5-3 ~錯綜する陰謀~
イシュリアル帝国・帝都トライピル。ジャナル達の在籍している第四分校・デルタ校のある地方都市コンティースから馬車でひたすら平地を南下して3日分の距離の場所に位置する、優雅で壮大な城とそれを取り囲むような大小さまざまな建物が密集している大都市である。
広さも人の数も地方都市の比ではない。大通りは常に人で溢れかえっており、馬車専用の道も設けられ、兵士達が慌しく交通整理をしているのが見える。
戦術学園もアルファ校とベータ校の2校がそれぞれ都市の北側と南側に位置しており、デルタ校にはない学科やコースも存在し、さらには大学や専門学校までも充実している。これが全て国立の物なのだから、いかにこの国が教育機関に力を入れているのかがよく分かる。そして、その学校から多くの有能な軍人や研究者たちを輩出し、国の更なる発展へと繋げていった。
「やれやれ。いつ来ても人が多いことで」
北門前広場で、がっちりとした体格の男がスナック菓子をバリバリと頬張りながらぼやく。
男の名はトム・テリートス。デルタ校の剣術コースの教師である。
今は分校に残された生徒や同僚たちを心配しつつ、校長の勅命で学園教育総会の本部のある帝都に赴いているのであった。
「さて、気はすすまないけど、やらなきゃまずいしな」
トムは空になった菓子袋をくしゃくしゃに丸めて道端にあるくず入れに放り込むと、中心街に向かって歩き出した。目指すは当然、学園教育総会本部の建物だ。
目的地にたどり着き、建物の中に入ると、早速受け付けの若い男に身分証明証を見せながら用件を話す。
「デルタ校の校長の使いだ。至急監視課の方へ回して欲しい」
しかし、返ってくる言葉は尤もであり、非情だった。
「申し訳ありません。アポを取っていない方はご遠慮いただきたく」
「緊急事態なんだよ! そんな暇は無いんだ!」
「でしたら用件の方を詳しく話していただかないと応対しかねます」
「悪いが、部外者に話せえる事じゃないんだよ。だから」
「何人たりとも例外は認めません」
「この分からず屋が! こっちは急いでいるというのに!」
いっそ強行突破でもしようかと危険な事を考えた時、若い女が横から割って入ってきた。
「はいはい、喧嘩しないでくださいな。ここは一応神聖な教育機関なんだから」
年は20歳くらいだろうか。肩下まであるやわらかいストレートの髪と、やや黄色みのかかったの瞳が印象的な女だ。自分の生徒と数年ほどしか違わないというのに、着ている服装は由緒正しい総会員の制服。つまりこの女は、若くして将来有望なエリートという誰もがうらやむような肩書の持ち主である。
「ってあれ? もしかしてトム・テリートス先生?」
女はトムを見るなり、驚きの声を上げた。
「あ、私、ルルエル・セレンティーユです。デルタ校の卒業生。先生とは学科が違うから全然縁は無かったんですけど、先生のことは知っています」
しめた。自分の勤務する学校の出身者ならコネが効くかもしれない。そう考えたトムは、ルルエルという女に監視課に取り次いでくれるよう頼み込んだ。
「頼む。学園の命運がかかっているんだ」
「うーん、監視課の人達も忙しいから。正直、ここんとこ総会の内部もゴタゴタしてるし。よし、分かりました。話は私が聞くことにしましょう」
「君が?」
正直、若い総会員に重要事項を打ち明けるのは抵抗があったが、ここでルルエルを返すと取次ぎのチャンスは無いに等しい。
「分かった。頼もう」
「ええ。そうと決まればこちらへどうぞ」
鼻歌を歌いながらルルエルは奥の方へ案内する。トムがそれについて行こうと足を向けたとたん、受付の男の毒づいた呟きが耳に入ってきた。
「ふん。
鼻歌が止まった。
彼女は一瞬ひどく屈辱的な顔をしたが、すぐに気を取り直して「こちらです」とトムを誘導した。
案内された応接室は、さすが帝都と言うべきか。室内の家具はどれもこれも一級品。壁に掛けられた絵や、並べられた調度品も一般人には到底手が出せないほどの高級な物ばかり。ふと、部屋一つを飾るためにどれくらいの税金が使われているのかを考えると、トムはぞっとした。
「ニーデルディア総会長のことですか?」
「ああ。何でもいい。総会長の情報が欲しい。彼、いや彼女か? まあそれはおいといて、ここで詳しい経緯を言うわけにはいかないが、あの人の目的を知りたい」
「目的?」
「反逆罪覚悟で言おう。総会長は何か良からぬ事を企んでいる」
室内に沈黙が走った。
「4月の嘘祭りはとっくの昔に過ぎてますけど、嘘ではないみたいですね」
ルルエルは紅茶の入ったティーカップ(中身も含めて数十万は下らない)を手に取った。
「何故そう言える?」
「それ言ったら私も反逆罪と機密漏洩の罪で消されます」
