間がほとんどいない。何せ祓いに失敗すれば依り代の精神を破壊してしまったり、逆に術者が取り付かれてしまったりとリスクが大きすぎるのだ。まあ、どの道ジャナルには扱えないので元からこの選択肢は無いに等しい。

 そして3つ目。それは依り代自身が悪魔を追い祓う事。即ちカニス本人の精神力で悪魔に打ち勝つという事だが、第三者は介入できない。出来る事といえば祈る事だけ。

 つまるところ、今のジャナルには何も出来ないのだ。

「なんでカニスなんだよ」

 湧き上がる怒りを必死で抑えながらジャナルは言った。

「何故かって? そりゃ、こいつが乗っ取りやすかったに決まっているだろ。こいつの精神はいい。空虚で、それでいてどす黒くて美味な事この上ない」

「嘘だ!」

 ジャナルは叫んだ。少なくとも、ジャナルから見たカニスはそんな心の持ち主ではない。とり憑かれた相手がメテオスなら納得するかもしれないが。

「おかしなことを言う。こいつはな、何もかもに絶望して生きる気力すらないんだよ。そういうお前はこいつの何を知っているんだ? こいつの苦しみを理解ているつもりなのか?」

 言い返そうとしたが、出来なかった。

 ジャナルの知っているカニスは、気が弱く、身体も弱い小柄な少年で、お人好しだがひたむきな努力家だ。難しい課題も手を抜かず真面目にこなし、専門知識は楽しそうに話す。

 だが、それ以上のことは知らない。知り合ってから日も浅いこともあるが、その健気な性格の裏でどれほど傷つき苦しんでいるのか、想像もつかない。ただ、一つだけ心当たりはあった。

「あの3人組のいじめ、か」

 呟いた瞬間、カニスの手から黒い閃光が走り、ジャナルのまだ塞がりきっていない肩の傷を打ち付ける。

 言葉にならない激痛に剣を落としそうになるのをこらえながら、傷口を押さえると血液がじわじわと服を染めていた。

「残念だな。その答えでは20点だ。満点なら即死させてあげたものの」

「くぅぅぅぅっ! 野郎! 治りかけていた所を狙うか、普通!」

「脳が天気な奴だな。そういう安っぽい精神が一番嫌いだ」

 再び右手がかざされ、閃光が走る。だが、その攻撃はジャナルを狙ったものではなく、斜め上をまっすぐ飛んでいき、校舎の屋根の一角を吹き飛ばした。

 またも悲鳴が上がる。怪我人、もしくは死人が出たかもしれない。

 そして、ジャナルがそれに気をとられている間に逆の方角から爆発が起きた。

「止めろ! 学校壊す気か! ……うわっ!」

 抗議しようとしたとたん足元の地面が爆ぜた。

 すぐさま身体を反転させて身を起こすと、そこにカニスの姿はなかった。

「上っ!」

「当たり」

 気がつけば校舎よりも高い上空の位置から、黒い閃光がこちらに向かって飛んでくるのが見えた。

「嘘だろー!」

 魔女曰く、死を悟ったとたん『アドヴァンスロード』が無条件で暴発という形で発動する危険があるから気をつけろというのだが、ジャナルにそんなことを考えている余裕はなかった。

 だが、力が暴発しそうになる寸前、ジャナルは横から飛んできた影に飛びつかれ、バランスを崩して数十秒間気を失った。

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