第五章 価値なき歌

5-1 ~推理の果ては闇と雲~

 少女は一人、店の屋根に腰掛け、空を眺めていた。

 今夜は美しい満月。そしてきらきらと光る星々。

 下の方からは仕事から解放された労働者たちが酒をかわし、はしゃいでいる声が聞こえてくるが、少女の周囲は静寂そのものだ。

 やがて、少女の唇から美しい歌声が紡ぎだされ、その静かな空間を満たしてゆく。どこか儚げだが、心地よく、穏やかな気持ちになれる歌声だった。

 そして少女が歌い終えた時、背後から拍手の音がした。

「よっ。カルネージの歌姫」

「ジャナルさん! って、きゃあ!」

 突如現れた少年に(それも想い人でもある)、驚きと恥ずかしさで少女は屋根から転落しそうになる。

「おいおい、大丈夫か? いくら2階でもシャレになんないぞ」

「へ、平気です! うわー、恥ずかしい。ジャナルさん、いつから聴いていたんですか?」

「途中からな」

 ジャナルは隣に座り込んだ。そのまま沈黙が流れる。

「なんだか元気ないですね」

「そうか? いや、そうかも」

 ジャナルは少しだけ目を細めて遠くを見た。

「そう、ですよね。あんなことがあったのですから」

 あんな事というのは、イオが意識不明の重体になった件の事だ。さっきより重い沈黙が流れる。

「なあ、リフィ。さっき歌ってたやつ、もう一回歌ってくれないか?」

「え?」

「やっぱダメなんだよ、こういう空気。テンションが上がらないって言うか」

 とにかく気を紛らわしたかったのだろう、ジャナルは無理して笑って見せた。いたたまれない気分になったものの、リフィは彼の申し出を快く承諾した。

「全然オッケーです! なんか嬉しいです、頼りにされてるみたいで」

 笑い返すリフィ。そして、背筋を伸ばすと歌い始めた。


 銀に煙る空の下 赤く染め上がった地上より

 終末を告げる天使が飛び立った

 何一つ果たせないまま 誰一人守れないまま

 儚き願いも還っていった


 されど悲しむこと泣かれ 汝は愛すべき人達への

 進むべき未来を歩く力の糧となり 暗き荒野に咲く一輪の花となる


 絶望も希望も名誉も愛もその想いでさえも

 いつか歴史と記憶から消え逝くだろう

 たとえそれが真実でありゆるぎない現実だとしても

 私は歌い続けるだろう 今この時それだけのために


「普通に聞くと意外と暗い内容なんだな。」

 歌の後、ジャナルはリフィに疑問を投げかけた。

「えー、そうですか? あたしはすっごく好きなんだけど。特別って感じがして。」

「特別?」

「はい! ものすごく古くて、しかも売れなかったから誰も知らない歌だけど、歌詞が大好きなんです。報われなくても心半ばで倒れようとも生きていた証があるっていう歌。良いと思いません?」

「そ、そうだな」

 といいつつ、ジャナルは実の所それほど共感していなかった。正直報われないのも心半ばで倒れるのも嫌だし、それで妥協できる性格でもない。もしかしたらこの歌の知名度と人気が低いのはジャナルのような性格の人間の方が多いからかもしれない。

「で、これ、なんて歌なんだ?」

「この歌のタイトルですか? タイトルは……」




 深夜0:00。閉店した喫茶カルネージのカウンターで、ジャナルとアリーシャは、店長代理であるフォードにこれまでに起きた事件の知っている限りのことを全て打ち明ける事にした。

 彼なら口は堅いし、性格的にも信頼できる。それに何よりもこれまでの言動からジャナル達の知らない何かを知っているに違いない。今後のことを考えると少しでも多くの情報が必要になってくるのだから、これほど心強い味方はいなかった。

「その魔女の話だと、ジャナルに『アドヴァンスロード』とかいう万物の力を強める力を持った魔族がとり憑いているということになるのか?」

「うーん、厳密に言うと違うような気もするけど、ま、ニュアンスの問題よね。で、魔女は秩序のためにその力を消そうとしている。口止めされてたけどこの際仕方ないわ」

「しかし魔族の世界に秩序なんて単語があるとはな、信じられん」

 フォードのいうことは尤もであった。昔から魔族は破壊と混沌の象徴であり、憎むべき、場合によっては滅ぼすべき存在として人々は幼少の頃からそれを教え込まれていた。それが人間の世界の常識というものである。