更に沈黙が走った。トムの顔が見る見るうちに渋い顔になっていくのを見て、ルルエルはくすくすと悪戯っぽく笑った。
「ま、私も総会長の意向は分かりません。ただ、ここだけの話……外部には一切漏れてないと思う情報ですけど。」
ルルエルの声のトーンが一気に落ちた。
「この総会、ニーデルディア氏がトップになってから内部分裂しちゃってるんですよ。ま、正確には一部の人間があの人のやり方に反感を抱いているだけで、それ以外は特に何もないんですが」
話によると、前の総会長は在任中に事故死してしまったため、急遽ニーデルディアがその座につくことになったのだが、あの若さで総会長になるのはきわめて異例、いや、前代未聞だという。
一応議会と上層部の推薦で決まったものの、納得のいかないものも多く、反発する者もいた。どうあがいた所で決定は覆らなかったが。
実際ニーデルディアの仕事ぶりは優秀で、短期間の間に学校における問題点と改善案を山のように叩き出し、不正を犯した役員をつまみ出し、低予算で施設を作ったりと非の打ち所が無い。
「それなのに何故、とお思いになるでしょうね。ですが、それでも反感を買う理由は少し考えればお分かりになるかと。あ、ヒントとしていっておきますが、若い有能な会長に対するねたみは一応正解ですが、それ以外でお願いしまーす」
トムはルルエルの態度に疑問を感じつつも、言われたとおりに考えた。どうでもいいが、ごつい体格の男が考える様はあまり絵にならない。
「……まさか、俺の他にもあの人が怪しいと踏んでいる奴がいるのか!」
「しー! 声が大きいですよ。まあ、それで正解ですけど」
ルルエルは一度席を立ち、入り口のドアを少し開けて外の様子を見た。誰もいないことを確認すると、同様に今度は窓の外を確認する。
「私は噂でしか知りませんけど、誰だったか総会長が夜中に怪しい魔術の儀式をやっていたのを見たとか、分校への視察の移動中に魔物に襲われた時、睨み一つで魔物を大人しくさせたとか、どう考えてもありえないような人事異動をやったとか。この間、地方に飛ばされた人、ゴロツキに絡まれて亡くなったんですけどね。偶然かどうかは怪しいですけど」
トムは押し黙った。
証拠もなければ確信できる要素は全くない話だが、これは思ったより黒いのではないか。
「で、どうします?」
「は?」
「先生の事、反対派の人間に言います?」
「いや、それはまずいだろ」
確かにニーデルディアに対する反対派に接触すればより多くの情報を得る事だって可能だ。だが、それをやるとトムも反対派としてみなされかねない。
いくら反逆罪覚悟とはいえ、トムはあくまで中立的な立場から真実を見極めたかったし、デルタ校代表として来ている以上、分校に被害を被るような真似は絶対に避けたかった。
「とにかくこれを監視課の方へ回してほしい。学園の安全の方が優先だ」
そういって取り出したのは一枚の封書。「大至急」と「重要」という判子とデルタ校のエンブレム(と言っても普通の三角形)の箔押しがでかでかと押されている。
この封書は今週の頭にあった、出来の悪い教え子であるジャナル・キャレスの最後の追試の出来事の一部始終が記されている。ただ、分校のトップシークレットの『アドヴァンスロード』の事についての詳細は伏せられていた。
「分かりました。責任を持って渡しておきます。それで先生、あなたはこれからどうするんです?」
「もう数日は帝都にいるつもりだ。じゃ、頼んだぞ」
応接室を出たトムは、そのまま受付の男の所へ行き、「うちの卒業生をいじめるな」と一言文句を言うと、本部を後にした。
ホテルに戻ったトムは、早速机に向かい、報告書の作成に取り掛かった。
ルルエルに会ったこと、ニーデルディアの不審な噂、それらを詳しく丁寧に、だが、ごつい書体で白い紙をどんどん埋めていく。
そして、半分くらい書き終えた所でノックの音が聞こえた。
ルームサービスを頼んだ覚えはないぞと首をかしげながらドアを開けると、そこには総会員の服を纏った男が立っていた。
「トーマス・テリートスだな?」
「いや、トムが正真正銘の本名です。で、どういったご用件で。」
何てこった、とトムは思った。勿論名前を間違われたという事ではない。ルルエルとの会話がばれた可能性が高いということである。処罰はまず免れない。
だが、返ってきた言葉は意外なものだった。
「ご安心を。あなたを罰しにきたわけではない。ルルエルから話は聞いているだろう。……私はその「反対派」だ」
「はい?」
あの女、報告はするなといったはずなのに。それ以前にどうやって宿泊先のホテルと部屋の番号を知ったのか。不服に思いつつ、トムは彼を部屋の中へ案内した。
「さて、まず始めに言っておく。申し訳ないと思ったが君が監視課に回そうとした封書は我々の方へ預けてもらった。監視課の方にも反対派はいてね。大体総会長直々に視察へ行った直後に分校から教師が出向いてくるなんて、その時点で不自然だろう?」