「で、ジャナル。その力は具体的にどんなものなんだ?」

「具体的ぃ?」

「ジャナル。普通にあった事を話せばいいから」

 アリーシャに促され、ジャナルは少し考えてから話し始めた。

「一番はじめに気付いたのは錬金術科の連中とバトルした時。後で気付いたけど、斬りかかろうとしたらものすごく高くジャンプしてたみたいなんだ」

「絶大的な跳躍力、か。」

「そうそう、難しく言うとそんな感じ」

 ちっとも難しくない。

「それから最終追試の時もなんかあったっぽいけど、こっちは覚えてないから喋れることがないからパス。で、次は実戦授業の体育館。あれ、爆破したの俺みたい。いや、わざとじゃないからな」

「当たり前よ。わざとだったらアンタを爆破してるから」

「うぅ。と、とにかくあれは試合中のことだった。俺はヨハンと戦っててさ、やっぱあいつは強いよ。隙がないっつーか、それでさー」

 そしてジャナルはジェスチャーを交えていかにヨハンと戦ったかを講義し始めようとしたが、明らかに話が脱線するので、それは止められた。

「でもって、ぜったいぜつめーって時にこう反射的に剣を下から上に振り上げたらドカンっと」

「効果音で説明するな。つまるところ増幅した瞬発力がものすごい強力な剣圧を生み出し、その結果とんでもない破壊力につながる、か」

「そして最後はイオを助ける時」

 残りはアリーシャが説明した。

「私の魔力が尽きてジャナルの魔力で補充しながら術を使ってたんだけど、効率が上がらなくて。もうダメかと思ったら急にジャナルの魔力が増幅し始めたの。それもありえないくらいのエネルギー量。攻撃魔法だったら首都が一発で平らな地面になってたでしょうね」

「凶悪だな」

 フォードは一息つくと、ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。

「ニーデルディアの言っていた素質とはそういう意味だったのか」

「えっ?」

 ジャナルとアリーシャが同時に声を上げた。

「話してやるよ、俺の知っている限りの事を」

 紫煙がゆらゆらと店内を漂い始めた。




 何がきっかけなのか正確なところは分らない。ただ、心当たりがあるとすれば俺がお前らの年でしかも卒業間近って時だ。俺はあの女の実験に付き合わされたんだ。

 付き合っておいて言うのもなんだが、変わった女だった。頭はいいが、やたらプライドは高くて自己中心的で出世根性の塊だ。

 で、その時は意のままに変形させられる金属の実験だった、と思う。俺たちは立入禁止である裏庭でそれをやっていたんだが、あいつの不注意で裏庭にあった石像を壊してしまったんだ。

(ここでジャナルがそんなものあったっけ、ときいた)

 あったんだよ。草陰に小さなやつがな。

 あわてて壊れた石像に近づくと、いきなり閃光が走って目の前が真っ白になって、気がついたら俺は保健室のベッドの上に寝かされていた。

 その時は何ともなかったが、しばらくしてから異変、と言うべきか。とにかくそれは起こった。

 数日後、俺が買い出しに行った時に、2メートルくらいの翼竜に市場が襲われて大パニックになった事件があった。

 俺も何とか避難しようと試みたが、空から来る相手に逃げ切れるはずがない。やむを得なく具現武器トランサー・ウエポンで応戦したんだがやはり歯が立たなくて、それこそ絶体絶命の危機という時にそれは起こった。

 まさか、と思っただろう? そのまさかだ。

 次の瞬間、俺の振るった武器が翼竜の首を真っ二つに裂いていた。

 ……似ていると思わないか、このパターン。

(フォードの予想通り、ジャナルもアリーシャも驚いた表情をしていた)

 それからしばらくして、総会の視察、この間お前らも味わった恐怖の監視役の連中がやってきた。

 もう言わなくても予想はつくだろう? その総会員の中にニーデルディアがいたんだよ。あの男だか女だかわからん、気味の悪い奴が。

 出くわすなり何処からかぎつけてきたのか、翼竜を倒した力のことを特別な素質だと主張し、自分の下で働く事を要請してきた。無論、胡散臭いから断ったがな。興味なかったし。

 だが、更に数日後、いいか、先に言っておく。信じられんがこれは本当の話だ。

 俺はついにニーデルディアに呼び出され、奴に始末されかけた。

(絶句するジャナルとアリーシャ。フォードは顔色一つ変えず話を続ける)

 いや、本当に殺そうとしていたかどうかまでは知らない。現に俺はこうして生きているからな。

(詳しい話を聞かせて、とアリーシャが言った)

 いきなり背後から火炎弾撃たれて、奴の体から放出された黒い瘴気を浴びせられて俺はそのまま五感を麻痺させられて気絶した。

 人体の害になる瘴気を放出するなど、人間技じゃない。俺はこのことを教師たちに話した。あの総会員、いや、もしかしたら他にも仲間がいるかもしれないから警戒しろ、と。

 結果は散々。まあ、常識的に考えても教育界のお偉いさんが人間じゃないだの何か企んでるだのこっちは殺されかけただの言った所で誰一人として信じないだろうしな。第一証拠もなければ向こうの目的も知らないわけだ。

 だが、不思議な事にこの一件以来、ニーデルディアは一切俺に接触してこなかった。

 それに翼竜を真っ二つにした恐ろしい力もそれっきりだ。

 今となっては夢じゃないかと錯覚してしまいそうな出来事だったから忘れようとしていたが、こうして奴が再びこっちに出向いてきた以上、あの事件はまだ何も解決していなかった。俺が奴に近づくな、と言ったのはそういう理由だからだ。




 しばし沈黙が流れた。ジャナルもアリーシャも、フォードが何か知っているとは踏んでいたものの、そんな事情があったなど、予想すらしていなかった。

「なあ。それどうして今まで黙ってたんだよ?」

 ようやく沈黙に耐え切れなくなったジャナルが口を開いた。

「バカ言うな。軽々しく話せる内容じゃないだろ。第一信憑性がなさすぎるし」

「そりゃそうかもしれないけどさあ」

 そういってあくびを噛み殺す。もう夜も遅い。色々あったせいで目は冴えていたが、身体は休息を欲しがっていた。

「今日の所はお開きだ。俺は休みだからいいが、お前らは学校があるだろう」

「いや、俺は病院行くから休む。アリーシャはどうだか知らないけど」

 ジャナルはアリーシャの方を見た。

「あ、私は普通に学校。フォードの言う通り今夜は帰って明日出直すわ。いいなあ、フォードは。土日が休みでさ。学生さんは月から土までフルタイムだし」

「ま、国の法律は労働者より学生連中に厳しいからな。スパルタ教育ってやつか?」

 国の法律によると、飲食店の営業時間は一日最大12時間。週の営業時間の合計は50時間以内、休日は最低でも週に2日と決められている。国の労働を管理する労働局が、料理等に使用する食材の量を制限するために定めた法律だった。

尤も、ここでいうのはあくまで営業時間の話であって、店内の清掃や料理の仕込み、事務管理など閉店後にする作業の時間は含まれていないので、フォードも決して暇人ではないが。

 締め出されるような形で店を後にしたジャナルとアリーシャは、薄暗い街灯の通りを歩いていた。

 二人とも黙ったままだった。いや、本当はお互い言いたい事はあるのだが、今はそれを口にする気にはなれなかった。どうにも今日の出来事は重過ぎる。

「ねえ、ジャナル。明日、昼休みににでも学校来れない?」

 アリーシャの家の前についてから、ようやく彼女の方から切り出してきた。

「一応今後のことも考えると色々話し合った方がいいと思って。多分、今日の事件だってまだ解決してないだろうし」

「そうだよな」

 ジャナルは意味もなく空を見上げた。数時間前のリフィと見上げた美しい星空は何処へやら、空はいつの間にか暗雲に覆われていた。

「分かった。昼休みだな」

「じゃ、そういうことで。……来なかったら、言わなくても分かるよね?」

「あのなあ。俺はそんなに信用できないのか?まあ、いいや。とにかく昼休みな」

 二人はそう約束して、別れた。

 そう、全ては終わったわけではない。フォードの言う通り、まだ何も解決していないのだ。


 ところが。


「ぎゃあああああああっ!」

 翌日、目を覚まして時計を見たジャナルは絶叫した。

 長針は8を指している。それはいい。だが、短針が指しているのは1と2の間。

「なんでこんな時間まで寝てるんだ、俺!」

 昼休みなどすでに終わっている。これには頭を抱えた。

 散々行くと約束した結果がこれだ。あのアリーシャがあっさり許してくれるとは思えないし、顔を合わせた途端、怒りの一発がくるのは確実だろう。しかも寝坊が原因となると弁解も出来ない。


 殺される。


 冗談抜きでジャナルの脳裏にその単語が鮮明に浮かんだ。

 ガクリとうなだれ、頭を抱えていた手をだらんと下げると、肩に激痛が走った。昨日病院で巻いてもらった包帯から少し血が滲んでいる。

「とりあえず病院行ってから考えよう」

 いつもの赤い帽子とジャケットに身を包むと、ジャナルは自室を後にした。

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