「確かに」
少なくともルルエルが密告したという線は消えた。それを理解したと同時にトムは彼女を疑った事を心の中で恥じた。
「そこで本題、だ」
総会員の男は一息ついてから声のトーンを落とす。
「我々と手を組まないか?」
男の目は本気だった。
「ニーデルディアに対抗するには少しでも戦力と情報が要る。あいつをこれ以上のさばらせるわけにはいかん。奴のせいで……」
以下、ルルエルから聞いた話と寸分違わない事例が延々と続き、トムはげんなりした。
「……というわけだ。奴のせいで私は降格させられ、何のとりえのない奴が上の役職に就き、苦汁を舐めさせられたんだからな。あのルルエルとか言う小娘だって」
「あーはいはい、そうですか」
げんなりさが頂点に達し、トムは気のない返事で話を切り上げた。
「せっかくですが、この話に乗るわけにはいきません。そもそも私は一介のヒラ教師にすぎません。ですが、ここにいる以上、分校の名を背負っているのです。ゆえに勝手な行動は許されませんし、私自身にも決定権はございません。それに」
そこで言葉を切った。
(こいつらの目的は学園の秩序とか平和じゃない。ただの権力争いだ)
あやうく喧嘩を売りそうになったが、とっさに「何でもありません」と訂正した。
深夜2時を回った頃、ベッドで眠りに付いていたトムは、ただならぬ気配を感じて目を覚ました。
「全く難儀な身体だ。夜くらい寝かせろよな」
教師見習い時代に行った、地獄ともいえるカリキュラムの経験もあってか、深い眠りについていても微弱な気配に体が反応してしまう。殆ど職業病だ。
トムは身体を起こし、気配の元を探った。だが、室内にも扉を挟んだ廊下にもそれは存在しない。
それでも、何者かがこちらへアピールしているのは確かだ。
「となると、外か」
壁に背を向け、用心深く窓の外を見たトムはすぐに目を疑った。
見間違い、人違いだったらどれだけ良かっただろう。だが、窓の下の裏通りでこちらを見上げているのは間違いなくあの学園教育総会を束ねる総会長・ニーデルディアであった。
一体何故ここにいるのか。どういう目的なのか。自分の身の危険を感じつつ、トムは部屋を出た。
数分後、トムはニーデルディアと対峙した。
相手はデルタ校へ視察に来た時と同様、全てを見透かすような不適で不気味な笑みを浮かべている。
「このような時分にどういったご用件で?」
否、聞くまでもなくトムには分かっていた。ニーデルディアは彼を反乱分子とみなしたのだろう。処罰の一つや二つで済むのであれば幸運だが、目の前の人物は何をしでかすのか検討もつかない。わからないから恐ろしい。
「反対派と名乗る総会員に会いましたね?」
ほら、やはりそう来た。トムは思った。
「はい、ですが彼は別に」
「あの会員は私が始末しました」
数秒間沈黙が流れた。
始末? 処罰でも処分でもなく、ニーデルディアは「始末」とはっきりと言った。
「理解できませんか? 露骨な表現で言えば抹殺したのです。邪魔でしたからね」
「な、何故!」
理解できるはずがなかった。いくら邪魔だからと言ってこんな暴挙に出ればますます敵は増える。
いや、それ以前の問題として、ニーデルディアがわざわざこちらへ出向いてこんな事を告げに来たということは。
次の瞬間、トムは後ろへ飛んだ。手には刃渡り1メートル弱の三日月刀の
「さすがですね。ま、この程度の攻撃もかわせないようでは教師など務まりませんか」
トムがいた位置には暗くてよく見えないが、鋭利な黒い刃が数本、地面に突き刺さっていた。
「それがあなた、いや、貴様の本性か! 何を企んでいるかは知らんが、自分の邪魔になる者を消そうとするやり方は許さん!」
「いえいえ」
熱くなっているトムとは対照的に、ニーデルディアはあくまで冷ややかな態度を崩さない。
「邪魔だから消すのではないのですよ。むしろ逆です」
赤い唇は弧を描き、こちらを哀れむかのような眼は細く歪む。
「トム・テリートス。あなたは教員としての才に恵まれ、同僚や生徒の人望も厚い。あなたがいなくなれば多くの者が嘆くでしょうね」
「戯言を!」
「いいえ。貴方だからこそです。ここに来たのがあのメテオスだったら私の計画は大幅に狂ってましたから」
ニーデルディアの体から黒いオーラが湧き上がった。
風もないのに、その綺麗な黒髪も纏っている外套もバサバサとなびいている。
「まさか、俺が帝都に出向いた事自体が罠だというのか……?」
「言ったでしょう? 全ては私の計画通りに動く駒だと。そのために必要なんですよ、あなたの死が」
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